「登記完了」の一報に凍りついた午後――胸騒ぎの理由とは?

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「登記完了」の一報に凍りついた午後――胸騒ぎの理由とは?

「登記完了です」と言われた瞬間、なぜか心臓がドクンとした

「登記完了しました」と、法務局からの一報。司法書士であれば誰もが何度も受け取るはずの連絡だが、その日ばかりは違った。電話口でその言葉を聞いた瞬間、なぜか背中に冷たいものが走った。何も問題はなかったはず。書類も確認した、補正もなかった。にもかかわらず、この違和感は何なのか。私はしばらく無言で電話を握りしめていた。

無事に終わったはずなのに、なぜ不安が残るのか

「これで一件落着だ」と思いたいのに、なぜか完了通知を受け取るたびに安心できない。それは、過去に「完了通知後に地雷を踏んだ」経験があるからだ。完了した=すべてが終わった、というわけではない。逆に、ここから「何か起きてしまったのでは」という不安が芽を出す。経験年数が増えるほど、その勘は鈍るどころか鋭くなるのだ。

経験年数が増えるほど「違和感」に敏感になる

新人の頃は「完了=成功」でよかった。でも今では、完了の裏にある“タイミングのズレ”や“対応の変化”に敏感になっている。年数を重ねるほどに、安心する場面が減ってきている気がする。嬉しいはずの瞬間に「何かあったんじゃ…?」と身構えてしまうのは、ある意味ベテラン司法書士の職業病かもしれない。

胸騒ぎの原因は“違和感”の正体にある

あの瞬間の「嫌な感じ」は、何か具体的な理由があったはずだと振り返ってみた。よく考えれば、今回の件はやけに早く完了した気がする。数日前に提出したばかりで、しかも週明けのタイミング。何かをすっ飛ばされたのではないか、という疑念が拭えなかった。

登記完了=ゴールではない現実

「登記完了」は、司法書士にとってのスタート地点のようなもの。完了通知は来たけれど、そこから登記識別情報が発行され、依頼者に郵送し、必要書類を揃えてようやく実務が完結する。それなのに「完了」の一言だけが先行すると、全体の流れが崩れる可能性がある。

「このタイミングで完了?」という妙な早さ

実際、私の地域の法務局では完了までに通常4営業日はかかる。それが今回、たった2日で完了通知。経験上、これはちょっと速すぎる。何かを見落とされたのか、それとも“他の誰かの登記”と混ざったのか。いずれにしても、早すぎる完了は警戒信号になる。

お客さんより先に法務局から電話が来た理由

通常は、完了通知が申請人側へ届くのは法務局からの郵送が先になる。しかしこの日はなぜか「お客さんからの問い合わせを受けて」法務局がこちらに電話してきたという流れ。逆じゃないか?と疑問に思った。こうした順序の逆転にも、不安の種は潜んでいる。

まさかの補正見落とし?完了しても安心できない日常

司法書士の仕事は、ときに「完了してからが本番」だったりする。特に補正が絡む案件では、補正がクリアされたこと=完了通知というわけでもなく、別のミスが混入している場合もある。その可能性を常に疑ってしまうのが、長年この仕事をやってきた弊害でもある。

補正の解除=登記完了ではない罠

補正がクリアされた通知を受けた時、「これで終わりだ」と思うのは甘い。法務局によっては、補正クリア後に再審査が行われ、その過程で別のチェックが入る。そこで不備が見つかれば、再補正か、最悪のケースでは一からやり直しになることも。補正解除後の完了通知には、慎重さが求められる。

法務局の「処理ミス」か?と疑う前にすべきこと

完了通知に違和感があった時、真っ先に「法務局がミスをしたのでは」と考えがちだ。でも、まずは自分の記録を確認すべきだ。添付書類の有無、申請内容、補正履歴…。もし自分の側に落ち度があれば、責任は法務局ではなく自分に跳ね返ってくる。

登記識別情報の郵送が来るまでの地味な緊張

完了通知が来たとしても、本当に安心できるのは登記識別情報が届いてから。これがなかなか届かないと「どこかで止まっているのでは」と不安になる。特に月末や連休前後は配送遅延もあり、落ち着かない日々が続く。お客さんに「もう届きましたか?」と聞かれるたび、内心ヒヤヒヤしている。

地方ならではの“完了ズレ”とその弊害

地方の法務局では、都心部とは違った“ルール”が横行している。システムの処理スピード、担当者のクセ、申請内容へのローカル対応…。すべてが“なんとなく”で進むのが日常茶飯事。これが“登記完了”の感覚にも影響を与えている。

田舎の法務局は独自ルールが多すぎる

たとえば、隣の市の法務局では許された書類が、こちらではNGになる。「それじゃダメなんです」と言われて驚いた経験は一度や二度ではない。そのくせ、“電話では教えてくれない”。独自ルールがあるのに、それを明文化していないから、ミスは減らない。

電話のトーンで察する“ヤバいやつ”感

法務局からの電話一本で、その日の気分が決まる。経験上、「ちょっと確認したいんですが〜」というトーンは大体ヤバいやつ。あの声のテンションで「あっ、何かやらかしたな…」と察して、心臓がバクバクし始める。完了の連絡なのに、全然嬉しくないのが司法書士の仕事。

気を張り詰めすぎて、事務員にもつい当たってしまう

一人で事務所を回していると、責任感が全部自分にのしかかってくる。緊張がピークに達すると、つい身近な事務員に強く当たってしまうことがある。後になって反省するが、その瞬間は余裕がない。これは悪い癖だとわかっているのに、どうにもならない。

心配性の裏にある責任感と恐怖

私たちの仕事は「失敗できない」前提で成り立っている。ひとつのミスで依頼者の人生を左右するかもしれない、というプレッシャーが常につきまとう。だからこそ、心配しすぎるくらいがちょうどいい。でも、それが身近な人にとっては負担になってしまうのも事実だ。

「そんなに心配しなくても…」という一言がグサッと刺さる

事務員に「先生、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」と言われたとき、私は笑えなかった。たぶん、彼女には見えない“崩壊のリスク”が私には見えてしまっている。だからこそ心配なのだ。でも、その気持ちはなかなか伝わらないし、逆に自分が孤立していくような気がして、ますます疲れてしまう。

それでも司法書士を続ける理由を自分に問い直す

こんなにも気を張って、疑って、緊張して…それでもなぜ続けているのか。ふと、自問することがある。答えは単純じゃない。お金でもない、誇りでもない。たぶん、誰かの「助かったよ」の一言が、唯一の報酬なのかもしれない。

誰にも褒められない仕事を、なぜ今日も続けているのか

登記が終わっても、誰にも「ありがとう」とは言われない。うまくいって当たり前、ミスをすれば責任を取る。そんな仕事を、なぜ今日もやっているのか。答えは明確には出ない。でも、なんとなく「自分にしかできない」と思っている自分が、心の奥底にいる。

「完了」の重みは、誰より自分が知っている

たった一言の「完了しました」。でもその裏に、どれだけの書類確認、補正対応、時間との闘い、プレッシャーがあったかは、自分だけが知っている。その積み重ねが、今の自分を作っていると思えば、今日の“胸騒ぎ”も、無駄じゃなかったと思いたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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