「好き」でやってきたけど、正直しんどい日もある
司法書士の仕事が好きか嫌いかと聞かれれば、「好き」だと答えます。でも、その「好き」だけでは毎日の業務はこなせません。独立して15年以上、地元で事務所を構えてやってきましたが、朝から晩まで気を張って働く日々に、ふと「何のためにやっているんだろう」と立ち止まってしまう瞬間があります。「やりがいがある仕事ですね」と言われるたびに、笑顔の奥で少しだけ疲れた心がうずくのです。
「やりがいがある」は魔法の言葉か呪いの言葉か
「やりがい」という言葉には、良くも悪くもいろんな意味が込められています。確かに、自分が関わった登記で誰かの人生が動き出す瞬間には、少なからず誇りを感じます。でも、その“やりがい”を盾にして、過重な業務や理不尽な要求を正当化しているような気がするときもあるのです。やりがいのせいで、休めない、断れない。そんな矛盾に押しつぶされそうになる夜もあります。
資格を取ったあとの“現実”がここにある
司法書士の試験は難関です。合格したときは、世界が変わると思っていました。でも現実は、資格を持っていても安泰ではありません。特に地方では、依頼件数の波も激しく、収入も安定しません。資格がゴールじゃなくて、ようやくスタート地点に立っただけだったんだと痛感しています。
地方で事務所を構えるという選択は正解だったのか
都会に比べれば競争相手も少ないし、顔が見える距離で仕事ができる。それは地方の強みでもあります。でも、人口減少が進む中で、登記案件も減ってきているのが実情です。自分の事務所を維持するために、遠方の案件まで引き受けるようになり、移動時間に追われる日も増えました。「地元密着」がだんだんと「地元だけでは厳しい」に変わってきています。
依頼は来る。でも利益が出るとは限らない
一件一件の報酬が決して高くないうえに、手間や時間ばかりがかかる案件も多い。報酬が少なくても、「困ってる人だから断れない」という気持ちで受けてしまう。結果として、自分の首を絞めていることもしばしばあります。仕事が多ければ多いほど、疲弊していく。そんな矛盾を抱えて日々動いています。
クライアントとの距離が近い分、気も使う
地元の小さなコミュニティでは、どこかで誰かとつながっていることが多いです。たとえば、今日相談に来た方が、明日町内会で会うおばちゃんの親戚だったりする。だからこそ、対応も一つ一つ慎重になります。誤解を招かないよう、断るときも相当神経を使います。
事務員さんがいるだけで、世界が変わる話
正直、事務員さんがいなければこの事務所はまわっていません。一人で全部やっていたころには戻れません。ほんのちょっとした気配り、ミスを先回りして防ぐ力、そして何より「お疲れさま」と言ってくれる存在が、どれほど救いになっているか。報酬以上に価値のある存在です。
感謝してもしきれないけど、言葉にするのは難しい
心の中ではいつも「ありがとう」と思っているのに、忙しさにかまけて、なかなか口に出せない。「助かってます」と言うだけで良いのに、それができない自分にモヤモヤする日もあります。事務員さんがいなかったら、きっと今日もどこかで書類を出し忘れていたでしょう。
「すみません」が口癖になる日々
忙しいときほど「ありがとう」より「すみません」が増える。余裕がないと、人間関係までギスギスしがちです。でも、そんなときに「大丈夫ですよ」と言ってもらえると、それだけで立ち直れたりする。司法書士の仕事って、意外とチームプレイなんですよね。
結局のところ、人間関係がいちばん大事
仕事のミスは後からでもリカバリーできるけど、人間関係のひびは修復に時間がかかります。だからこそ、小さな感謝や気配りを忘れないように心がけています。完璧にはできていませんけどね。
“全部自分でやった方が早い病”との戦い
自営業あるあるですが、他人に任せるより自分でやった方が早い、という病にかかっています。信頼して任せたい。でも、任せてミスが出ると結局自分が対応することになる。そう思うと、どうしても手が離せない。でもそれって、長い目で見れば自分の首を締めているんですよね。
ミスが怖くて任せられない。でもそれじゃ限界が来る
「自分が責任を取る立場だから」と、どんな細かい作業にも目を光らせてしまう。でも、それが続くと事務所の成長も、自分の余裕もなくなっていきます。どこかで“完璧じゃなくてもいい”と割り切る勇気が必要なんでしょうけど、それが難しいんですよね。
「効率化」は頭ではわかっていても実行できない
Excelでチェックリストを作るとか、クラウドで案件管理をするとか、効率化の話はよく耳にします。自分も何度か挑戦しました。でも、忙しさに飲み込まれて、「今じゃない」と後回しにしてしまう。そして結局、非効率なやり方を続ける悪循環に。誰か、外から強制してくれたらいいのに、と思うこともあります。
相談を受けるたびに、自分の無力さを感じる
「相続で家族がもめていて……」と涙ぐむ依頼者の前で、法律的な説明をしても、それが救いになるとは限らない。できることと、できないことの間で、もどかしさを感じることがよくあります。司法書士は「聞く」ことも仕事。でも、聞くだけで終わってしまうのが悔しいのです。
法的には正しくても、心が救われない現場
登記手続きはスムーズに終わっても、「これでよかったのかな」と依頼者がぽつりと言うと、胸が痛みます。法律に従ってやるしかない。でも、それだけじゃない“何か”がある。そこに応えられない自分が歯がゆいんです。
「ありがとう」と言われると涙が出そうになる
それでも、「相談してよかった」「少し気持ちが軽くなりました」と言われると、それまでのしんどさが吹き飛びます。こちらこそ、ありがとうと言いたい。報酬以上の何かをもらっているのは、こっちの方かもしれません。
司法書士として“普通に生きる”のがむずかしい
司法書士って、普通に生活するのが難しい職業だと感じます。夜も電話、土日も対応、急ぎの登記があれば家族との時間も削る。生活と仕事の境界線がどんどん曖昧になっていく。でも、断れば関係が切れてしまう。そんな不安もあるんです。
土日も電話、夜もメール。仕事が生活を飲み込む
夜10時に届くメールに、「今すぐ返信しないと」と考えてしまう。結局、オンオフの切り替えができない。そんな状態が続くと、心も体もすり減っていくばかりです。
「忙しい」の中に、自分の人生はあるのか
忙しい=充実、と思い込んできました。でも、本当にそうなんでしょうか。ふとした瞬間に、自分の人生って何だったっけと立ち止まることがあります。もっと子どもと遊びたかったな、とか、親とゆっくり話したかったな、とか。そんな当たり前のことが、どこかへ行ってしまっている気がするんです。
それでも続ける理由を、自分の中に探している
「なんで続けてるの?」と聞かれたら、すぐには答えられません。でも、やっぱり誰かの役に立てる瞬間があるからだと思います。小さな「ありがとう」が、自分を支えてくれている。それだけで十分なのかもしれません。
辞めたいと何度も思った。それでも続けている理由
疲れて、もうやめようかなと何度も思いました。でも、そのたびに、誰かの「助かりました」に救われてきました。この仕事は、報酬だけじゃ続けられないけれど、「人」がいるから続けられるのかもしれません。
誰かの役に立てている、という“かすかな実感”
どんなに疲れていても、「この人の力になれた」と思える瞬間があると、それまでの苦労が報われた気になります。その“かすかな実感”を、たったひとつでも感じられた日は、もう少しだけ頑張ろうと思えるのです。