「これ…読めますか?」解読不能な契約書に振り回された一日

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「これ…読めますか?」解読不能な契約書に振り回された一日

ある朝、机に置かれていた「謎の契約書」

事務所に出勤してデスクに座った瞬間、目に飛び込んできたのは、一通の契約書。事務員が「先生、これ…ちょっと見てもらえますか」と渡してきたその書類には、明らかに手書きで記載された部分があったのですが、それがとにかく読めない。まるで呪文か暗号か、もしくは子どもがいたずらで書いたようなグニャグニャ文字。眠気も吹っ飛びました。

判読不能な筆跡との出会い

契約書自体は印刷されていたのですが、一部の重要事項が手書きで補足されており、しかもそれがどうにも解読不能。見れば見るほど、書いた本人にしか読めないレベルの筆跡でした。もともと読みにくい字というのはよくありますが、今回は桁違い。ひらがなとカタカナの区別もつかず、漢字はもはや記号に見える始末。こんなものが契約文書として提出されるのかと、ため息が出ました。

事務員もお手上げ…どうにも読めない

事務員も「最初は自分の目が悪くなったのかと思った」と苦笑いしながら言っていましたが、やはりまったく読めなかったようです。スキャンしてPDF化し、拡大して見てみましたが状況は改善せず。「読めないものは読めない」という現実にぶつかった瞬間でした。

契約書は読めなきゃ意味がない

契約書というのは、内容が正しくても読めなければ意味がない。法律上の文書は、誰が見ても一意に理解できることが大前提です。にもかかわらず、今回のような筆跡で記載されていると、意思の確認もできず、後々トラブルになりかねません。まさに「読めない=無効」につながりかねない事態です。

文面は正しい。でも文字が敵

記載されている内容そのものは、法律的に見ても問題はなさそう。しかし、読めなければそれを判断することもできない。文字が敵になるなんて、司法書士になって20年以上経っても、なかなか慣れません。文字が読めないだけで、こんなにも業務が止まるとは。

スキャンすれば読める?OCRの限界

試しにスキャンしてOCR(文字認識ソフト)で読み取ってみましたが、結果は悲惨なものでした。変な記号や別の文字に置き換えられてしまい、逆に混乱するほど。結局、人の目と頭で「たぶんこう書いてあるだろう」と推測するしかない状態に。

相手方に確認するも…

こうなると、書いたご本人に確認するしかありません。電話をかけて、「恐れ入りますが、この記載部分、何とお書きになっているかご教示いただけますか?」とやんわり聞いたのですが、帰ってきた言葉が衝撃的でした。「えーと…自分でもちょっと読めないですね」

書いた本人が一番読めていないという悲劇

まさかの「自分でも読めない」。これはもうホラーです。せめて本人が覚えていてくれれば…と思っていたのですが、それすらも曖昧。何かの記号のような字が連なっているだけでは、記憶の糸も手繰れないようでした。

誰も悪くないが、誰も救えない

こういう場合、誰かを責めることはできません。書いた方に悪気があるわけでもなく、ましてや読めない文字が法的に罰せられるわけでもない。でも、業務としては完全に止まってしまう。責任の所在が不明確なまま、ただただ時間だけが過ぎていく…そんな無力感に包まれました。

時間は有限、でも手間は無限

たった一通の契約書に、午前中すべての時間を奪われました。読解と確認、連絡、再記入のお願い…報酬はもちろん変わりません。これが積もり積もって、1日1時間のロスが月に20時間、年に240時間。もはや見えない赤字です。

1通の契約書に3時間。しかも報酬は変わらず

文字を読むことにこんなに苦労し、しかもその時間がまったく報われないというのは、精神的にも辛いです。努力しても何も返ってこないタイプの疲れ。こういう業務、ありますよね。司法書士の仕事は、地味で孤独です。

