「どっちの味方なの?」依頼人同士の板挟みで心がすり減るとき

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「どっちの味方なの?」依頼人同士の板挟みで心がすり減るとき

「どっちの味方なの?」依頼人同士の板挟みで心がすり減るとき

なぜ依頼人同士の意見が食い違うのか

共同名義の不動産、兄弟姉妹での相続、夫婦での会社経営。司法書士の現場には、そうした「二人以上の依頼人」が関わる案件がけっこうあります。そして、その関係性が良好なまま最後までいくなんてことは、残念ながら稀です。大抵は途中から空気が怪しくなり、ある日突然「あれ? もしかしてこの2人、仲悪くなってる?」と察することになります。私たちが見ているのは法律書類でも登記でもなく、人間関係のひずみかもしれません。

そもそも「利害が一致していない」関係

例えば相続の現場では、「皆で公平に分けましょうね」と言いながら、本音では「私は少し多めにほしい」と思っている人がいます。そしてもう一方もまた、「私だって苦労して介護したんだから」と主張したい。結局、お互いの言い分が少しずつズレていて、それがやがて修復不能な意見対立に発展してしまうのです。司法書士として中立の立場を取りたい気持ちはあっても、現実にはその隙間にズブズブと沈んでいくような感覚に襲われます。

最初は穏やかでも、急に揉め始める瞬間

私の実体験では、何の問題もなく進んでいた相続手続きが、ある一通の郵送書類をきっかけに激変したことがあります。姉妹での相続だったのですが、片方が「署名して送りました」と言っているのに、もう片方は「えっ? 中身が全然違う」と反論。こうなると地雷原。たった1枚の文書の表現の違いが、十年以上蓄積された不満に火をつけるのです。

「言った」「言わない」の泥沼に引きずられる

「先生、前にあの人がこう言ったじゃないですか」——こういう電話が来ると、私は胃のあたりを押さえます。「いや、そんなこと言ってましたっけ?」と返すと、「覚えてないんですか?!」とさらに怒りの火に油が注がれます。こうして私は、意見の食い違いを記憶で裁く裁判官のような立場に立たされるのです。勝者はいません。敗者は私の胃だけです。

板挟みになる司法書士の現実

「中立でいることが大切」——これは司法書士として基本姿勢です。でも、現場ではそんな理想論では乗り切れない瞬間が山のようにあります。誰かにとっては味方に見える言動が、もう一方には裏切りに映る。私たちの一言一言が「どっちについたか」を常に問われているような気がします。

中立の立場?それ、理想論です

以前、夫婦で経営していた会社の登記変更を担当した際、私はただ中立に進めていたつもりでした。でも奥さんの方から「先生、最近は夫側に肩入れしてませんか?」と言われ、絶句したことがあります。発言のトーン、メールの順番、電話のかけ方、すべてが「立場の偏り」として見られてしまう世界。中立って、そんなに簡単なもんじゃない。

優しくすればナメられ、強く出れば怒られる

言葉を選んで丁寧に接すると、「この先生、ちょろいな」と思われる。一方で、きっぱり言えば「なんでそんな偉そうなの?」と言われる。まるで踏み絵です。私たちの言動は常にジャッジされていて、どんな対応をしても100点にはならない。そう分かっていても、やっぱり日々神経をすり減らすわけです。

精神的にすり減る日々のリアル

正直、何度この仕事を辞めようかと思ったことか。依頼人同士の対立に巻き込まれて、「私のせい?」と感じる夜が何度もありました。理屈で割り切れないストレスが、じわじわと精神を蝕んでいきます。

電話が鳴るたびに胃が痛くなる

あるときから、スマホの着信音に軽く吐き気を覚えるようになりました。「今度はどっちだろう…」「また言い合いの巻き添えか…」と、電話に出るまでの5秒で、頭の中がぐるぐる回るのです。まるで爆弾処理班のような気分になります。

「自分が悪いのでは?」と思い始めたら危険信号

冷静に考えれば自分の責任ではないのに、毎回謝罪したり、なだめたりしていると、「自分の対応が悪いのでは?」という思考に陥ります。これはとても危ない兆候で、自分を責め始めた瞬間から、どんどん疲弊が加速していきます。まさにメンタルが溶ける瞬間です。

依頼人対応の中で見えた対処法

完全に解決できる方法なんてないのが現実。でも、それでも少しでもラクになる工夫はあります。経験上のささやかな知恵をご紹介します。

記録を残す、それだけでも少しラクになる

言った・言わないの応酬を減らすためには、記録を残すのが最善です。電話の内容はすぐにメモにして、できればメールで要点を送り返す。「さっきの件、こういう内容で承知しました」と伝えるだけで、後々のトラブルをかなり減らせます。

言った・言わないの証拠は自分の保身にもなる

これは自分を守るためでもあります。記録があると、自分の発言がどうだったか、誰に何を言われたかが客観的にわかる。「そんなこと言ってない」と言われたとき、「メールで確認してます」と返せるのは精神的にもかなり救いになります。

事務員さんの存在が心の支えになる

ひとりで全部抱え込むと、間違いなく潰れます。私の場合、事務員さんがいてくれることで、ずいぶん救われています。誰かに愚痴をこぼせる、同じ状況を共有してもらえるというのは、それだけで精神の安定に直結します。

ひとりで抱え込まないことの大切さ

事務員さんに話すことで「ああ、自分だけじゃないんだ」と思える瞬間があります。問題を解決できなくても、「その気持ち、わかりますよ」と言ってもらえるだけで、すーっと肩の力が抜けるのです。

それでも板挟みは無くならない

どれだけ対策をしても、どれだけ記録を残しても、対立する依頼人の間に挟まれるという構造は変わりません。司法書士という職業が持つ業(カルマ)なのかもしれません。

「経験値が上がればラクになる」は幻想かも

私は20年近くこの仕事をしていますが、正直、依頼人の人間関係に挟まれるつらさは、経験を積んでも減りません。むしろ「またか…」という疲労の蓄積がある分、若い頃よりダメージが深い気がします。

逃げ場がないときにできる、小さな工夫

それでも逃げ場がないとき、私は好きな音楽を流したり、昼休みにコンビニで好きなスイーツを買ったりして、気持ちをリセットするようにしています。些細なことでも、自分のメンタルの浮き沈みに気づいて、ちょっと手当てしてあげることが、継続のコツかもしれません。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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