「初めての登記」という言葉がもたらす緊張感
ある日、予約の電話で「初めての登記なんです」と言われたとき、こちらの胸に走るのは、ほんの少しの緊張と大きめのため息だ。経験のない相手に一から説明するのは、言ってしまえば「説明力の試験」を毎回受けるようなもの。しかも、合格点は相手の気分次第。やさしく、わかりやすく、でも時間はかけすぎず……そんなバランスが本当に難しい。
相手は素人。だからこそ気を遣う
当然ながら、登記なんて人生でそう何度も経験することではない。相手が分からなくて当たり前。でもその「分からない」の度合いが予測できないのが困る。住所変更がなにかも知らない人もいれば、事前にネットで調べすぎて逆に混乱している人もいる。相手の知識レベルに合わせるというのは、実は一番消耗する作業だったりする。
一見シンプルな案件に潜む地雷
新婚夫婦の所有権移転登記、ぱっと見は簡単そうに見える。だが実際には、住所の違い、建物の未登記、固定資産評価証明書の取得漏れ……と、どこに落とし穴があるかわからない。しかも、こちらが何かを説明すると「そんな話、聞いてませんでした」と返ってくる。この“聞いてません”地獄、慣れててもやっぱりしんどい。
新婚夫婦が抱える“不安”と“期待”
彼らにとってはマイホーム取得という人生の一大イベント。その節目に関わるのは名誉でもあるが、責任も重い。「私たち、間違ってないですよね?」という不安が言外に漂う中で、変に強く出ることもできず、かといって任せきりにもできず。説明と安心感の同時提供が求められる。
説明が不十分だと一気に信頼を失う
たった一言の言い間違いや、専門用語のまま流してしまうことで、相手が「この人、本当に大丈夫なのかな?」と思ってしまう。その瞬間から信頼が揺らぎはじめ、表情がこわばり、会話がぎこちなくなる。「すみません、もう一度いいですか?」が連発されると、こちらも焦ってミスしそうになる。負の連鎖だ。
相手に合わせすぎて自分が疲れるパターン
丁寧に言い換え、例えを交えて、なるべく優しい言葉を選び……とやっていると、だいたいこちらが先に息切れする。しかも夫婦間でも温度差があり、片方が理解して頷いていても、もう片方はスマホを見ながら「ふーん」と曖昧な返事。気を遣うあまり、終わる頃にはこちらの方がヘトヘトになる。
登記の基本をどう説明するか、毎回悩む
そもそも登記ってなんですか?というレベルの質問は、こちらももう何十回と答えてきた。それでも、毎回少しずつ違う言い方を模索してしまうのは、自分の説明が“伝わっていない”と実感しているから。言葉選び一つで伝わり方がまったく変わってしまう。
専門用語を使えば使うほど相手の表情が曇る
「所有権移転登記」「抵当権設定」「登記原因証明情報」——言葉にした瞬間、相手の顔から血の気が引いていくのが分かる。これらを全部かみ砕いて、何とか生活感ある言葉に置き換えないといけないのだが、頭の中での“翻訳作業”にエネルギーを持っていかれてしまう。
「抵当権」「所有権移転」って言われてもね…
こちらとしては毎日見ている文言でも、相手にとっては異国の言葉。それを無理に理解させるより、生活の中での出来事になぞらえて話す方が早い。たとえば「抵当権は、銀行が担保を持ってるようなもんです」と言ってみる。すると「あーなるほど」となる。でも、毎回うまくいくとは限らない。
例え話も通じないときの絶望
以前、「結婚指輪を預けてるようなもん」と例えたら、「それはイヤですね」と返されて、場が変な空気に…。結局、例えも相手次第。ボケてもスベることも多い。こっちは必死に寄り添おうとしてるのに、伝わらないもどかしさが残る。
「説明力」なんて、身につけるのに10年はかかる