こういうことに疲れて辞めた同業者もいる

こうした地味なストレスの積み重ねで、業界を離れていく仲間もいます。表には出ないけれど、「もう限界です」と去っていった先輩の言葉をふと思い出しました。私もその気持ち、わからないでもありません。

同業者に話してみたら「あるある」と共感の嵐

愚痴っぽくなってしまいましたが、こういう話は同業者に共有すると意外とウケが良かったりします。「あるある!うちは◯◯さんの字がまったく読めなくて…」など、共感の連鎖が始まるのです。

「あの人の筆跡、解読選手権できるレベル」

中には「これは筆跡というより芸術」と言われるほどの書き手もいるようで、まさに「読めないことを楽しむ」ような雰囲気にすらなることも。笑っていないとやってられない、というのが正直なところでしょう。

読み手を意識して書かない文化の闇

そもそも書類を「読ませる」目的ではなく、「提出する」ことが目的になっている方も多く、読めるかどうかは二の次。そういった文化の中で働くこと自体に疑問を感じる瞬間もあります。

対策はあるのか?ないのか?

残念ながら、万能の解決策は存在しません。事前に「楷書でお願いします」と書面に添えても、スルーされることもしばしば。業界全体の課題なのかもしれません。

事前に「楷書で」とお願いしても無視される現実

字を丁寧に書いてもらうようお願いしても、「これでも丁寧に書いてます」と言われることもあります。主観の違いが壁になっているのです。お願いベースの対策には限界があります。

チェックリストやフォーマットでは限界がある

記載欄をフォーマット化しても、どうしてもフリースペースに書き込まれる部分は出てきます。そこに限って解読困難な文字が入り込む。「チェック済み=読める」ではないのが悩みです。

今後に向けての地味な工夫

日々の工夫で少しずつ改善できる部分もあります。私は最近、なるべく手書き箇所を少なくし、入力欄を増やすようにしています。エクセルで仮フォームを送ってから印刷してもらうなど、試行錯誤中です。

手書き→タイピング移行を地道に誘導

「こちらで入力したものをお送りしますので、ご確認後にご署名ください」といった方法で、手書き量を減らす方向にしています。相手の手間も減るし、こちらも読みやすい。小さな工夫ですが、積み重ねが大事です。

電子契約の導入は一筋縄ではいかない

一部では電子契約の導入も進んでいますが、地域によっては「紙文化」が根強く、電子は信用されないこともあります。システム導入コストや高齢の顧客対応もあり、なかなか一足飛びにはいきません。

司法書士の心が折れないために

こういった小さなストレスにどう向き合うか。私自身もまだ答えは出ていませんが、「こういう日もある」と笑える心の余裕を忘れないようにしたいと思っています。

こういう日もあると割り切る「鈍感力」

すべてに丁寧に向き合っていると、自分が疲れてしまいます。多少は「まあ、しょうがないな」と流せる感覚を持つことが、この仕事を続けるうえで重要なのかもしれません。

無駄も含めて「仕事」と考えるしかない

読めない文字に時間を奪われる。非効率の極み。でも、それも含めて司法書士の現場です。効率だけでは測れないものがある。そう思えるようになったら、少しだけ心が楽になりました。

司法書士を目指す人へ伝えたいこと

この仕事、想像以上に「人の字」との戦いです。そしてその戦いは、あまり報われません。けれど、誰かの困りごとを、地道に、真面目に解決していくことには変わりありません。

字が読めないだけで1日が終わることもある

馬鹿らしいと思うかもしれません。でも現実です。きれいごとだけでは回らない。それでも、依頼者が感謝してくれたり、無事に手続きが完了したときの達成感は何ものにも代えがたい。

それでも続けられるのは、やっぱり人のため

読めない字に悩まされながらも、それでもやっぱり続けてしまう。人の役に立ちたいという想いが、最後には踏ん張る力になります。同じ道を志す方へ。理不尽なこともありますが、それを超えていく価値が、この仕事には確かにあります。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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