「ありがとう」で救われる日がある
司法書士という仕事は、地味で、派手さもなく、誰かに褒められることも少ない。それでも、日々の忙しさに追われながら続けられているのは、ごくたまに返ってくる「ありがとう」の一言があるからかもしれない。そんな小さな言葉が、意外なほど力になることを、最近あらためて実感している。
正直、やってられない日も多い
たとえば、登記の締切が重なった月末。市役所や法務局を何度も行き来し、事務所に戻ると待っているのはクライアントからの催促の電話。机の上には未処理の書類。何もかもが追いつかない。こんな日が続くと「なんでこの仕事選んだんだろう」とすら思ってしまう。
書類の山、電話の嵐、時間に追われる毎日
とにかく一日中、目の前にある仕事を必死に片づけることに精一杯。ひとつ手を止めると、すぐに次の用事が飛び込んでくる。昼食もコンビニのおにぎりを立ったまま流し込んで、また電話対応。こんな毎日が「普通」になっているのが、恐ろしい。
それでも続けている理由ってなんだろう
結局、毎日くたくたになりながらもこの仕事を辞めずにいるのは、どこかで「必要とされている」と感じているからなのだろう。もちろん生活のためという現実的な理由もあるけれど、それだけじゃ説明できないものがある。感情の奥底に、妙な責任感がこびりついている。
報われない仕事、なのに辞めないのはなぜか
司法書士は裏方の仕事。華やかさはなく、失敗すれば責任だけがのしかかる。感謝よりもクレームのほうが多い。そんな職業に就いて、20年以上になる。それでも続けている自分を、時々自分で不思議に思う。
お金じゃない。使命感だけでもない
士業のなかでも、司法書士は報酬が安定しづらいと言われる。特に地方では、価格競争に巻き込まれることもある。稼ぎだけを考えるなら、もっと割のいい業種はいくらでもあるはずだ。それでも、なぜかこの仕事を選び、やめずにここまで来た。
自営業は自由?いや、むしろ不自由の塊
「独立してていいですね、自由でしょ?」とよく言われる。けれど実際は、自由に見えて全然自由じゃない。クライアントの都合、書類の期限、役所の開庁時間。すべてに縛られていて、気軽な休みも取れない。自営業って、そんなに夢のあるものじゃない。
「やりがい搾取」なんて言葉がよぎることも
「人の役に立てる」「感謝される」そういうやりがいを信じて頑張ってきた。でも最近では、その“やりがい”を理由に、自分を無理に奮い立たせてるだけじゃないかと疑うようになった。まるでやりがいに騙されてるような気分になることもある。
ふとした「ありがとう」がすべてを変える
そんな毎日の中で、心がほっとする瞬間がある。それが依頼人からの何気ない「ありがとう」のひと言。特別な感謝の言葉じゃなくていい。ただ、面と向かって、目を見て「助かりました」と言われるだけで、ずいぶん心が軽くなる。
依頼人の一言に、何度も助けられた
たとえば、相続の手続きを終えたときに「本当に安心しました」と言われたことがある。こちらは仕事として粛々とやっているだけだが、その人にとっては人生の節目。そんなときに頼られ、感謝されると、「この仕事でよかった」と思える瞬間がある。
言葉にならない想いを感じる瞬間
言葉にされなくても、表情や態度から伝わる「ありがとう」もある。涙ぐんだ表情でそっと頭を下げてくれたご遺族の方。あの瞬間だけで、数日分の疲れが吹き飛んだ気がした。人の感情って、案外、書類よりも重い。
苦情の100倍の力になる言葉
苦情や無理難題に振り回されることの方が多い。だが、感謝の言葉には不思議な力がある。1回の「ありがとう」で、10回分のクレームのダメージが癒える。たぶんそれが、この仕事をやめられない理由なんだと思う。
誰のために働いているのか、自分に問い直す
クライアントのため、家族のため、自分のため…働く理由はひとつじゃない。でも忙しさに流されていると、その目的すら見えなくなる。ふと立ち止まって、自分に問い直す瞬間が必要なんだと思う。
家族のため?クライアントのため?自分のため?
開業したころは、「家族を養うために」と思っていた。けれど気づけば、仕事の比重が大きくなりすぎて、自分自身を見失っていた気がする。誰のために働いてるんだっけ…そんな自問自答を、最近また繰り返している。
答えが出ないままでも、なんとかやってる
明確な答えは出ない。でも、日々の小さなやり取りの中にヒントがある気がする。事務員さんとの雑談、依頼人との雑談の一コマ。その一つひとつが積み重なって、自分を動かしている。そう信じて、今日もなんとかやっている。
続ける理由、それは「人とのつながり」
司法書士としての仕事に正解はない。ミスすれば怒られ、成功しても特に褒められない。そんな中で、唯一自分を支えてくれるのは、「人とのつながり」だ。クライアント、事務員さん、同業者…。そのつながりが、毎日を続ける原動力になっている。
疲れても、誰かの役に立っていると感じるとき
相続や登記、成年後見、どれも「人生の節目」に関わる仕事。自分が関わることで、少しでも誰かの負担が軽くなるなら、それだけで救われる気がする。「ありがとう」が聞きたくてやってるわけじゃない。でも、聞けた日はちょっとだけ報われた気がする。