登記の知識は試験で学んだ。でもそれを“伝える力”なんて、どの教科書にも書いてなかった。現場で失敗しながら少しずつ身につけるしかない。正直、今でも「ちゃんと伝わったのか?」と不安になることの方が多い。
司法書士試験じゃ教えてくれなかった
六法全書を丸暗記しても、説明が下手なら意味がない。どんなに理論武装しても、相手の心に届かなければ信頼は生まれない。知識よりも、“空気を読む力”が重要なのだと、仕事を始めてから痛感した。
自分の説明が下手なんじゃないかという自責の念
「なんでこんなに伝わらないんだろう」と、自分を責める日もある。もしかして向いてないんじゃないか、と頭によぎる。でも、次の日も予約は入っているし、気持ちを切り替えるしかない。ほんと、心が折れそうになる。
事務員さんのサポートに助けられた一言
隣でそっと補足してくれる事務員さんの一言が、場を和ませることがある。気の利いたフォローに、心の中で「ありがとう」と何度も呟いたことか。彼女の存在がなかったら、もっと説明の壁にぶつかっていたと思う。
第三者の目線ってやっぱり大事
司法書士という立場上、どうしても“上から説明する”形になりがち。そんなとき、事務員さんが「つまりこういうことですよね」と相手の立場に寄り添った言葉で補足してくれると、空気が一変する。第三者だからこその説得力だ。
説明の工夫で乗り越えた瞬間
手探りで言葉を変えたり、図を描いてみたりして、ようやく相手が「わかりました!」と言ってくれたとき、その一言に全てが報われる気がする。こちらも自然と笑顔になるし、疲れも少し軽くなる。
「あっ、わかりました」の笑顔に救われる
その瞬間の“笑顔”は、こちらにとっても心からのご褒美。言葉で信頼を築けた感覚があって、「やっててよかったな」と思える数少ない場面の一つだ。
でも、それが毎回うまくいくわけじゃない
当然、全てが順調に進むわけじゃない。今日はうまくいったけど、明日はまた違うタイプの依頼者が来る。その繰り返しに、正直くたびれる。でも、それでも続けていくのがこの仕事なのだ。
結局、気疲れするのが常
新婚夫婦が帰ったあと、ふと椅子に座って深いため息をつく。笑顔で送り出したはずなのに、自分の肩はガチガチにこっている。「気を遣う」ってこういうことかと、改めて実感する。
笑顔で帰られても、こちらはグッタリ
たとえ相手が満足して帰っていっても、自分の中では反省点ばかりが残る。もっとこう言えばよかった、あの質問には別の答えがあったかも……。自分に厳しすぎるのかもしれないが、性格だから仕方ない。
「丁寧な説明」と「業務効率」のジレンマ
一人一人に丁寧な対応をしていたら、一日があっという間に終わってしまう。でも、スピード重視で接すると「冷たい」「事務的」と感じられてしまう。このジレンマに、今も答えは出ていない。
時間をかけすぎると他の仕事が回らない
登記の相談に1時間かけたら、その日の残りの仕事が雪崩のように押し寄せてくる。でも、相手に急かすような対応はしたくない。だから結局、自分だけが遅くまで残って帳尻を合わせている。
でも急ぐと「冷たい人」に見られる
こちらが悪くなくても、「説明が雑」「不親切」と言われたこともある。その度に自分の接し方を見直すのだが、全ての人に完璧な説明をするのは、やっぱり無理がある。
それでも続ける理由
「あなたに頼んでよかった」「丁寧に教えてくれて助かりました」——そんな言葉をもらうと、やっぱり頑張ってよかったと思える。報われる瞬間があるからこそ、また明日も机に向かう。
たまにある「ありがとう」が心に残る
その一言のために、また同じ説明を何度でも繰り返す。愚痴も多いけど、それでもこの仕事は、嫌いになれない。
いつか慣れる日が来ると信じて
まだまだ説明には自信がない。でも、少しずつ、ほんの少しずつでも、うまく伝えられるようになっている気はする。そう信じて、また次の“初めての登記”に立ち向かう。