「お任せします」の一言が生む、妙な緊張感
依頼人との会話の中で、「お任せします」と言われる瞬間ほど、こちらの心がざわつく言葉はありません。一見、信頼されているようで嬉しいはずなのに、なぜかプレッシャーばかりが重くのしかかってくる。地方の小さな司法書士事務所を一人で切り盛りしていると、こうした“判断の丸投げ”は日常茶飯事で、結局、責任の矛先がこちらに向かうのではという不安が消えません。
「お任せ=全部あなたの責任」になる不安
依頼者の言う「お任せ」は、本当にこちらの提案を信頼してくれているのでしょうか?それとも、面倒ごとを避けたいがために投げてきただけなのでしょうか。その違いを読み間違えると、あとで「そんなつもりじゃなかった」と言われてしまうこともあります。
説明しても、「それでもお任せします」の繰り返し
選択肢を出し、メリットとデメリットを伝えても、最後に返ってくるのは「やっぱりお任せします」。もうここまできたら覚悟を決めるしかないのかと、ため息をつきながら書類をまとめ始めることもしばしばです。
「判断を委ねられる」のは、仕事の醍醐味でもあるが…
司法書士という職業は、ある種「判断を売る仕事」でもあります。しかしそれが重荷になる瞬間も、正直なところ多いのです。特に地方では「先生にお任せするのが一番安心だから」というロジックがよく出てきます。
地方特有の「お任せ文化」との向き合い方
東京や都市圏に比べ、地方ではまだまだ「先生がすべて決めるもの」という空気があります。この“暗黙の信頼”が、時にこちらを追い詰めるのです。
断ると「冷たい」と言われるジレンマ
「ご自身でお決めいただくのが一番です」と返すと、「先生って意外と冷たいですね」と言われた経験もあります。ああ、これはもう受けるしかないのか…と、内心で泣きながら笑って返事をする日々です。
事務員にも「お任せします」と言われた時の絶望
うちの事務員は真面目でよく働いてくれるのですが、たまに「先生、どうします?」と聞かれた後、「私はお任せします」と返されると、膝から崩れ落ちそうになります。こっちも誰かに任せたいのに!
分担できるようで、結局一人で抱える構図
相談を受けて「じゃあ一緒に考えようか」と言っても、気づけば自分だけが判断を迫られ、気づけば一人で責任を背負っているというパターンはよくあります。
依頼者との関係性で緊張度が変わる
初対面の依頼者に「お任せします」と言われるのと、長年のお付き合いがある方に言われるのとでは、重みがまったく違います。とはいえ、どちらも緊張するのが本音です。
「長年の信頼」ほど怖いものはない
「先生に任せておけば大丈夫だから」——この言葉がいちばん怖い。なぜなら、その信頼を裏切るわけにはいかないからです。正直、心の中では「誰か助けてくれ」と叫んでいることもあります。
「お任せします」の裏にある“決断疲れ”
依頼者もまた、決断するのに疲れているのかもしれません。登記や手続きなど、自分の人生に関わるような選択を迫られているのですから、無理もありません。
寄り添いたい気持ちはある、でも限界もある
こちらも人間です。限られた時間の中で、常にベストな提案と説明をするのは難しい時もあります。疲れている日ほど、「お任せします」の破壊力は倍増します。
「お任せされない」喜びにも気づく
たまに、「私はこうしたいんです」とハッキリ伝えてくれる依頼者に出会うと、驚きとともに、感動してしまうことがあります。ああ、この人は自分の人生を自分で決めているんだな、と。
自分の役割が“支え役”に戻る瞬間
判断を委ねられるのではなく、意思決定を支える存在として動ける時、司法書士としての本来の喜びを感じられる気がします。あの安心感は、なにものにも代えがたいものです。
それでも「お任せします」と言われたら
結局、「お任せします」と言われるたびに、こちらも少しずつ鍛えられてきた気もします。責任は重いけれど、覚悟を持って向き合っていくしかない。そう、自分に言い聞かせながら日々を回しています。
その一言に、信頼が詰まっていることもある
愚痴をこぼしながらも、やっぱり「お任せします」に信頼の色が混じっていることも知っています。その想いに応えられる司法書士でいたい——そう思えるうちは、まだ頑張れるのかもしれません。