「違法ですよね?」と詰め寄られた午後。言葉に詰まった本当の理由

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「違法ですよね?」と詰め寄られた午後。言葉に詰まった本当の理由

突然の一言「違法じゃないですか?」が刺さった午後

あの日の午後のことは、今でも胸に引っかかっている。書類の説明を終え、さあ押印をお願いしようというタイミングだった。依頼者は少し顔をしかめて言った。「それって違法じゃないですか?」と。あまりに唐突な一言に、言葉が出なかった。こちらは何十回もやってきた案件だ。問題があるわけじゃない。それでも、そう問われると、なぜか自信が揺らぐ。司法書士として日々の業務に追われる中、こうした一言がどれほど心に刺さるか。そんな実体験を今日は少しだけ、話してみたい。

その日、依頼者から出た想定外の質問

登記の手続きに関して、特にイレギュラーな部分もない案件だった。淡々と説明し、手続きの流れや費用の内訳まで丁寧に話したつもりだ。しかし依頼者は納得していなかった。「それ、登記名義が違う人になるっておかしくないですか?」という疑問から、「そもそもそれって違法じゃないですか?」へ。想定内の“わからない”ではなく、“攻める側の目線”で聞かれると、こちらの論理は一気に防戦に回る。

言い返せなかった自分に残ったモヤモヤ

もちろん法的には何ら問題のない処理だ。ただ、その正しさを説明する時間も、相手の感情をくみ取る余裕もなかった。つい「いや、それは違法じゃないです」とだけ答えてしまった自分が悔しい。なぜ、もっと丁寧に、背景や法解釈まで含めて説明できなかったのか。事務員には「大丈夫ですよね?」と聞かれたが、「うん」としか言えなかった。自信のなさが伝染してしまった気がする。

法律家なのに「法律で殴られた」感覚

「法律」という言葉を振りかざされたとき、こちらも「法律家」であるはずなのに、まるで殴られたような衝撃を受けた。依頼者にとっては正義感からの問いかけだったのかもしれない。だが、現場で毎日積み重ねている実務は、時にその“正義”とぶつかる。

一言が生む“立場の逆転”

こちらが説明する立場なのに、気づけば追い込まれている。「え、じゃあこれって詐欺まがいじゃないんですか?」とまで言われたら、もう説明ではなく弁解に聞こえてしまう。法的には問題がなくても、倫理的、感情的な部分で「それはどうなの?」と問われると、正解を用意できないのがつらい。

正論と現実のズレに苦しむ瞬間

司法書士が扱う手続きは、ほとんどがグレーとグレーの間で調整されている。「登記できる=正しい」とは限らない。だからこそ、感情に揺さぶられる。依頼者の“違法かどうか”というストレートな感覚と、我々の“手続き上問題ない”という理屈が、簡単には交わらない。

こちらが気を遣いすぎてしまう理由

地方で一人事務所をやっていると、口コミや評判は生命線になる。だからこそ、「角が立たないように」「機嫌を損ねないように」と、つい説明が歯切れ悪くなることがある。依頼者に言い負かされたような気持ちになっても、それを外に出せず、ただ疲労感だけが残る。

誤解されがちな司法書士の立ち位置

司法書士は「法律家」として見られつつも、現場では「ただの代書屋」扱いされることも多い。法的根拠を持って業務しているのに、「ハンコ押してくれる人」という認識の人もいる。その中間地点に立つ仕事だからこそ、立ち位置があいまいになり、トラブルの火種にもなりやすい。

依頼者の“正義感”とのすれ違い

「それって正しいことなんですか?」と聞かれたとき、法的正当性と道徳的正当性のどちらで答えればいいのか迷う。依頼者は不安からくる疑問をぶつけている。でもこちらは感情を抜きにして処理しなければならない。その温度差が、どこまでも埋まらない。

