「それ、ググったら出てきたんで」──司法書士の存在意義が問われる瞬間

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「それ、ググったら出てきたんで」──司法書士の存在意義が問われる瞬間

「ググったら出てきたんで」の破壊力

「それ、ググったら出てきたんで」——その言葉を依頼人に言われた瞬間、なんとも言えない虚無感に襲われました。決して怒鳴られたわけでも、責められたわけでもない。ただ、静かに、自信がぐらつくような衝撃が走る。ネットで何でも調べられる時代。わかってはいたけれど、まさか自分の仕事そのものが“Googleで代用できる”と思われているとは。地方の小さな司法書士事務所を一人と一人で回している身には、この一言がやけに重くのしかかるのです。

あの日、依頼人に言われた一言

ある不動産の相続登記の相談で来られた依頼人。淡々と必要書類の説明をし、具体的な流れを説明したあと、「あ、それ、ググったら大体出てきたんで」と笑顔で言われました。その瞬間、目の前がスッと冷める感覚。いや、別に悪気がないのはわかっています。ただ、“それ、もう知ってる”って言われた気がして。わざわざ来てもらった意味って何だったのか、自分にしかできないことって何なのか、根底から問われるようでした。

一瞬で感じた「存在否定感」

まるで、自分の存在が軽く扱われたような、そんな気分でした。司法書士として誇りをもってやってきたつもりでしたが、ああ、自分は“検索結果の延長線上”でしかないのかと。どれだけ丁寧に対応しても、どれだけ法令を読み込んでも、画面越しの情報と同列に並べられる。それが現実なんだと、痛感しました。もちろん本質的には違う。でも、その違いを伝えるのは簡単ではないんですよね。

ネット情報と司法書士の仕事のギャップ

Googleは便利です。たいていの用語も、手続きの流れも、誰でも無料で調べられる。でも、それと実際の業務との間には深くて暗い谷があるんです。そのギャップを依頼人が認識できているかどうかで、こちらの仕事の意味が大きく変わってきます。

調べれば出てくる、でも理解はできない

「所有権移転登記」「法定相続人」…たしかに検索すれば出てきます。AIも使える時代です。でも、その言葉が“意味するもの”は、状況によって全然違う。例えば「戸籍を全部そろえた」と言われても、実際には“改製原戸籍”が抜けているとか、養子縁組が記載されていないなど、見落としが多い。検索ではフォローしきれない細かさや“行間”が、この仕事にはあります。

法的根拠が「断片的」な危うさ

ネット情報の多くは、断片的な知識に過ぎません。たとえば「遺産分割協議書には印鑑証明書が必要」という情報は正しい。でも、“誰の”印鑑証明書なのか、“いつまでに”揃える必要があるのか、それはケースによって変わる。ここを誤解して提出してしまうと、法務局から差し戻されて余計な手間と時間がかかります。その時になってようやく「プロの力が必要だった」と気づく。悲しいけれど、そんな流れが多いのも事実です。

手続きには“行間を読む”技術が要る

登記申請書一つとっても、「ここをこう書けば通る」という判断には経験と法令解釈が必要です。書式の整合性、添付書類の妥当性、法務局ごとの“クセ”まで含めて、手続きは成立しています。Googleはそこまで教えてくれません。つまり、“調べた情報”と“実務で通る書類”には見えない差がある。これを埋めるのが、我々の役割なのです。

「知ってる」と「できる」は別物

登記の仕組みを“知ってる”のと、“実際にできる”のとでは雲泥の差があります。料理のレシピを読んだからといって、美味しい料理が作れるわけじゃないのと同じ。なのに、司法書士の仕事って、外からは「ただ書類を揃えて出してるだけ」に見えてしまう。この認識のズレに、日々悩まされています。

時代の変化と司法書士の価値の変遷

時代は確かに変わりました。昔は「司法書士の先生」と呼ばれ、多少なりとも“尊敬”が前提にあった気がします。ところが今や、検索と自動生成AIの時代。専門家の価値は、ますます“見えづらく”なっています。

昔は「先生」だった、今は「検索の代替」?

