「元気そうですね」に隠されたしんどさ:笑顔の裏にあるもの

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「元気そうですね」に隠されたしんどさ:笑顔の裏にあるもの

「元気そうですね」に感じる違和感

「元気そうですね」──この言葉、褒め言葉に聞こえるかもしれませんが、受け取る側の心境によっては、妙に重たく響くことがあります。私もよく言われます。確かに見た目はそれなりに整えてますし、仕事も何とか回っているようには見えるのでしょう。でも、その日たまたま一睡もできなかったり、心のどこかがすり減っていたりしても、「元気そうですね」の一言でその内側はスルーされてしまう。そういう時、ふと「いや、実は全然元気じゃないんだけど」と呟きたくなるのです。

言葉だけが独り歩きする不思議

「元気そうですね」という言葉は、いわば社交辞令の一種。でも、言った本人に悪気がないだけに余計にしんどい。たとえば、先日市役所で書類の相談をした際、窓口の方に言われたんです。「先生はいつも元気そうですね」って。たしかに笑顔を作っていました。でもその日は事務員が休みで、一人で5件の電話と3件の来客をさばいたあと。心の中では「元気そうに見えてしまう自分がうらめしい」とさえ思いました。

実はその言葉、刺さってくる

人は見た目じゃ分からない、とはよく言いますが、「元気そう」という言葉は時に、“ちゃんとしてないといけない”というプレッシャーになります。昔、体調を崩したときに「先生にしては珍しいですね、元気そうだったのに」と言われたことがあります。何かを怠っていたように聞こえてしまって、それ以降、無理にでも「元気そう」を演じるようになってしまった。たかが言葉、されど言葉。軽い言葉ほど、心の奥に刺さることがあるんです。

元気そうに見えるって、そんなにいいこと?

元気そうに見えるのは確かに損ではないかもしれません。でも、それが習慣になってしまうと、自分の本音がどんどん奥に押し込められていく。司法書士という仕事は人前に立つことも多いし、信頼が大切です。だから、なるべくポジティブな姿勢を見せたいという気持ちはあります。ただその「ポジティブさ」が時に自分の首を絞めることになるとしたら、それはやっぱり考えものです。

無理してでも笑ってしまう習慣

昔から「真面目でしっかり者」と言われ続けてきたせいか、どうしても人前では笑ってしまう癖があります。たとえ内心では胃が痛くてたまらなくても、「大丈夫です」と言ってしまう。そんな癖が、司法書士になってますます強くなりました。ある時、取引先の方に「先生っていつも明るいですよね」と言われたとき、思わず「ありがとうございます」と返したけど、その直後、車の中でどっと疲れが出て動けなくなったこともあります。

“しっかりしてる”と言われ続けた副作用

「しっかりしてる」って言葉、よく使われますよね。確かに悪い意味ではない。でも、裏を返せば「あなたは崩れてはいけない人」と言われているようでもあるんです。私もよく「先生なら大丈夫ですよね」と頼られることがあります。でも人間ですから、もちろん調子の悪い日もある。にもかかわらず、しっかり者のイメージを壊さないように、さらに頑張ってしまう。そしてまた疲弊する。このループ、抜け出すのが本当に難しいんです。

司法書士という職業が抱える「元気なフリ」文化

司法書士は士業の中でも「黙々とこなす職人」的なイメージがあるかもしれませんが、実際はかなりコミュニケーションが必要な仕事です。依頼者に安心してもらうためにも、常に「自分は大丈夫ですよ」という雰囲気を出す必要があります。でもそれが長く続くと、表面だけがどんどん元気になって、中身がついていかなくなることも。元気なフリを“プロの仕事”と勘違いしてはいけないんですよね。

お客様の前では弱音を吐けない

業務の性質上、依頼者からは「この人に任せておけば安心」と思ってもらう必要があります。だから、多少の体調不良やメンタルの落ち込みがあっても、つい強がってしまう。昔、葬儀後すぐに相続の相談に来られたご家族を対応したとき、自分も体調を崩していたのですが、表には出せませんでした。その後、自分が倒れかけて、ようやく「無理してたな」と気づいたんです。

「頼れる専門家」という理想像

士業には「知識も豊富で冷静沈着な専門家」というイメージがつきものです。だから、こちらが動揺したり、感情的になったりすることはなるべく避けるようにしてしまう。私も何度となく「先生なら安心ですね」と言われてきました。でも本音では、「そんなふうに見せるの、けっこうしんどいんですよ」と思ってしまうこともしばしば。理想像に引っ張られて、自分の感情を置き去りにしないようにしたいです。

孤独な現場でのプレッシャー

小さな事務所を一人で切り盛りしていると、誰にも相談できないプレッシャーが常につきまといます。事務員も気を使ってくれるけど、そこに弱音を漏らすのも気が引ける。結果として、自分の中にストレスをため込んでしまうんです。誰かが見てくれているわけでもなく、間違えたら全部自分の責任。そんな状況下では、自然と“元気そうな自分”を演じるしかなくなるんですよね。

