「この一言でいいのか?」——言葉選びに何時間も悩むあなたへ

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「この一言でいいのか?」——言葉選びに何時間も悩むあなたへ

言葉に時間をかけすぎる自分が嫌になるとき

「たった一文に何時間も悩んでるって、非効率すぎるよな…」と、自分に嫌気がさすときがある。司法書士という職業柄、文言一つがトラブルの火種になることもあるから、どうしても慎重になってしまう。でも、そんなに時間をかけて悩んだ結果、結局「最初の文に戻る」ことも多く、余計に落ち込む。時間をかけた分だけ成果があればいいが、そう単純でもないのが辛いところだ。

「これでいいのか?」という不安がつきまとう

登記申請書の理由欄、相続関係説明図の一文、依頼者への報告メール——たった数行の中に、どうしてこんなに不安が詰め込まれているのかと思う。あの言い回しで誤解されないか、後から突っ込まれないか、眠れなくなるほど気になる。たまに、前の文言に戻すために過去の案件を探し回っていると、自分が何をしているのかわからなくなる。

完成した瞬間に「全部やり直したい」と思う日々

散々悩んで書き終えたはずの書類でも、翌朝見直すと「なんだこれ」と思う。夜中の自分を信じてはいけない。だからといって朝の自分も信用できない。いつも「今度こそ」と思いながら書くけれど、納得できる文章なんて一度もない気がしてくる。これは仕事の性格上仕方ないと思いつつも、「これって本当に成長してるのか?」という疑念に飲まれる。

司法書士という職業に求められる“言葉の重み”

一般的な文章と違い、司法書士の文言は法的効力を伴うことも多く、一字一句が重要になる。軽率な表現が後にトラブルを引き起こし、信頼を失うこともあり得る。だからこそ慎重になるのだが、その“慎重さ”が自分自身をどんどん追い詰める原因にもなる。まさに諸刃の剣だ。

一文のミスが信用を揺るがす現実

たとえば「相続人である」と「相続人と思われる」では、天と地ほどの差がある。後者は保険をかけたように見えるが、前者が正確なら後者の表現は依頼者の不信を生む。逆もまた然りで、確定的な表現を使ったばかりに誤解やクレームを招くこともある。経験を積んでも、文言のバランス感覚はずっと難しい。

依頼人には伝わらない「こだわり」の苦しさ

こちらが何時間も悩んで選んだ一文を、依頼者は一瞬で読み飛ばす。「へぇ、そうなんですね」と軽く返されたときには、「あの2時間を返してくれ」と思うこともある。だけど、それが“普通に読めた”ことが成功でもあるから、文句も言えない。このジレンマがなかなかにキツイ。

事務員にも伝わらない…孤独な仕事の一面

うちの事務員は気が利くし頑張ってくれている。でも、こっちが文言で悩んでいるとき、「まだそれ書いてたんですか?」と言われたときの絶望感といったら。いや、責めてるわけじゃない。だけど、伝わらないこの“重さ”に、自分だけが地雷原を歩いてるような気持ちになる。

どうしても文言が決まらないときにやっていること

悩みに悩んでも答えが出ないとき、自分なりの逃げ道やルーティンがある。とはいえ、それが最適解とも限らない。ただ、少しでも自分をリセットできる手段を持っておくことは、精神衛生上とても大事だ。

散歩、寝る、別案件に逃げる

行き詰まったら、いったん席を立って事務所の近くを5分ほど歩く。ときには無理にでも寝る。「思いつかないときは他をやる」。これは自分が身につけた鉄則みたいなもので、意外と別案件に取りかかってる最中に「これだ」という言い回しがひらめいたりする。

逆に泥沼になる「推敲地獄」からの脱出法

何度も何度も書き直すうちに、もはや何が正解かわからなくなってくる。そんなときは、自分で「3回まで」とルールを決めるようにした。3回直しても決まらなければ、いったん提出用に仮止めする。その“区切り”がないと、無限ループに陥ってしまう。

“速さ”が正義の時代に抗うつらさ

最近はとにかく「早く」「効率よく」が求められる。でも、司法書士の文章作成に関しては、“速い=良い”ではない。むしろ“遅いけど正確”を評価してもらえるべきだと感じるが、現実はなかなかそう甘くない。

「そんなに悩まなくていいのに」と言われてイラっとする

「そんなに悩まなくても伝わりますよ」と軽く言われたとき、内心では「いや、そうじゃないんだよ」と思っている。何かあってからじゃ遅いんだ。伝わるかどうかではなく、誤解されないかどうかが重要で、その重みが理解されづらいのがもどかしい。

AIでは置き換えられない、けれど評価されにくい仕事

文章を自動生成するツールも増えてきた。たしかに便利ではあるが、細かいニュアンスや責任を背負う文言は、結局自分で書くしかない。でもその「見えない苦労」は評価されにくい。正直、報われないなと感じる瞬間は多い。

言葉で悩むことは“弱さ”なのか

言葉に悩むことは、時に「自信がない」と見なされる。でも本当にそうなのか? 自信のなさではなく、責任感と誠実さゆえに悩むこともある。それを“弱さ”だと切り捨てていいのだろうか。

迷うこと=不安な証拠。でも、それが仕事の質を生む

悩むのは、正直不安だから。でも、その不安があってこそ、細部まで目が行き届く。「大丈夫だろう」と思って書いた文章より、「これで本当にいいのか?」と問い続けた文章のほうが、後悔が少ない。だからこそ、迷うことを恥じずにいたい。

書くことに悩む人は、信頼される司法書士になれる

「そんなに悩む必要ない」と言う人もいる。でも、細かい表現にまで気を配れる人は、依頼者にとって安心できる存在でもある。悩みながら書くことをやめなければ、少しずつ信頼は積み上がっていく。

「自分だけじゃない」と思える瞬間を探して

他の司法書士さんと話すと、実はみんな同じようなことで悩んでいたりする。「ああ、自分だけじゃなかったんだ」と思えるだけで、少し楽になる。だからこそ、こうやって言葉にして発信していくことにも、意味があると思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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