「あの頃はよかった…」が通じない現実に、ふと立ち止まる瞬間
変わってしまった司法書士の現場
ふとした瞬間、「昔はよかったなあ」と口に出そうになって、自分でハッとする。そんな日が最近増えました。司法書士として20年以上やってきましたが、年々感じるのは「現場の空気が変わったな」という実感です。時代が変わったのだから仕方ないと分かっていても、やっぱりどこか寂しさがつきまとうのです。
電話一本で信頼された時代
昔は、地元の不動産屋さんから「今度の件、頼むよ」と電話一本で済んだものでした。お互いに顔を知っているから、細かい確認も不要。書類が揃っていなくても「分かってるから」と信頼されていました。もちろん今では考えられませんが、そこにあったのは“人間関係の重み”でした。
今は「書面」「説明」「エビデンス」だらけ
今では何をするにも書面が必要で、説明責任が問われます。「それってエビデンスありますか?」なんて聞かれるたびに、こちらも身構えます。仕事の精度は上がったのかもしれませんが、その分、神経をすり減らしている気がしてなりません。
何が失われ、何が得られたのか
形式的には進歩している。それは認めます。でも、失われたものも大きい。依頼人との信頼感や、安心して任せてもらえる空気感。それが今では「説明してもらえないと困る」「他の事務所にも聞いてみます」という姿勢に変わってきていて、正直なところ寂しさを感じます。
「昔ながら」が通じなくなった日常
「いつも通りでいいですよね」と言える相手が減りました。昔ながらのやり方が、今の若い依頼人には通じない。こちらが常識だと思っていたことが、時に非常識とされる。そんな違和感に、日々立ち止まらされます。
手書き文化からクラウド時代へ
昔は何でも手書きでした。修正液の跡が残る申請書に、少しの照れや誠実さが滲んでいた気がします。でも今はクラウドで共有、チャットでやりとり。便利にはなったけど、どこかで“人の匂い”が薄れてしまった。あの手書きのクセ字に感じていた温もりが、恋しくなる瞬間があります。
紙の温かみと、デジタルの冷たさ
紙は、ふとしたときに見返せる。あのときこの人がこう書いてくれたな、と心が動く瞬間があった。でもデジタルは、整理されてはいるけど無機質です。「効率化」と引き換えに、どこか大事なものが削ぎ落とされたように感じるのです。
お客さんとの関係性もドライに
昔は、「先生、今度うちの娘が結婚するんです」なんて話から、相続の相談に発展したりしました。ところが今は、要件だけを伝えて終わりという方も少なくありません。事務員との会話すら最低限で済まそうとする方も増えました。
「町の相談相手」から「業者」へ
かつては、司法書士は「町の知恵袋」的な存在でした。ところが今は「比較サイトで見ました」「見積りだけでも…」という時代。完全に“業者扱い”です。必要とされているのではなく、都合のいいコマとして見られている気がして、正直つらいです。
後進に伝えづらい“感覚のズレ”
若手の司法書士と話していて、よく思います。「それ、やる意味あります?」と聞かれて返答に詰まる。経験からくる“勘”や“気配り”が、うまく説明できない。教えるのが難しいし、通じない。そんなもどかしさを感じます。
若い司法書士との会話が噛み合わない
「書類は手渡しした方が安心感があるよ」と言えば、「PDFで充分ですよね?」と返ってくる。「昔のやり方」として一蹴されるのが当たり前になってきていて、何だか自分が古臭い存在のように思えてくるのです。
効率化は正しいけど、味気ない
効率化は、間違いなく大事。でも、その中で失われるものもある。あえて非効率なことをする中で、人との関係性が育まれていたということもあるんです。今の流れに完全に飲まれるのが、どうにも抵抗があるんですよね。
「それ、もうやめた方がいいですよ」と言われるつらさ
若い子に「先生、それやめた方が効率いいですよ」と言われた時、正論なのは分かるけど、心に刺さります。あぁ、自分は時代遅れなんだな、と痛感する瞬間。でも、それでも譲れない想いもあるんです。
地方ならではのしがらみと孤独
都会と違って、地方は人との距離が近い分、面倒くさいことも多いです。そして、悩みを吐き出す場所がない。専門職の孤独って、たぶん想像以上に重たいんです。
顔なじみの依頼主が減っていく
昔から付き合いのあった地主さんも、高齢で相談に来られなくなりました。新しい人との関係構築もなかなか難しい。人の入れ替わりが激しいわけでもない地方だからこそ、変化のスピードに取り残された感覚が強いです。
事務員に支えられて、なんとか回す
今では事務員さんが唯一の話し相手。愚痴も弱音も、全部受け止めてくれる。彼女がいなかったら、とっくに潰れていたと思います。でもそれも、相手に気を遣いながらなので、本音すらも出しづらいのが現実です。
愚痴を言う場所がない
同業者と話しても、みんなそれぞれに忙しい。「分かるよ」とは言ってくれるけど、それ以上踏み込んで話す場がない。SNSも合わないし、気軽に「最近しんどいんだよね」と言える場所があればなと思います。
それでも「やめない」理由
愚痴ばっかりだけど、やっぱりこの仕事を続けている自分がいます。なぜかと聞かれれば、答えはシンプルで、「やっぱり誰かの役に立ちたい」という気持ちが、どこかにあるからです。
昔を懐かしみながら、今を耐える
今がすごく充実しているかといえば、そうじゃない。でも、「あの頃はよかった」と思いながら、なんとかやりくりしている。変わってしまった現実の中でも、小さなやりがいや感謝の声を糧に、なんとか前を向いています。
たまに届く「助かりました」が心の支え
依頼人から「本当に助かりました」という言葉が届くと、それまでの苦労が報われたような気がします。効率とか制度とか、そういう話じゃない、人と人のやりとりがまだ残っていると感じる瞬間です。
司法書士としての意地と誇り
誰も褒めてくれなくても、自分だけは「ちゃんとやった」と思える仕事をしたい。そんな意地が、たぶん自分を支えているんだと思います。やめる理由はたくさんあるけど、やめない理由も、確かにここにあるのです。