「まだいたんですか?」その一言で全部が嫌になる日

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「まだいたんですか?」その一言で全部が嫌になる日

「まだいたんですか?」——何気ない一言に心がざわつく

先日、市役所の窓口で登記に関する書類の確認をしてもらっていた時のこと。手直しを終えた書類を提出しに、再度訪ねたとき、窓口の担当者に言われた。「あれ、まだいたんですか?」と。にこやかに笑っていたが、その言葉に心が沈んだ。別に悪意があったわけじゃない。それは分かっている。でも、その一言がまるで「もう帰ってくれ」と言われているように聞こえた。疲れた体と心には、ちょっとした言葉がずっしりのしかかる。

予期せぬ言葉に、思わず時が止まる

たぶん、あの人にとっては何気ない一言だったんだろう。「あれ、また来たんですね」くらいの意味だったのかもしれない。でも、朝からずっと動き回って、食事もとらずに書類と格闘していた身としては、その言葉に「邪魔者扱いされた」と感じてしまった。ふと我に返って、自分が思ったよりも疲れていることに気づいた。

役所の窓口で起きた小さな出来事

たかが一言、されど一言。窓口で交わされるやりとりは、数分の出来事にすぎない。でも、司法書士にとっては書類を持っていく先が「役所」であることが多く、こういった対応ひとつひとつが積み重なる。大きな問題ではない。でも、気持ちの棘になるには十分だ。

言った本人に悪気はない、それが余計にしんどい

怒るに怒れないし、落ち込んでも言葉にできない。だって、相手は悪気がないのだから。むしろ「感じすぎ」「気にしすぎ」と言われる。でもそれをずっと飲み込み続けると、心の中で“何か”が擦り減っていく。愚痴を言える相手がいなければ、それは静かにひび割れになっていく。

「何をそんなに気にしてるの?」と言われても

こういう話をすると、大体「そんなことで?」という反応が返ってくる。わかる、わかってる。でも、気にするなと言われても、それができるなら最初から落ち込まない。そもそも、司法書士という仕事は気にしすぎるくらいでちょうどいい。だから、つらい。

繊細すぎる?いや、積み重ねの結果です

一度や二度のことではこうならない。日々、神経をすり減らしながら仕事をしていると、些細な一言で心が揺らいでしまう。書類の間違いを防ぐために、何度も見直しをし、人間関係にも気を配る。その緊張状態が、油断したときにこうして爆発する。

忙しさに押しつぶされそうな日々の中で

この日は朝から相続登記の相談2件、午後には抵当権の抹消登記、さらに後見業務の手続きまであった。間に昼食を挟む暇もなく、唯一の事務員にも確認を頼んでいる余裕がなかった。こういう日々が続くと、ちょっとした言葉が、堪えきれなくなる。

司法書士という職業の「見えないストレス」

司法書士の仕事は、外から見れば「書類の専門家」とか「手続きのプロ」と思われている。でも、その裏には多くの感情労働がある。依頼者に気を遣い、役所に気を遣い、法務局に気を遣い、事務員にも気を遣い、最終的に自分には何も残らない。そう感じることが多々ある。

相談者に気を遣い、役所に気を遣い、自分には何も残らない

相続の案件で、「まだ名義変わってなかったんですか?」と責められることもある。いや、遺産分割協議がまとまらなかったからでしょう?と思っても、それを言うと険悪になるので、黙って謝る。「ご心配おかけしてすみません」と。疲れる。だけど、それが仕事。

感情労働の連続と、その消耗

「書類に感情なんて関係ない」と思っていた時期もある。でも実際は、依頼者の感情をどう受け止めるか、相手の立場をどう慮るか、それが大部分を占めている。だからこそ、無意識に疲弊する。どんなに手際よく処理しても、感情が削れていくのだ。

事務員さんにも気を遣ってしまう自分

うちの事務員はよくやってくれている。でも忙しいとき、何かお願いするとき、つい「大丈夫かな」「無理させてないかな」と考えてしまう。気を遣ってるつもりが、逆に自分の首を絞めていることに、最近ようやく気づいた。

「ちゃんとしてるね」と言われるための裏側

たまに「この事務所、すごくきちんとしてますね」と言ってもらえることがある。ありがたい。でもその裏で、何度も確認し、何度も修正している。失敗が許されないプレッシャーのなかで、なんとか回している。裏側を知ってほしいとまでは言わないけれど、せめてもう少し、余裕が欲しい。

期限、確認、書類、確認、確認…また確認

とにかく「確認」の毎日。メールの誤字、住所の数字、印鑑の位置。ほんの小さなミスが、大きなトラブルになる業界だから、慎重になりすぎる。でもそれが、精神的にキツい。誰にも文句を言えないし、自己責任で処理するしかない。

凡ミスを避けるために眠れなくなる夜もある

寝る前にふと「あの書類、ページ抜けてなかったか?」と頭によぎる。もう一度事務所に戻ろうかとさえ考える。疲れていても眠れない。神経が過敏になっているのを感じる。それが、ミスを恐れる司法書士のリアルだと思う。

同業者やこれから目指す人に伝えたいこと

こんな話を書くと、司法書士を目指している人の夢を壊してしまうかもしれない。でも、これが現実でもある。だからこそ、無理せず、弱音を吐ける場所が大事だと思う。カッコつけなくてもいい。つらい日は、つらいって言っていい。

愚痴りたくなるのは、ちゃんと向き合っている証拠

仕事をしていると、必ずしも感謝されるとは限らない。それでも毎日向き合っているなら、それだけで十分すごいと思う。たまには愚痴ったっていい。むしろ、愚痴を言えるということは、それだけ真剣に仕事をしているという証なのかもしれない。

感情を押し殺すより、言葉にしてみると少し楽になる

「つらい」「しんどい」「もう限界」——そう言葉にしてみるだけで、不思議と少しだけ楽になる。誰かに聞いてもらえたら、もっといい。私は今こうして文章にしているけど、それだけでもずいぶん気が晴れる。

「こんな日もある」と言える仲間の存在が救いになる

同業者の集まりで、同じような経験をした人の話を聞くと、ほっとする。「あ、自分だけじゃないんだ」と思えるだけで、また明日もやってみようという気になれる。人間って、案外そんなもんだと思う。

それでも続けている理由

なんでこんなに大変なのに続けているのか?と聞かれると、うまく答えられない。でもたぶん、誰かの不安を少しでも和らげられている実感があるからだと思う。それが、司法書士としてのやりがいなのかもしれない。

誰かの安心になっていると信じたい

「この書類、助かりました」「あなたに頼んでよかった」——そんな言葉をたまにもらえる。その瞬間だけは、全部のしんどさが報われる気がする。だから今日もまた、がんばってしまう。

そして、自分自身を守るためにも

最後には、自分を守れるのは自分だけ。だから、限界を超える前に立ち止まること。疲れたら休むこと。愚痴を言うこと。そんな小さな自己防衛が、長くこの仕事を続けるためには必要なんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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