初対面で「信用できない」と言われた日のこと
「すみません、正直…あなたのこと、信用できません。」
そう言われたのは、ある雨の日の午後。40代くらいの男性がふらりと事務所に現れ、相談内容もそこそこにいきなり切り出したのがこの一言でした。司法書士を十年以上やっていて、いろんな依頼人に出会ってきましたが、ここまでストレートな言葉を投げかけられたのは初めてで、内心かなりショックでした。
開口一番で突きつけられた言葉
自己紹介が終わって、こちらが「本日はどういったご相談でしょうか?」と尋ねた直後でした。「いや、その前に…信用できる人かどうか確認したくて来たんです」――まるで査定を受けているような気分。どんな顔でこのあと話を続ければいいのか、頭の中でぐるぐる回る言葉をどう抑えるかに必死でした。
その瞬間、頭の中で鳴った「警報音」
経験上、こういう入り方の相談はトラブルを抱えている可能性が高い。もしくは、過去に専門職と揉めたか、ひどく失望した経験があるか。頭の中で「慎重モード」のスイッチが入り、「深入りしていい案件か?」「そもそも受けるべきか?」と、静かに警報が鳴り始めました。
なぜそんなことを言われたのか?
最初は単純に「感じが悪かったのかな」と自分を責めそうになりました。でも冷静になって考えると、この一言の背景にはいくつもの事情や価値観が絡んでいることがわかってきました。
外見?話し方?それとも職業への不信?
服装が少しラフだったか?声のトーンが暗かったか?あるいは「司法書士」という職業そのものに懐疑心を持っていたのかもしれません。どうも相手は、過去に専門職と金銭トラブルになった経験があったようで、根本的に「士業=信用できない」というレッテルを貼っていたようでした。
地方の司法書士に根付く「イメージの壁」
都市部と違い、地方では司法書士の知名度も曖昧で、「なんでもやってくれる人」から「何やってるかわからない人」まで幅広く誤解されています。しかも、ネットの口コミや評判がほとんどない中小事務所にとって、第一印象で「この人、大丈夫か?」と思われたら、もう勝負は厳しいんです。
「行政書士とどう違うの?」問題
この方からも、「司法書士って行政書士と何が違うんですか?」という質問が飛び出しました。毎回うまく答えられずに困る問いです。専門的に説明すればするほど煙に巻いているように思われ、かといって簡単に言えば誤解を生む。地味だけど根深い悩みです。
いまだに「どこまで頼んでいいのか分からない」感覚
司法書士が扱える範囲を説明しても、「それって弁護士の仕事じゃないの?」とか、「税金のこともやってくれますよね?」と、なかなか正確に理解されないことも多いです。曖昧な境界線と、広すぎる期待が、信用というより“誤認”を生んでしまうのが実情です。
忙しい時ほど、こういう依頼人が現れる
皮肉なことに、忙しくて心に余裕がないときに限って、こういうタイプの相談が舞い込みます。まるで試されているかのようです。
「面倒な人」と「忙しさ」はセットでやってくる
案件が重なって「これは今日中に終わらせたい」と思っている日に限って、長時間話し込むタイプの人がやってきます。そして、なぜかそういう人ほど「信用してない」と言いながら、なぜか帰らない。時間が吸い取られていく感覚に、正直イライラを隠せないこともあります。
事務員との連携もギクシャクする瞬間
こういう場面で、事務員さんが気を利かせてフォローしてくれたり、タイミングよく別件の処理を進めてくれたりすれば助かるんですが、焦っている空気は伝染します。「先生、さっきの登記どうしますか?」なんて聞かれると、「今はやめてくれ〜」と心で叫んでます。
信用されないことに慣れてしまった自分
正直、こういう場面に慣れた部分もあります。でも、それは「成長」ではなく、ある意味で「麻痺」です。冷静に対応できるようになった分、心が鈍くなってきてる気がします。
何度も繰り返される「疑いのまなざし」
名刺を出しても目を合わせない人、料金表を見て「高いですね」とだけ言って帰る人。そんなやりとりを繰り返していると、「信用されること」がもはや例外になってきます。
慣れは麻痺、でも怒ると損をする
昔は心の中でブチ切れてたこともありました。でも、怒ったって依頼は来ないし、事務所の評判にも影響します。結局、笑って飲み込むしかないんですよね。そうしていくうちに、本音で話す機会もどんどん減っていきました。