事務員の前でも気を張る日々

一人事務員を雇っていますが、やはり「雇っている側」という意識があるので、つい気を張ってしまいます。本当は一緒にしんどさを共有したい気持ちもあるんですが、「弱音を吐いたら心配させるかも」と思ってしまい、結局何も言えないことが多い。お昼の会話で「今日はバタバタでしたね」と言われても、「まぁ、なんとかね」と笑うしかない。こうしてまた、“元気そうな人”が出来上がっていくのです。

実際はボロボロの日もある

「元気そうですね」と言われたその日に限って、実はメンタルが底をついていたりします。人から見える部分と、自分の実感にギャップがあるほど、孤独を感じやすくなる。元気な自分と、本当の自分の差に気づいたとき、ふと「こんなふうに頑張らなくてもいいのでは」と思う反面、「今さら崩れたら立て直せないかも」という恐怖もあるんですよね。

「元気そうですね」の裏で眠れぬ夜

表向きはにこやかに過ごしていても、夜になると不安に押しつぶされて眠れない──そんな日は少なくありません。特に月末や繁忙期には、やり残した業務や書類のチェックが気になって、脳がずっと活動している感じがします。「明日も“元気そう”に見せなきゃ」と思うと、なおさら眠れない。そしてまた次の日、「元気そうですね」と言われてしまう。このループ、なかなか抜け出せません。

相談できない性格が裏目に出る

もともと人に頼るのが苦手な性格なので、ちょっとした不調も我慢してしまいます。だからこそ、余計に「元気そう」に見えるんでしょう。昔、事務所を始めたばかりの頃、税務や労務の相談も全て自分で背負い込んで体調を崩しました。ようやく専門家に相談してみたら、あっけなく解決したのですが、「あのとき素直に頼っていれば」と後悔しました。元気そうなフリをやめるのも、一つの勇気なんですよね。

言われて嬉しかった一言もある

とはいえ、すべての言葉が重くのしかかるわけではありません。中には、「本当に心配してくれてるんだな」と感じられる言葉もあります。そういう一言に救われることもあるんです。だからこそ、自分も誰かに声をかけるときは、気遣いのある言葉を選びたい。相手が「元気そう」に見えても、本当に元気かどうかはわかりませんから。

「大丈夫?」と本気で聞かれた瞬間

先日、以前一緒に働いていた同僚から久しぶりに電話があり、「最近どう?元気?」と聞かれました。何気ない会話だったのですが、最後に「本当に大丈夫?」と一呼吸おいて聞かれたとき、思わず「いや、実はけっこうしんどい」と漏らしてしまいました。そのあと30分ほど話し込んで、だいぶ気持ちが楽になったんです。誰かが本気で気にかけてくれるだけで、救われることもあるんですよね。

“元気そう”ではなく“心配してるよ”

「元気そうですね」はどこか一方的。でも「心配してるよ」は、相手に寄り添おうとする気持ちが見える。自分も、依頼者や事務員に声をかけるとき、こういう気遣いのある言葉を選べるようになりたいなと思います。そして自分自身にも、「たまには元気じゃなくてもいいよ」と声をかけてやれるようになれたら──それが今の小さな目標です。

司法書士を目指す人へ伝えたいこと

このコラムを読んでくださっている司法書士の方、あるいはこれから司法書士を目指している方に伝えたいのは、「元気そうに見えることが正義じゃない」ということです。専門職である以上、信頼は必要です。でもそれと引き換えに、自分の心を犠牲にしてはいけない。しんどい時は、しんどいと言っていい。そう思える社会であってほしいと願っています。

「元気そう」な人ほど相談してほしい

一番危ないのは、「何でもできる人」と思われている人ほど、孤立してしまうこと。だから、自分から発信するのが難しくても、誰かが声をかけてくれるのを待たずに、「実はちょっと疲れてる」と言ってみてほしい。私もできるだけそう言えるように努力しているところです。完璧じゃなくていい、元気じゃなくてもいい──司法書士だって、一人の人間です。

プロであっても人間です

士業というと、強くて頼れる存在でなければいけないと思われがちですが、プロフェッショナルだからこそ、ちゃんと自分のケアが必要です。風邪をひけば休むように、心が疲れたら休んでいい。そう思えるようになってから、少しだけ仕事にも余裕が持てるようになりました。

つらさを見せる勇気を持っていい

他人に弱さを見せるのは、恥ではありません。それは信頼の証です。もし職場で、家庭で、あるいは友人との関係で、「元気そうに見せる」ことに疲れたら、一度その仮面を外してみてください。自分の本当の気持ちに気づくチャンスです。

孤立しないための工夫

たとえば定期的に同業の仲間と近況を話す、誰かに週に一度は相談する時間をつくる。それだけでも心の安定度が変わってきます。仕事の中で生まれるストレスは、仕事だけで解決しようとせず、日常の中で吐き出せる場所を持つこと。それが、司法書士として長く続けていくための鍵になるのではないかと思っています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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