「登記完了」のその先にあるもの――終わったはずなのに終わらない現場のリアル

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「登記完了」のその先にあるもの――終わったはずなのに終わらない現場のリアル

「登記完了」のハンコを押した、その瞬間からが本当の地獄

登記を完了させることがゴールだと思っていた頃が、私にもありました。法務局から完了証が届き、納品書を作って、「これでひと段落」とホッとしたのも束の間、電話が鳴る。「あの書類、やっぱりコピー取っておいてほしい」「登記識別情報ってどう使えばいいんですか?」。完了したはずの案件が、次から次へと“尻尾”を引きずってついてくる。忙しさの波に飲まれていく感覚に、ただただ溜息が出る日々です。

登記完了はゴールではなく「スタートライン」

書類を提出し、受付番号を受け取ったときは、「ようやく終わった」と思う。でも、現実はそんなに甘くない。そこから修正依頼が来るかもしれないし、返却書類の確認や納品作業が発生する。お客様からすれば「終わったんですよね?」という空気。でもこっちは、むしろこれからが始まり。そう思うことが多すぎて、「完了」という言葉にすら違和感を持つようになってしまいました。

終わった案件に追われる違和感

この前も、3週間前に完了した登記について、依頼人から急に電話がかかってきました。「やっぱり別の名義に変えたいんですけど…」と。当然また契約書のチェックから始まり、金融機関と調整。おいおい、それって“完了”じゃなかったんですか?という疑問は心の中だけに留め、また一から段取り。こういう「後戻り案件」、年に何件あることか…。

クライアントとの温度差がしんどい

特に個人依頼の場合、「登記ってよく分からないんですけど、任せます」から始まり、「いつ終わりますか?」「もう終わりましたよね?」で終わる。その間の膨大な作業も、「お願いしておいたら自然に終わってる」という感覚。こちらの努力や神経の使い方は、完全に見えていない。だからこそ、完了後に再度連絡が来ると、心がちょっと折れるのです。

書類が戻ってきてからが本番

法務局から返ってくる原本、登記完了証、登記識別情報…すべて揃ってからが、本当の「段取り作業」の開始です。書類をひとつひとつチェックし、漏れがないか、押印の位置は合っているか、返送書類の宛名は最新か――このあたりの事務作業が地味に面倒。そして一歩間違えればクレームの火種になるからこそ、気が抜けません。

不動産会社や金融機関からの追加依頼

登記が終わったあと、金融機関や不動産会社から「やっぱり書類をPDFでもらえませんか?」「お客様のサインが見えにくいので再スキャンを…」などという連絡が来る。こちらとしては「今言うか…?」と思うが、付き合いのある先だと、断るわけにもいかず。また作業が増える。誰のための登記なのか、ふと分からなくなるときがあります。

ミスでなくても「責任」を問われる空気

こちらに明確な過失がなくても、「何でこれが先に分からなかったんですか?」と問い詰められることがある。例えば、申請人が間違えた住所を記入していたのに、それを指摘できなかったこちらが悪い、みたいな論調になる。「プロだから見抜くべきだった」と言われた時には、返す言葉もないし、正直つらい。

「もう済んだ話」で済まない、地味な後始末の山

登記が完了しても、やるべき作業は山のように残ります。原本の返却準備、依頼人への完了報告、郵送手続き、ファイル整理、請求書の発行…。すべて「裏方」の作業。これらが積み重なることで、「終わったはずの案件」に追われることになります。しかも、これらの作業に報酬は発生しない。気持ちの上でも、身体の上でも、報われにくい仕事です。

返却資料、納品書、原本整理の泥沼

あの書類、どの封筒に入れて返すんだったっけ?…みたいな地味な確認作業が延々と続く。郵送するにもレターパックか普通郵便か書留か、細かい判断が求められる。「どれでもいい」と言われてたのに、「簡易書留じゃなかったの?」と後で言われる。そんなことも日常茶飯事です。

依頼人の「ちょっといいですか?」が1時間コース

電話で「少しだけ聞きたいんですが…」と言われた時点で、30分は覚悟しています。追加の相談、親族の話、遺言の話まで広がって、まったく別の案件に突入することも。「ちょっと」なんて言葉、信じなくなって久しいです。

聞けばすぐ終わると思ってるんだろうなあ

「●●って何ですか?」と聞かれて、それが一言で説明できるなら司法書士はいらないわけで。制度的な背景や事例、例外も踏まえた上で話さないといけない。それを「簡単に説明してほしい」と言われると、うーん…ってなるんですよね。

「ついでに」と言われると断りづらい現実

「お忙しいところすみません、ついでにこれも…」という言葉が、なぜあんなに重いのか。ついでなんかじゃない。まったく別案件。でもそれを言えないから、抱え込んでしまう。結局自分の首を絞めていると分かっていても、断れない性分なんです。

事務員1人ではとても回らない、でも雇う余裕もない

地方の個人事務所では、事務員を雇うこと自体が経営リスク。かといって、1人で全部をこなすのは無理がある。結局、ギリギリの人数と体制で、ぎりぎりの精神力で回しているのが現実です。

事務処理の波が定期的に津波になる

月末、月初、年度末、相続集中期…。忙しさの波が来ると、まるで津波。急ぎの案件が重なり、ひとつでも遅れると全体が崩れる。スケジュール管理なんてものが無力になる瞬間が、年に何度かあります。

繁忙期じゃないのに、なぜか休めない

「今は落ち着いてるでしょ?」と家族に言われるけど、まったく休んでいない。むしろ、「暇な時にやっておこう」と思っていた仕事が雪だるま式に膨らんでいて、休日出勤するはめに。休めないことに慣れてしまうのが一番危険だと分かっているのに、やめられない。

人を雇うリスクと責任が重い

誰かを雇うというのは、人生を一部背負うということ。そんな簡単な決断じゃない。人件費、教育時間、トラブル対応…考え出すと足がすくむ。だからといって、自分1人で回すには限界がある。ジレンマです。

「指導」より「自分でやった方が早い」の罠

新人事務員に仕事を教えながら、自分でやったほうが圧倒的に早いと感じてしまうことが多い。でも、それを続けていると、いつまで経っても任せられないまま。結局、自分の首を絞めている。でも目の前の効率を優先してしまうんですよね…。

それでも、やめられない理由がある

どんなにしんどくても、仕事をやめようと思ったことはほとんどありません。理由は単純。時々、心から「ありがとう」と言われることがあるからです。無償の言葉に、なぜか涙が出そうになる瞬間。それがある限り、もう少し続けてみようと思ってしまうのです。

たまにある「ありがとう」が心に刺さる

「本当に助かりました」「先生にお願いしてよかったです」――そんな言葉が、すべてをチャラにしてくれる。報酬以上の価値がある瞬間。だからこそ、この仕事はやめられないのかもしれません。

いつか、このルーティンにも意味があったと思いたい

ぐるぐると同じような案件、同じような説明、同じような苦労。でも、誰かの人生の転機には必ず関わっている。そう思うことで、やっと今日も机に向かえます。「終わらない仕事」も、誰かの「始まり」になっているのだと、そう信じて。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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