昭和の時代は、士業といえば「先生」と呼ばれ、話すだけでありがたがられるような空気がありました。でも今は違います。「費用は?」「どれくらいでできます?」の直球質問が、初回相談の冒頭から飛んできます。それ自体が悪いとは思っていません。でも、“信頼”よりも“費用対効果”をまず求められるこの風潮に、少し寂しさを感じるのも正直なところです。

顧客が「自分でできそう」と思う理由

「ネットで見たら、自分でもできそうに思えたんです」——これもよく聞くセリフです。でも実際には、途中で書類が揃わなかったり、登記が通らなかったりして、再依頼が来ることも。最初から頼ってくれていれば…と思うことは多いですが、それもまた時代の流れ。無理に逆らうより、こちらが変わるしかないのかもしれません。

本当に価値を届けられているのかという不安

正直な話、ここ数年で「自分の仕事に価値はあるのか?」と考えることが増えました。毎日業務に追われて、事務員さんにも助けられながらやっているけれど、時々ふと立ち止まりたくなるんです。

毎日感じる、無力感と徒労感

スケジュールに追われ、登記の書類を一つ一つチェックし、電話とメール対応に追われて一日が終わる。その中で「これ、自分じゃなくてもいいんじゃないか」と思う瞬間がある。特に、依頼人が“作業”としてしか見ていないとわかると、何とも言えない無力感に包まれます。

丁寧にやっても、評価されない虚しさ

ミスがないよう、誤字脱字一つにも気をつけて書類を作成しても、それが評価されることはほとんどありません。むしろ、スピードが少しでも遅れると「まだですか?」と言われる。努力が当たり前と思われる世界では、モチベーションの維持が本当に難しいと感じます。

事務員にも「それ、ネットに書いてましたよ」

一緒に働く事務員さんが、最近ふとしたときに言うんです。「これ、Googleで見たら書いてありましたよ」と。もちろん悪気はない。でも、“あなたの仕事、もう分かりますよ”的な響きがして、内心ぐさっとくる。頼れる存在だからこそ、余計に複雑な気持ちになります。

それでも司法書士として仕事を続ける理由

それでも、やめようとは思いません。なぜかというと、やはりこの仕事には“人の節目に関われる力”があるからです。登記は人生の一場面。そこに立ち会えることが、何よりのやりがいです。

顔を見て「ありがとう」と言われると救われる

いくらネットに情報があっても、実際に不安を抱えて事務所まで足を運んでくれた人に、対面で「大丈夫ですよ」と言ってあげられるのは、自分のような存在だけだと思っています。そして、最後に「本当に助かりました、ありがとうございました」と言われると、それだけで一日分の疲れが吹き飛ぶことがあります。

専門家として、まだ役に立てる場面がある

すべての人が「ググったらOK」と思っているわけではありません。特に高齢の方や、相続や登記に不安を抱えている方には、専門家の存在が心強いと感じてもらえています。その一人ひとりに寄り添うために、今日も事務所を開けています。

若手やこれから司法書士を目指す人へ

もしこの記事を読んでくれている若い司法書士さん、または目指している方がいるなら、伝えたいことがあります。たとえ時代が変わっても、専門職の価値はゼロにはなりません。必要とされるために、こちらがどう変わるか。その覚悟があれば、きっと続けていけます。

情報社会でも通用する司法書士になるには

ネットの情報が溢れる時代だからこそ、“調べてもわからないこと”を扱える力が必要です。言い換えれば、情報ではなく「判断」や「安心感」を提供できるか。そこが、これからの司法書士に問われている力だと思います。

「作業者」ではなく「解釈者」になる

法令の内容や申請方法をそのまま実行するだけでは、いずれAIに取って代わられます。でも、“このケースではどう読むか”“どう伝えるか”といった判断力は、まだまだ人間の役目です。司法書士は、法と現実の間を橋渡しする“解釈者”であるべきだと思います。

“検索してもわからないこと”を価値にする

例えば「この添付書類で通るかどうか」を経験から判断できる。それってGoogleには載っていません。相談者の不安に“言葉を選んで伝える”ことも、検索では代替できないスキルです。その価値を自分自身が認めてあげることが、第一歩だと思います。

自信を失っても、辞めないでほしい

日々の業務の中で、評価されず、孤独を感じることもあるでしょう。僕もそうです。でも、司法書士として誰かの助けになれる瞬間は、確実にあります。その一瞬一瞬が、きっとあなたの仕事の価値を証明してくれるはずです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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