「契約書って必要ですか?」と真顔で聞かれた日の衝撃
それはある晴れた平日の午後、外回りから戻ってデスクに座った瞬間、一本の電話が鳴った。地元の中小企業の経営者からの相談だった。内容は業務委託の話で、それ自体はよくある案件。しかし、詳細を詰める段階になってこちらが「では契約書のひな形をお送りしますね」と言ったとたん、相手は静かにこう言った。「契約書って、必要なんですか?」と。冗談だと思って笑いそうになったが、電話の向こうの声は真剣そのもの。背筋が冷たくなった。
常識が通じない瞬間にぶつかる
司法書士として長くやっていると、たまに「えっ」と思う瞬間に出くわすことがある。けれど、この「契約書いらない発言」はトップクラスだった。こちらは法的安定性を確保し、双方の責任や権利を明文化するために契約書を作成している。にもかかわらず、その存在自体を疑問視されるとは…。何より厄介なのは、相手に悪気がまったくないことだ。
「信頼してるから大丈夫でしょ」の破壊力
よくあるのが、「契約書なんて信頼関係があればいらないでしょ」という論理。確かに、信頼は大切だ。だが、トラブルは“信頼があったはず”の相手とも起きる。むしろ、信頼していたからこそ契約が曖昧で、揉めるケースは後を絶たない。先日も、「言った」「言ってない」で揉めて、結局裁判沙汰になった案件があった。
冗談かと思ったけど、目は本気だった
この手の発言を聞いた時、多くの司法書士はまず「ジョークかな」と受け取る。でも、こちらが「いや、必要ですよ」と答えると、相手は逆に「なんでですか?」と真顔で返してくる。そこでまた説明を始めるのだが、だんだんと話がすれ違っていくのを感じる。感情ではなく、論理で納得してもらわなければならない難しさがある。
契約書軽視の裏にある“地方特有の空気感”
地方で司法書士をやっていると、都会とは違う「人付き合いの空気感」にぶつかる。契約書を交わすという行為そのものが、「相手を疑ってる」と思われるケースがある。昔ながらの商習慣が色濃く残っていて、「顔を立てる」という文化が、法的整備よりも優先されてしまうのだ。
なぁなぁ文化が根強く残る土地柄
「昔から知ってるから」「親戚の紹介だから」「あの人に限ってそんなことはない」——そんな理由で契約書を省略するケースは未だに多い。実際、こちらが慎重に書類を整えようとすると、「そんなに堅苦しくしなくても」と苦笑いされることもある。だが、その“ゆるさ”が後に火種になる。
言った言わないを避けるために働いてるのに
司法書士の仕事の根幹は、「証拠を残すこと」「明文化すること」だと思っている。なのに、そこを軽視されると、こちらの存在意義ごと揺らぐような気がする。事務員にも「なんでこの人たち、契約書ナシで平気なんですかね…」と聞かれたことがある。正直、こちらも答えに詰まった。
司法書士としての葛藤と疲弊
こういう“契約書軽視モード”の人と話していると、精神的にかなり消耗する。こちらは法的な安全を守りたいだけなのに、「書類にうるさい人」扱いされるのは、地味に堪える。説明を何度しても、「でも、要らないですよね?」と返されたときの脱力感は、ちょっと言葉にならない。
トラブルが起きてから泣きつかれる構造
そして、もっと疲れるのが「トラブルが起きてから」相談が来るパターンだ。「あの時、契約書作っておけばよかったって言われました」と謝られても、もう遅い。どうにか収めようとするが、書面がない中で立証するのは難しく、無力感を覚えることもしばしば。予防法務の大切さは、事後には響かない。
契約書作っておけば…は後の祭り
たとえば、設備工事の請負契約で、金額と内容が口頭だけで進んでしまい、追加費用でもめた案件があった。こちらは「当初の合意が書面であれば…」と繰り返し思うしかなかった。結局、双方が譲らず、関係は破綻。後始末だけこちらが対応する構図になった。
未然防止より火消し要員になってしまう現実
司法書士という職業は、もっと“予防法務のパートナー”であるべきだと思っている。でも現場では、火がついたあとに「とりあえず消して」と頼まれる役回りが多い。これは正直、虚しい。予防していれば…と思う気持ちと、現実とのギャップに疲れてしまうのだ。
事務員にも説明が難しい「なぜこの契約が必要なのか」
うちの事務員もよくがんばってくれている。でも、契約書の重要性をお客様に説明するとき、「え?それも私が説明するんですか?」と戸惑うこともある。こちらが書類を準備しても、そもそも契約書を読みたがらない依頼者も多く、やり取りの中で何度も説明を要する。
「それって本当に司法書士の仕事?」と聞かれる虚無
「契約書の作成なんて、弁護士に頼むんじゃないんですか?」と真顔で言われたこともある。そのたびに、「いや、こういうケースでは司法書士が関わるんですよ」と説明するのだけど、理解されにくい。この“どっちつかず”な役割が、司法書士業界の悩ましいところでもある。
それでも契約書の価値を伝え続ける理由
文句ばかり言ってきたが、それでも私は契約書の価値を信じている。トラブルにならなかった事例には、たいてい“ちゃんとした書面”が存在していた。明文化の力、証拠の力は、やっぱりすごい。だからこそ、今日も地味に書面を作り、説明をし続けている。
守るのは自分だけじゃない
契約書が守るのは、依頼者だけじゃない。相手方も守るし、関係そのものを守る。書面があることで、言いがかりを防げるし、フェアな交渉ができる。法律なんて冷たいと思われがちだが、実は温度調整の役割を果たしているのだ。
未来のトラブルを予防する“仕組み”としての契約書
口頭だけでは伝わらないニュアンスや、時間とともに変わる記憶のズレを補うのが契約書。未来の誤解を防ぐ“保険”みたいなものだ。しかも、書いておくことで「あ、これって約束なんだ」と意識してもらえる。契約書は、関係性を強化するツールでもある。
書面文化が“古い”なんて言わせない
「もう令和ですよ。紙の契約とか古くないですか?」という人もいる。でも、どれだけIT化が進んでも、「合意の証拠」は必要だ。形式ではなく中身の問題だし、電子契約でも結局“契約内容”が大事になる。だからこそ、司法書士はこれからも価値を発揮できる。
IT化はしても、合意の証明はなくならない
クラウドサインや電子署名の時代になっても、契約という行為の本質は変わらない。紙かPDFかの違いはあるにせよ、「内容の確認と証明」がなければ、後々のリスクは変わらない。形式よりも本質を守る。それが司法書士の仕事だと信じている。
司法書士を目指す人へ伝えたいリアル
もし今この記事を、司法書士を目指す方が読んでいるとしたら、ひとつ伝えておきたい。契約書をめぐる“戦い”は地味だけど長い。理屈が通じない場面もある。でも、それでもやりがいはある。誰かの未来を、トラブルから守れる。それがこの仕事の価値なのだと思う。
「契約書なんて意味あるの?」という壁に必ず当たる
現場に出れば、必ずこの言葉にぶつかる。でも、それに怯んでいては務まらない。相手がどう思おうと、事実とリスクを丁寧に説明するしかない。無駄に思える時間こそ、信頼を築く時間になることもある。
それでも諦めずに説明を続けられるか
この仕事に必要なのは、根気とちょっとの図太さかもしれない。めげそうになるときもある。でも、「あの時、契約書作ってもらって助かりました」と言われた瞬間に、報われる。そんな一言を信じて、今日もまた契約書を1枚、黙々と作っている。