まさかの「取り消したい」発言、その瞬間の心の声
登記が完了したあと、すべて終わったという達成感の中で、依頼人から「すみません、やっぱり取り消したいんですけど……」と言われたときの脱力感といったらない。もう正直、膝から崩れ落ちそうだった。「完了」って言葉、こっちの心の中で「終了」って意味なんですけど?と言いたくなる。でも言えない。にっこり笑って「事情をお聞かせいただけますか」としか言えない自分が情けないやら悲しいやら。
依頼人の一言で全身の力が抜けた
その日も朝からバタバタで、ようやく一件落着したとコーヒーを淹れた矢先に、電話が鳴った。電話の向こうの声は、先日登記を終えた依頼人。「ちょっと、取り消しってできますか?」とのんきな声。こちらの体内時計が止まったような気がした。「え、いま?」という言葉が喉元まで出かかった。いやいや、冗談でしょ?と思いたかった。でも相手は真剣。背中に変な汗が出て、目の前のコーヒーが妙に冷めていた。
事務所の空気が一変するあの感じ
事務所の空気が一気に重たくなる。事務員もこちらの表情を見てただならぬ気配を察知する。軽く「何かあったんですか?」と声をかけてくれるが、「いや、なんでもない」と返すしかない。いや、めちゃくちゃある。でも話したところで誰も救ってくれないし、結局このモヤモヤは自分で処理しなきゃいけない。あの重い空気の中で、思考だけがぐるぐると回っていた。
そもそも手続き完了って、どういう状態?
依頼人には「完了」と伝えると、すべてが白紙に戻せるとでも思っているかのような反応をされることがある。けれど司法書士にとっての「完了」は、登記が法務局で処理され、登記簿に反映されたということ。これは「終わり」ではなく、「もう戻れない」という意味だ。そう簡単に「取り消す」なんてできるわけがない。
法的には「もう戻れない」ライン
登記が完了するということは、法的な効力が発生している状態。つまり、それを取り消すには別の法的な手続きを踏まなければならない。印鑑証明も取り直し、委任状も再度作成、最悪の場合、裁判所を通すことすらある。これは単なる「やり直し」じゃない。「別件」と言ってもいいくらいの工数と手間がかかるのだ。
実務では「終わった」あとに始まる地獄もある
依頼人は「すみません、ちょっとだけ…」くらいの感覚かもしれない。でも、こちらとしてはまたゼロから段取りを組み直す必要がある。取引先への連絡、書類の差し替え、スケジュールの再調整。まるで映画のエンドロールが流れているときに「もう一回上映してくれ」と言われるような気分になる。いや、上映終わったんですけど?
依頼人はなぜ「やっぱり取り消したい」と言ってくるのか
こういう事態になると、「なぜ今さら?」と疑問に思わざるを得ない。でもよくよく話を聞くと、依頼人なりの葛藤がある。とはいえ、それに振り回されるのは現場の我々なのだ。感情に振り回されて二転三転することもあるし、こちらの説明が十分伝わっていなかった可能性も否定できない。
感情のブレ:家族の反対や気持ちの揺れ
「やっぱりやめとけって言われて…」という家族の一言に翻弄されるパターンは多い。本人は納得していたはずなのに、家に帰ったら家族会議でひっくり返る。人生の一大事とはいえ、だったら事前に相談しておいてくれと言いたい。そういう変更が生じるのは仕方ないにしても、せめて「手続き前」に言ってくれ、頼むから。
説明不足?こちらの落ち度だったのか
一方で、こちらの説明が不十分だったのではという不安もよぎる。「そこまで詳しく言っただろうか」「言ったつもりになっていたのではないか」。業務がルーチン化していると、当たり前に思っていることをつい説明から省いてしまいがちだ。依頼人にとっては一生に一度の経験であることを、いつも心に留めておかねばならないと痛感する。
取り消しが可能かどうかの見極めポイント
まずは「今の状態で何ができるか」を正確に判断することが大切だ。依頼人の感情に引きずられて動くと、かえって複雑化することもある。法的な観点と実務的な処理、両方を冷静に見極める必要がある。
登記完了=変更できない?
登記が完了したら、そのままでは変更や取り消しはできない。正確には「訂正」ではなく「別の登記」を行う必要がある。つまり、「誤ったから取り消し」は通らない。依頼人にはこの点をしっかり理解してもらう必要があるが、ここを丁寧に伝えるには相当なエネルギーが要る。何度も同じ説明をしても、響かないこともある。
取り消しには「別の手続き」が必要な現実
たとえば贈与登記を取り消したいという話なら、「贈与契約の解除」という形で新たな登記手続きが必要になる。これには双方の同意が不可欠で、相手が乗り気でなければ話が進まない。しかも、登記原因証明情報の再作成など、事務手続きも盛りだくさん。一言「やっぱりやめたい」で済む話ではない。
結局誰の責任? 依頼人か、自分か、制度か
こういう場面になると、自然と「誰のせいだ?」というモードになる。でも責任の所在を明確にしても、現場の苦労は減らないのが現実。それでも再発防止のためには、なにかしらの反省は必要になる。
「聞いてない!」の壁にどう立ち向かうか
「そんな説明受けてません」と言われた瞬間、どっと疲れる。証拠を残すために説明書面を渡して署名をもらっていても、「読んでないから無効」みたいな空気を出されると本当にしんどい。口頭説明も重要だが、書面の力を過信してはいけない。結局は信頼関係と念押しの積み重ねがモノを言う。
説明義務をどこまで徹底すべきか
完璧な説明なんて存在しない。けれども「誤解が起きる余地を減らす努力」は日々必要だ。私は最近、初回相談時に「この話、ちょっとややこしいですが大事なので聞いてください」と断ってから話すようにしている。少しでも相手の記憶に残ればいいな、という祈りにも近い気持ちで。
事務員との連携がモノを言う場面
こういうトラブルの際、頼りになるのが事務員の存在だ。ただ、無理をさせすぎると辞めてしまうかもしれない。頼りたいけど頼りすぎられない、そんな絶妙な距離感が求められる。
クッション役になってくれるありがたさ
うちの事務員は本当に気が利く。依頼人からの険しい電話にも、柔らかく応対してくれる。でもそれって精神的にかなりの負担になっているはず。事務員がうまくクッションになってくれると助かる反面、全部押しつけるのは違うな…と自己嫌悪に陥る瞬間もある。
でも巻き込むと疲弊する…バランスの難しさ
全件に事務員を巻き込むと、確実に疲れてしまう。結局は、重要な部分はこちらで受け止めるしかない。でも、全部自分で抱えて潰れてしまったら意味がない。分担のバランスが取れないと、事務所全体が回らなくなる。ここの調整は永遠の課題だと思う。
それでも司法書士を続ける理由
こうしたトラブルがあっても、なぜか続けている。それはやはり「ありがとう」の一言が時々もらえるから。そして「自分しかできない仕事をしている」という実感が、少しだけ心を支えてくれるからだ。
理不尽さの中にある、やりがいの種
何度も心が折れそうになった。それでも、依頼人が「先生にお願いしてよかった」と言ってくれた日のことを思い出すと、少しだけ気持ちが戻ってくる。毎回そうじゃない。でも、たまにそういう日があるから、やめられない。
「ありがとう」の一言で救われる瞬間
手続きが完了し、「本当に助かりました」と深く頭を下げられたとき、不思議とあれこれの苦労が薄れていく。その一言を聞くために、今日もまた、愚痴を抱えながら仕事をしている。いや、やっていられるのかもしれない。