「もうAIでよくない?」って言われた瞬間、司法書士として何を思ったか。

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「もうAIでよくない?」って言われた瞬間、司法書士として何を思ったか。

「AIでよくない?」の一言に込められた現実

ある日、知人との雑談中にふと投げかけられた一言。「司法書士って、もうAIでよくない?」――。その瞬間、笑顔で返したつもりだったけれど、胸の奥にズシンと重く響いたのを覚えている。最近はAIで契約書も登記書類も作れる時代になってきている。それでも、そんなふうに言われると、自分の存在意義が薄れていくようで、正直つらい。司法書士として働いてきた年月の重みが、一瞬で吹き飛ばされるような気がした。

突然の一言に頭が真っ白になった

「え?あぁ、うん……そうかもね」と返しながら、内心はパニック。冗談で言っているのか、それとも本気なのか、その場では確かめる余裕すらなかった。まるで自分の職業がもう必要ないかのように聞こえた。今までもAIやテクノロジーの進化には意識していたけれど、こんなにも直球で「不要」を突きつけられたのは初めてだった。

相手は悪気がないのがまた辛い

この手の発言、たいていは悪意があるわけじゃない。「AIすごいよねー」「自動でやってくれるなんて楽だよねー」といった、軽い会話の流れ。だからこそ余計にキツイ。悪気がない分、こちらの苦悩は理解されないし、同情されることもない。笑って流すしかないのが、何よりしんどい。

冗談のようで、冗談じゃなかった感覚

「冗談だよ」と言われても、言葉は耳から離れない。冗談の裏には少なからず本音がある。それが“世間の声”であるかのように感じてしまう。「この仕事って、果たして将来性あるんだろうか?」と、自分の中でもモヤモヤしていた疑問が、突如として現実味を帯びてきた瞬間だった。

司法書士の価値ってそんなに低いのか?

資格を取るまでの努力、日々の業務、依頼者との信頼関係……それらすべてが「AIでいいじゃん」の一言で片づけられるのかと思うと、心が折れそうになる。確かに、士業のなかにはAIのほうが効率的にこなせる業務もある。だが、「人だからこそ」の価値を見落としてはいないか。

ネットに溢れる「AIで十分」論

少し検索すれば、「司法書士 AI 代替」といったキーワードが並ぶ記事がいくつも出てくる。「登記はAIがやる時代」「書類作成は自動化できる」など、まるで当たり前のように語られている。そういった言葉に日々さらされることで、自信も揺らぐ。

「便利さ」と「正確さ」は本当に同義?

確かにAIは速くて便利。けれど、それがイコール「正確」ではないことも多い。例えば、登記の内容ひとつとっても、依頼者の事情や背景によって判断が必要なケースがある。その判断を、果たしてAIが適切にできるのか。便利さの裏で、取りこぼされるリスクに誰が気づくだろうか。

実際、AIと司法書士業務の境界線はどこか

AIが発展する中で、私たち司法書士が担っている業務はどこまで自動化され得るのか、どこからが「人でないとダメ」な領域なのか――。それを見極めることが、これから生き残っていくためには避けて通れない課題だと思う。

AIが得意な業務と苦手な業務

登記情報の取得、定型書類の作成、スケジュール調整……このあたりはすでにAIやシステムが得意とする分野だ。しかし、少し複雑な判断を求められる案件、家族間の感情が絡むような相続の場面では、AIの対応には限界がある。誰かが泣きながら話す相談に、AIがどれだけ寄り添えるか。

定型処理は確かに強い

例えば、所有権移転の登記申請のように、パターンが決まっていて必要書類が揃っていれば、AIは間違いなく速くて正確だ。それを否定するつもりはない。むしろ、私自身もAIの力を借りて業務を効率化している。しかし、それだけで司法書士の全業務がカバーされるとは到底思えない。

でも、「空気を読む」判断はできない

人間同士の会話には、言葉に出ない「空気」がある。依頼者の表情、沈黙、視線の揺れ、そうした細かなサインを受け取って、「本当はこう思ってるんだな」と気づく。AIにその“勘”はない。そこにこそ、司法書士としての職人芸があると信じている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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