「代書屋」扱いと専門職のはざまで

たとえば、銀行や不動産屋の紹介で来た依頼者の中には「この人が書類作ってくれる人でしょ?」くらいの感覚の人もいる。こちらが説明しようとしても「いいから進めて」と遮られることもある。そんな人ほど、後になって「それって違法じゃないんですか?」と噛みついてくる。

実はグレーゾーンで成り立つ日常業務

登記手続きは、法律上は可能でも実務上グレーな判断を迫られる場面が少なくない。何を優先するか、どこまで説明するか、常に揺れながら判断しているのが現実だ。依頼者には見えない部分にこそ、神経と時間が使われている。

法令遵守の落とし穴:説明義務の限界

すべてを一から十まで説明することが、本当に「親切」なのか分からなくなる。専門用語を避けて丁寧に話すと逆に不信感を抱かれ、専門的に話せば「なんか怖い」と言われる。どちらにしても、完全な“正解”は存在しない。

すべてを丁寧に説明できるほど時間はない

現実には、午前も午後も予約が詰まっていて、一人一人にたっぷり時間をかけられるわけではない。事務員もひとりだけ。説明不足だと自覚していても、物理的に限界がある。罪悪感だけが、心の隅に残る。

言葉を尽くしても届かない現場のつらさ

どれだけ準備していても、相手が「納得」するとは限らない。それが現実だ。伝えようとした言葉が届かず、疑念として返ってくる。話せば話すほど信頼を失うような錯覚すらある。

「違法」と「不満」は別問題

よくよく聞いてみれば、「違法なんじゃないか?」と言った依頼者は、実際は登記そのものではなく、関係者の対応や不動産の状況に不満があっただけだった。それでも矛先は、最前線に立っているこちらに向けられる。

伝える努力は、必ず報われるわけではない

丁寧に説明しても、感謝されるどころか「もっと早く言ってほしかった」「それ先に言うべきでしょ」と責められる。そんなとき、ふと「何のために頑張ってるんだろう」と心が折れそうになる。

じゃあどうする?司法書士としての対応策

愚痴をこぼしても、明日はまた新しい依頼者がやってくる。この仕事を続けるなら、自分なりの“耐え方”や“切り替え方”を見つけるしかない。少しでも心を軽くするための方法を、最近になってやっと考えるようになった。

感情を呑み込むのがプロ?本当にそれでいい?

「プロだから怒らない」「感情を出さない」のが当たり前とされてきた。でもそれが本当にいいのか?無理に押し殺しても、自分がすり減ってしまうだけ。ときには信頼関係の中で、感情も交えて話す方が良い結果になることもある。

言い返さない勇気と、正しく伝える準備

相手の言葉にすぐ反応せず、ひと呼吸おく。冷静に、必要なことだけを伝える準備をしておく。それだけで、場の空気が変わることがある。言い返さないことは、負けじゃない。むしろ、信頼を得るための第一歩になることもある。

“相談の場”を“対立の場”にしないために

相談の場が議論の場、そして対立の場になってしまっては本末転倒だ。相手の“疑問”を受け止める姿勢を保ちながら、自分の立場も守る。そのバランスが、司法書士という仕事の難しさであり、面白さでもある。

あとがき:それでも、この仕事をやっている理由

正直、嫌になることもある。やめたいと思う日もある。それでも続けているのは、やっぱり誰かの役に立った実感があるからだ。あの日、食い下がられたことも、今となっては貴重な経験だったと思えている。

愚痴をこぼせる場が必要だと気づいた日

こうして文章にしてみると、少しだけ気持ちが軽くなった。愚痴でも本音でも、出す場所があると、人は前を向ける。司法書士だって、完璧じゃない。だからこそ、同じように悩む誰かに届いたら嬉しい。

司法書士は「正しさ」だけではやっていけない

正しさだけで人の心は動かない。優しさと冷静さ、そしてちょっとの打たれ強さ。そんな不器用なバランスの中で、今日もまた、新しい書類に向き合っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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