「今日で一段落ですね」の一言に、思わず胸が詰まった日。

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「今日で一段落ですね」の一言に、思わず胸が詰まった日。

「今日で一段落ですね」と笑った依頼人――その一言が刺さる日もある

その日もバタバタと動き回って、やっと終わりが見えた午後。登記が完了したことを伝えると、依頼人はホッとしたように微笑んで「今日で一段落ですね」と言った。何気ない、むしろ感謝を込めた一言だと思う。けれど、なぜだろう。私はその瞬間、ぐっと胸が詰まって言葉が出なかった。依頼人にとっては「終わり」でも、こちらにとっては「通過点」だからだろうか。それとも、その言葉の軽さに、抱えているしんどさが急に浮き彫りになったからかもしれない。

何気ない一言にこみ上げるもの

思い返せば、この仕事に就いてから「ありがとう」と言われるたびに、少し救われてきた。でも、「一段落ですね」は、違う種類の言葉だった。なぜこんなに響いたのか、自分でも不思議だが、「やっと肩の荷が下りました」と言った依頼人の安堵の顔と、自分の疲労感とのギャップがありすぎたのかもしれない。共に終わった感じではなく、取り残されたような気がした。

こちらの疲労に気づかない“やり切った感”との温度差

もちろん依頼人に悪気がないことは分かっている。でも、目の前で達成感に浸る姿を見ると、こちらの気力や時間、神経を削って処理してきた過程が、一瞬で片付けられたような気分になる。自分だけが走って、自分だけが立ち止まれない。そんな孤独感に押しつぶされそうになることが、司法書士という仕事には確かにある。

日常は「一段落」なんてない――登記の連続、問い合わせの嵐

世間的には「登記が終われば一段落」というのが常識かもしれない。でも、実際の現場では、登記の処理が終わったらすぐに次の案件が待っている。電話、メール、役所とのやり取り――止まることはない。それを毎日、黙々とこなしていると、「一段落」なんて言葉は、どこか夢の中の話のように感じる。

一件終わっても、机には次の申請書類

デスクの上はいつも書類の山。1件終わっても、2件目の準備、3件目のチェック、4件目の補正対応と続いていく。かつては一つ一つに達成感を覚えていたが、今は“終わってよかった”と思う間もなく、次に取り掛からないと間に合わない。まるでマラソンを走り続けながら、誰かに「よく走ったね」と声をかけられるような、そんな妙な違和感。

「あとこれだけお願い」で増える仕事量

依頼人との関係もあるから、無下に断れない。「ついでにこれもお願いできますか?」は日常茶飯事。気づけば、当初の案件よりも追加のタスクの方が多くなっていることもある。終わったはずの仕事が、いつまでも終わらない。そういう積み重ねが、心の余裕をじわじわと削っていく。

依頼人は悪くないけれど、心がすり減る

正直なところ、依頼人に怒っているわけではない。でも、心が疲れていると、ちょっとしたお願いすら重くのしかかる。「少しのことなんですが…」の“少し”が、こちらには“大きな負担”になることもある。そんな日々が続くと、自分の気持ちの浮き沈みさえコントロールできなくなる時がある。

事務員は一人、それでも回さなければならない現実

地方の事務所ということもあり、スタッフは私と事務員の二人だけ。お互いに全力で回しているけれど、体調を崩したらすぐに業務が滞る。サポートが少ないからこそ、ミスは命取り。だけど、人を増やす余裕もない。ギリギリの綱渡りを続けながら、今日もどうにか回しているのが現実だ。

体調不良=仕事が止まる恐怖

風邪を引いても休めない。熱があっても、締切は待ってくれない。何かあったら…と想像するだけで怖い。とくに繁忙期には、多少の不調でも無理して出勤してしまう。健康管理も仕事のうち――そう言い聞かせながら、でも年齢とともに身体も無理が利かなくなってきているのを痛感する。

「誰かに頼めば?」の簡単さに傷つく

たまに言われる。「誰か雇えばいいじゃないですか」と。でも、地方で経験のある人材を探すのは至難の業だし、そもそも予算がない。ようやく見つけた人が合わずに辞めてしまったこともある。外からは簡単に見えるだろうが、内情を知らない人に言われると、なんとも言えない悔しさと虚しさが込み上げてくる。

地方では人材募集すらままならない

都会とは違い、求人を出しても応募がゼロということも珍しくない。そもそも司法書士事務所という職場自体が地域にほとんどないから、未経験から教えるにも時間がかかる。教えながら自分の仕事もこなす――そんな余裕がある状況なら、悩んでいない。求人票を書く手も、重くなるばかりだ。

なぜ「一段落」という言葉が重く感じたのか

冷静に考えれば、ほんの一言。けれど、その一言の裏には、「この人は終わった」と思っている現実と、「私は終わっていない」という事実がある。それを言葉にされると、見たくなかったものが突きつけられるような、そんな感覚になる。もしかしたら、もう少し楽になりたいと心が叫んでいたのかもしれない。

ゴールは依頼人にとってのゴールであり、自分には通過点

司法書士にとって、仕事のゴールは“依頼が完了すること”ではない。完了後の管理や補正対応、トラブルの火種の監視など、「見えない仕事」が山ほどある。だから、依頼人がゴールテープを切って拍手するその横で、こちらはまだ走り続けている。そんな構図がしんどいのだ。

「終わってよかったですね」より「これからが大変ですね」が現実

本当の正直な気持ちを言えば、「終わってよかった」なんて一瞬も思えない時がある。終わったからこそ、次の仕事に取り掛からねばならないから。終わるたびに次が来る――それがこの仕事のサイクルであり、常に未来のタスクに追われている。だから、「お疲れさまでした」よりも、「次も頑張ってくださいね」の方が現実的に感じる。

司法書士の心のケアは誰がしてくれるのか

医者には医者のメンタルケア、教師にはスクールカウンセラー。では司法書士は?相談相手がいない。家族にも話せない。事務員に愚痴を言うわけにもいかない。孤独な専門職だと痛感する。ときどき、「今日は何のために働いているのだろう」と問いかけてしまう日もある。

本音を出せる場所のなさが蓄積される

SNSで発信しても、誰かの目を気にしてしまうし、業界内での立場もあるから自由に書けない。本音を吐き出す場がないと、どうしても溜め込みがちになる。今回のように、たった一言が引き金になって感情が噴き出すのは、そういう背景があるからなのだろう。せめてこのコラムが、同じように感じている人の心を少しでも軽くできればと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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