疲れが限界を超えたある日のこと
地方で一人事務員と共に細々と司法書士事務所を回していると、「今日はもう限界かもしれない」と感じる日が確実にやってきます。書類は山のように積み上がり、電話も鳴り止まず、依頼人の急な要望にも応えなければならない。そんな日々が連続していたある日、心も体もすっかり疲弊していました。誰にも弱音を吐けず、自分でも「もういい加減にしてくれよ」とつぶやくような日。そんな中でふと交わされた依頼人のひと言が、思いもよらず私を救ってくれたのです。
たった一人の事務所、終わりの見えない書類仕事
事務員さんがいてくれるとはいえ、実際のところは私自身がほぼすべての案件を見ています。登記申請一つにしても、添付書類の確認、依頼人との連絡、補正対応、提出、その後の完了処理とやることは山ほどあります。終わりが見えない作業に囲まれていると、自分が機械のように感じてくることもある。とくに年度末や相続シーズンになると、家に帰る時間も削られ、ただただ仕事を消化するだけの毎日に心が乾いていきます。
ミスが許されないというプレッシャー
司法書士の仕事は「間違えたら笑ってごまかす」が通用しません。たった一文字のミスが依頼人に大きな不利益を与えることもあるし、補正では済まずに手続きが遅れるケースもある。気を張っている時間が長すぎて、精神的な疲労が溜まるのが早い。しかも、誰もその緊張に気づいてはくれない。何事もなかったように処理できるのが当たり前、という評価の世界にいると、「誰のために頑張ってるんだろう」とふと立ち止まりたくなるのです。
依頼人のひと言にハッとした
その日も、午前中から相続登記の相談2件と抵当権抹消の立会があり、昼食も取らずに事務所に戻ってきました。午後は申請書類の確認と押印依頼の電話。ほぼ意識が朦朧とする中で最後の依頼人に書類を手渡したとき、その方がぽつりと一言、こう言ったのです。「今回はありがとうございました。またお願いしたいです」。たったそれだけ。でも、心に刺さったのは、疲れていたからだけじゃありませんでした。
「またお願いしたいです」と言われた瞬間
その瞬間、私はほんの数秒、時が止まったような感覚に陥りました。普段、感謝されることが少ない仕事です。「ありがとう」すら言われないまま、事務的に終わっていく案件も多い中で、「またお願いしたい」という言葉には特別な意味がありました。この人は、私の仕事ぶりを信頼してくれた。手続きが終わったあとも、また頼りたいと思ってくれた。そう思うと、何とも言えない安堵と喜びが胸に広がってきました。
自分の仕事に意味があったんだと気づいた
疲れ切って「もうこの仕事やめたい」と思っていたその日に、たった一人の依頼人が「またお願いしたい」と言ってくれた。その言葉だけで、積み重ねてきた努力が報われたような気がしたのです。お金のためだけではなく、自分の仕事が誰かの人生の役に立っている——その事実が、私の心をもう一度立て直してくれました。
司法書士の仕事は”感謝されにくい”職業？
残念ながら、司法書士の仕事は「いて当たり前」「できて当然」と思われがちです。表に出ることもなく、スポットライトも当たらず、むしろ「間違えたら責められる」立場です。依頼人にとっては、結果がすべて。どれだけ丁寧にやっても、それが見える形で評価されることは少ない。
「当たり前」を積み重ねる日々
「ミスがないのが当たり前」「対応が早いのが当然」そんな空気の中で働いていると、こちらがどれだけ努力しても誰も気づかないのが普通になってきます。例えるなら、ずっと裏方で舞台装置を動かしているようなものです。誰かの拍手は主役に向けられる。裏方には「次もよろしく」と冷たく言われるだけ。そんな毎日だからこそ、「またお願いしたい」というひと言は、まるで舞台袖に飛んできた一輪の花のようでした。
クレームは届くが、感謝は届きにくい現実
間違いがあった時の電話やメールは即座に届きます。「どうなってるんですか？」「まだですか？」という怒りの言葉は、なぜか音量が大きく、心に重く響きます。けれど、うまく処理できた時、誰かが「助かりました」と言ってくれる確率は非常に低い。だから、ほんのわずかな言葉でも、それがどれだけ司法書士にとって支えになるか、知られていないだけで、実はものすごく大きな意味を持っているのです。
小さな言葉が心を支えてくれる理由
司法書士としての日々の中で、報酬以上に励みになるのは、依頼人の言葉です。特別な表現でなくていい。飾らなくていい。ただ、本当に感謝してくれていると伝わる一言があるだけで、「また明日も頑張ろう」と思えるのです。そう思える日は、1日1件だけでも充分です。
金銭的報酬より効く「言葉の報酬」
もちろん生活のために働いていますし、報酬も大事です。ただ、金額だけでは得られない「この仕事を続けてよかった」と思える瞬間は、やはり言葉に宿っています。「またお願いしたい」「助かりました」「安心しました」——この手の言葉は、たとえ1000円の報酬にも勝る価値を感じます。だからこそ、何年たっても忘れられない言葉があるのです。
なぜか涙が出た。そんな日がある。
それほど感情的なタイプではないつもりでした。でも、不思議とその日は涙が出てきました。「あ、俺、限界だったんだな」とそのとき初めて気づいたのです。疲れていても、自分では気づかない。でも、優しい言葉をかけられたときに、感情の糸がぷつんと切れる瞬間があります。そんな経験、きっと他の先生方にもあるのではないでしょうか。
「ありがとう」よりも心に刺さった言葉
「ありがとう」ももちろん嬉しい言葉ですが、「またお願いしたいです」にはもう少し深い意味があるように思います。「信頼」と「期待」がこもっている気がするのです。そこに、形式的でない、素直な気持ちが見えるから、ぐっと心に響いてくる。言葉は本当に不思議です。同じように感謝しているはずなのに、選ばれた言葉によって、これほどまでに受け取る側の気持ちが変わるのですから。
他の司法書士さんにも伝えたいこと
司法書士は孤独な職業です。誰にも弱音を吐けず、ただ真面目に黙々と働き続ける。それが求められる世界。でも、だからこそ、仲間内での小さな共有や、ちょっとした励ましが、とても大きな意味を持ちます。私が「またお願いしたいです」と言われて救われたように、あなたにもきっと、心を支える言葉があったはずです。
みんな疲れてる。だけど、孤独じゃない
SNSで愚痴る時間もない人が多い業界ですが、だからこそ、こうした場所で少しでも「わかる」「自分だけじゃなかった」と思えることがあれば、それだけでも意味があると思っています。完璧であることを求められるからこそ、疲れて当然なんです。でも、それはあなただけじゃない。全国の司法書士の多くが、似たような孤独と戦っている。そう思えるだけで、少し肩の力が抜けませんか？
「またお願いしたいです」は次に踏み出す力になる
この言葉があったから、私は今日もまた、事務所に鍵を開けることができました。あの日の一言がなければ、今頃この仕事を続けていたかどうかはわかりません。それほどに、大きな力を持っているんです。誰かに認められたという感覚、必要とされているという実感、それが私たち司法書士を支える、目に見えない「もうひとつの報酬」なのだと思います。