信用を回復しようとすると余計に疲れる
「信じてもらえないなら、信じてもらえるよう努力しよう」と思った時期もあります。でも、実際はそれが一番疲れるし、報われないことが多かった。
「誠実でいようとする努力」が報われないとき
誠意を持って対応しても、相手が「そもそも疑ってかかる」スタンスだと、何をしても信用にはつながらない。話をよく聞いても、「ごまかそうとしてるんじゃないか」と裏読みされることもあります。
説明すればするほど疑われるパターン
とくに相続や不動産の話は専門用語が多く、かみ砕いて話すほど「なんか怪しい」と思われがち。短く言えば「雑にされた」と言われ、丁寧に言えば「くどい」と言われる。地味にメンタルが削られます。
同業者にも聞いてほしい「心がすり減る瞬間」
こうした体験、きっと他の司法書士の方も一度はあるはず。でも、みんなあまり表に出さない。だからこそ書きたいんです。
実はみんな、似たようなことを経験している
飲み会や支部の集まりで話していると、「うちにもそういう人いたよ」と意外と共感されます。みんな口には出さないだけで、抱えてるんですよね、同じような“消耗”を。
表には出ないけれど、相談してみると…
いざ相談してみると、「それ、うちはこうしてるよ」と意外と具体的な対処法も返ってきたりします。「自分だけじゃなかった」と思えるだけで、少しだけ気が楽になります。
「信用されること」が目的になってしまう危うさ
気づけば、「この人に信用されるために何をしよう」と必死になっている自分がいました。でも、それって本来の目的とズレているような気もするんです。
依頼人に振り回されないための距離感
信用されようと努力すること自体は悪くない。でも、それに全振りしてしまうと、「断る勇気」や「線を引く判断力」が鈍ります。全員に好かれるなんて無理だと、どこかで割り切ることも必要です。
信頼は「証明」ではなく「蓄積」で得るもの
一言で信じさせるなんて無理です。何度か話して、少しずつ「この人は大丈夫かも」と思ってもらうしかない。だからこそ、初対面で「信用できません」と言われても、そこで終わりと決めつけなくてもいいんです。
信じさせようとしないほうがうまくいく理由
不思議なことに、「信じてください!」と押せば押すほど疑われ、「ご判断はお任せします」と言ったときほど信頼されることがあります。人間関係って、逆説的ですね。
事務所運営者としてのジレンマ
個人事務所を運営していると、「嫌な依頼人は断ればいい」と思われがちですが、実際はそんな単純じゃありません。
依頼人を選びたいけど、選べない現実
事務所の収支を考えると、簡単に断れる案件なんてそうそうありません。「面倒でも受けないと次がない」というプレッシャーは常につきまといます。
断る勇気と、売上への不安
断ると「感じ悪い事務所」と思われないか? 口コミに悪く書かれたらどうしよう? そんな不安が、つい自分を弱くさせてしまいます。そうして、自分の中の「納得感」がすり減っていくのです。
それでも仕事を続ける理由
じゃあ、なぜ辞めないのか?答えはシンプルで、たまに「信じてくれる人」に出会えるからです。その瞬間だけは、報われた気持ちになります。
たまに出会う「信じてくれる人」の存在
「先生に頼んでよかった」「安心しました」――たった一言で、数ヶ月分の疲れが吹き飛ぶことがあります。これは、司法書士という仕事をしている者だけが知っている“ご褒美”なのかもしれません。
「司法書士っていいですね」と言われた日の救い
まれに、「こんな仕事があるんですね。司法書士ってすごい」と言ってもらえることもあります。そんな日だけは、少し誇らしくなって、また明日も頑張ろうと思えるんです。
最後に:これから司法書士を目指す人へ
この仕事には、「信用されない苦しみ」がつきまといます。でも、それを超えたところにしか見えない景色があるのも事実です。
華やかさはないけれど、意味はある
目立たないし、評価もされにくい。でも、誰かの人生の節目に関わることができるのが司法書士です。地味だけど、確かに意味のある仕事です。
「信用されない経験」こそが成長の種になる
痛みのある経験こそ、後から効いてきます。だからもし、初対面で「信用できません」と言われたら――ひとまず深呼吸して、それでも笑える自分を持っていてほしい。そんな風に思います。