答えの出ない相談に、どう立ち向かえばいいのか
司法書士という仕事をしていると、「これは法律の話なのか、人の気持ちの話なのか」と悩む相談が少なくありません。正解が用意されていない、むしろ「誰にも答えられない」ような問いが、日々私たちの机の上に届きます。そこに向き合うたび、「自分の言葉が本当に役に立つのか」と不安になり、消耗してしまう。そうしたとき、どう気持ちを保てばいいのでしょうか。
そもそも「正解のない相談」とは何か
明確な答えが出る登記の可否や手続きの順番とは違い、「兄弟と絶縁状態なのですが、相続手続きは進めるべきでしょうか?」といった類の相談は、単に手続きの話ではありません。そこには人間関係や感情が深く絡んでいて、法律の枠だけでは割り切れないのです。
登記の可否じゃなく、「どうしたらいいか」の相談
「これは登記できますか?」という質問にはYESかNOで答えられます。でも、「どうしたら円満に終わると思いますか?」となると、話は一気に難しくなります。ある方は、相続の話をするたびに涙ぐみながら「父の遺志をどう解釈すればいいか分からない」と何度も相談に来られました。私は専門家として、何も答えられず、ただ話を聞くしかできませんでした。
人間関係・感情が絡むと司法書士の仕事は一気に重くなる
感情が絡むと、手続きの話も複雑になります。たとえば、兄弟間で遺産の分割をめぐって対立しているとき、こちらが中立の立場を貫いても「どちらの味方なんですか?」と言われることがあります。これは非常につらい瞬間です。相手は法律的な正しさよりも、心の居場所を求めているのだと気づかされます。
「これは仕事なのか?」と立ち止まってしまう瞬間
事務所で長々と人生相談を受けたあと、ふと「これって司法書士の仕事なんだろうか?」と頭を抱えることがあります。手続きは進まず、請求もできず、ただ聞いて終わる。そんな日が何度もあります。
家族間の揉め事を聞いているだけで終わる日
「兄とは10年会っていない」「母の介護を全部やったのに、相続は均等なんて納得できない」… こういう話を何時間も聞くことがあります。法律的には答えがあるのですが、感情面の納得がないと、なかなか次に進めません。話を聞きながら、「自分ができるのはどこまでなんだろう」と迷います。
答えていいのかすら迷う質問たち
「先生、私どうしたらいいと思いますか?」と聞かれると、内心ヒヤリとします。少しでも答えを間違えると、依頼人の家族関係や将来に影響を与えてしまう。法律の専門家として線を引くべきと分かっていても、つい「自分の言葉」で何か返したくなる。それが後から苦しくなるのです。
「期待されてる」の重さとプレッシャー
司法書士に相談に来る人の多くは、何かしら「答え」を求めています。だからこそ、「うまく言わないといけない」「期待を裏切ってはいけない」というプレッシャーが常にあります。
言葉の一つで人が動く世界の怖さ
過去に、「先生がそう言ってくれたから、兄に電話しました」と言われたことがあります。私にとっては軽く言ったつもりの一言でも、相手にとっては大きな決断のきっかけになってしまったのです。こういうとき、怖くなります。「あの言葉で本当に良かったのか?」と後から後悔します。
優しさが仇になる時もある
「そうですね」と共感しすぎてしまうと、「やっぱり自分が正しかった」と誤解されることもあります。本当は中立でいたいのに、相手の気持ちに寄り添いたい気持ちが先に立って、立場がブレてしまう。優しさが裏目に出るときのつらさは、なかなか人には理解されません。
割り切りたくても、割り切れない自分がいる
「これは仕事、これは自分の責任ではない」と割り切りたくても、気づけば相手の気持ちを引きずってしまっている。司法書士という立場は、冷静さと共感のバランスが非常に難しい職業だと、つくづく思います。
「専門家としての限界」と「人としての責任感」
「私は法律の専門家ですから」と一線を引くのは簡単ですが、それで済む相談ばかりではありません。ときには、人としての誠意や関心を見せなければならない場面もあります。そのバランスをどう保つか、今でも答えは見つかりません。
司法書士は法律職か、カウンセラーか
手続きだけをこなすなら、AIでもできるかもしれません。でも現場では、人の気持ちに関わる場面が多すぎて、「これはもうカウンセラーの領域では?」と思うこともあります。資格の範囲では説明がつかない仕事の現実に、もどかしさを感じることも少なくありません。
「聞いてくれてありがとう」で終わる虚しさ
「今日は話を聞いてくれてありがとう」と言われるのは、嬉しい反面、なんだか虚しさも感じます。それって司法書士としての価値を提供できたんだろうか? 手続きは進んでいないし、請求もできないし… でも、その時間が相手にとって意味があるのなら、無駄ではないのかもしれません。
「無力感」とどう付き合っていくか
どうしても「自分には何もできなかった」という無力感が残る日があります。でも、すべての相談に答えを出さなければいけないわけではない、と自分に言い聞かせるようにしています。
ベストな回答が出せない自分への苛立ち
もっと良い言葉があったはず、もっと深く聞いてあげられたはず… そうした後悔がぐるぐると頭を巡ります。でも、完璧な応対なんて、そもそも存在しない。答えを出すのではなく、伴走するという考え方が必要なのかもしれません。
気持ちを引きずらない工夫の大切さ
終業後、無理にでも気持ちを切り替えるよう意識しています。私は最近、事務所の鉢植えに水をあげることでリセットしています。ほんの小さな行動でも、自分を保つきっかけになる。そうしないと、心が持たないのです。
一人で抱え込まないために
結局、司法書士も人間です。一人で背負える量には限界があります。だからこそ、外に出すこと、他人に頼ることを恥ずかしがらずにやっていくべきだと思います。
「話す場」や「吐き出す場」の確保
何でも話せる同業者との関係は、本当にありがたい存在です。たとえば月に一度だけでも、お互いの愚痴を話すだけで気持ちが軽くなる。司法書士の集まりがあれば、なるべく顔を出すようにしています。孤立しないことが大事です。
同業とのゆるいつながりが支えになる
「大変だよね」「それ、うちもあったわ」——そんな何気ない共感が心を救ってくれることがあります。答えがなくても、「悩んでいいんだ」と思えるだけで前を向ける気がします。
事務員さんにも助けられている現実
日々、話し相手になってくれているうちの事務員さん。たまに「先生、それ引きずりすぎですよ」と笑われて、ハッとします。自分一人で抱え込まず、弱さを見せてもいいんだと思わせてくれる存在です。
それでも、相談を断るという選択肢
無理に全部受け止めようとすると、心が壊れます。ときには断ることも、相手のため、自分のために必要です。
全部を受け止めるのはプロじゃない
「プロなんだから、全部対応しろ」と思われがちですが、限界を知るのもまたプロの姿です。自分の線引きをしっかり持って、できること・できないことを明確に伝えること。それが信頼にもつながると実感しています。
断る勇気が、自分と相手を守る
勇気を持って「それは対応できません」と言うことが、相手を混乱させず、自分も傷つかない最善策になることがあります。相手も実は、誰かに「それは難しい」と言ってもらいたかったのかもしれません。