あの一文が違っていた…契約書の“うっかりミス”に背筋が凍った日

あの一文が違っていた…契約書の“うっかりミス”に背筋が凍った日

契約書の「一文」で血の気が引く瞬間

契約書を読み直していて、ある一文に目が止まった瞬間、全身が冷たくなるような感覚に襲われた。ああ、やってしまった。たった一語の誤字。それだけで契約の意味が変わってしまう。司法書士として十年以上やってきたが、この瞬間ほど「恐怖」と「後悔」が入り混じったことはない。

いつも通りの確認作業、だったはずなのに

その日も、いつもと同じように契約書の最終チェックをしていた。依頼人は明日には書類を持って金融機関へ提出する予定だったし、こちらもルーチンワークの一つとして淡々と確認していた。ところが、日付の表記に違和感を覚えた。「令和6年」ではなく「令和5年」のままだった。しかもそれが複数箇所。ゾッとした。

冷や汗の原因は、たった一つの文言

最も問題だったのは、所有権移転に関する条件の一文。「本契約締結日より30日以内」とあるべきところが、「60日以内」となっていた。以前の案件の文面を流用していたことに起因するミスだったが、これは明らかな条件違い。もしこのまま提出されていたら、大問題になっていたはずだ。

そのミス、誰のせい?責任の所在と現実

こうしたミスが発覚したとき、真っ先に浮かぶのは「誰の責任か」という問いだ。事務員が転記したのか、自分の確認漏れか。それとも元のWordファイルに問題があったのか。だが、どんな原因であっても、最終的に責任を負うのは司法書士である私自身だ。

依頼者?自分?それとも誰かの転記ミス?

事務所内での作業は事務員との連携が基本だが、どんなに信頼していても人間である以上ミスは起こる。依頼者が持参したメモの内容が原因ということもある。だが、それを言い訳にしていては仕事にならない。結局、誰のせいかではなく、誰が責任を取るか、なのだ。

実際の損害と、心理的ダメージの大きさ

今回のケースは提出前に気づいたため、実害はゼロだった。だが、もし気づかずに進んでいたら…と考えると、夜も眠れなかった。契約無効、損害賠償、信頼失墜。一つのミスが連鎖的に自分の生活すべてを壊しかねない。そんな重圧を日々感じている。

ミスを伝えるという一番ツラい役目

「すみません、記載に誤りがありました」――依頼者にそう伝えるのは本当に辛い。こちらの非を認め、迷惑をかけたことを丁寧に謝罪し、場合によっては信頼を失うリスクもある。心臓がバクバクする中で電話を取ったあの日のことは、今でも忘れられない。

「司法書士だから完璧」は幻想

よく「司法書士の仕事はミスが許されない」と言われる。確かにそうだが、それが「完璧でなければいけない人間」だという意味ではない。私たちも人間で、間違えることはある。ただ、そのリスクをどう管理し、再発防止にどうつなげるかが問われているのだと思う。

ミスの芽はどこに潜んでいたのか

冷静になって振り返ると、今回のミスの原因は明白だった。過去の書類を流用し、チェックリストを飛ばし、締切に追われるまま作業を進めた。それらが重なって、あの「うっかり」が生まれた。ヒューマンエラーは、必ずと言っていいほど「忙しさ」の影に隠れている。

チェック体制の“盲点”に気づけなかった

自分では完璧なチェック体制を敷いているつもりだった。しかし、その「つもり」が曲者だった。チェックリストの使い方が雑になり、「一応見た」という程度で済ませていた部分があった。人間は、慣れれば慣れるほど手を抜いてしまう。それがミスを招くのだ。

忙しさに流された日常のツケ

月末や年度末は特に地獄だ。登記や相続関係が集中し、スケジュール帳は真っ黒。食事を取る暇もなく、トイレも我慢して仕事をしている日もある。そんな中で「慎重に確認しろ」と言われても、正直限界がある。だが、それを言い訳にはできないというのが辛いところだ。

「人の目」は万能じゃないと痛感した

結局、どんなに注意深くしていても「見落とす」ことはある。人間の目には限界がある。だからこそ、何重にも防御線を張らなければならないのだ。私はこの事件をきっかけに、AIによる文章チェックや読み合わせ音声ツールの導入も真剣に検討し始めた。

ダブルチェックが形骸化していた話

事務員と私で二重チェックをしているつもりだったが、いつの間にか「お互いに任せきり」になっていた。私が確認しているだろう、事務員が見てくれているだろう…その“だろう”がミスを生む。分担していても、最終確認は誰かが責任を持ってやらないと意味がない。

「一人事務所」の限界と孤独

私の事務所は地方の小さな司法書士事務所。事務員一人と二人三脚でやっているが、正直手が回らないときもある。気軽に相談できる同業者も近くにいない。誰にも頼れず、黙々と仕事をこなす日々に、孤独と焦りが積もっていく。精神的な限界もすぐそこにある。

雇用している事務員にもプレッシャー

事務員だって人間。プレッシャーがかかれば集中力も落ちるし、ミスもする。それを叱ることは簡単だが、叱ったところで状況が良くなるわけではない。むしろ事務員が辞めてしまえば、事務所は立ち行かなくなる。支え合うことが何より大事だと痛感している。

二度と繰り返さないために

私はあのミスを境に、契約書のチェック体制を一から見直すことにした。時間がかかってもいい。効率が少し落ちてもいい。とにかく、あの「冷や汗」をもう一度味わいたくはない。誰のためでもなく、自分の心を守るためにも、再発防止は急務だ。

契約書チェックの“再構築”を決意

具体的には、テンプレートの更新、チェックリストの厳密な運用、音読チェックの導入などを始めた。また、事務員との確認タイミングを固定化し、曖昧さを排除した。完璧は無理でも、「限りなく完璧に近づく努力」はできると信じている。

小さなルール、大きな安心感

ほんの些細なルールでも、徹底することで驚くほど安心感が生まれる。「必ず赤ペンで印をつける」「印刷前に声に出して読む」「チェックリストは紙で管理する」――地味なことばかりだが、積み重ねが信頼になる。司法書士の仕事は、こうした地味さの中に本質があるのだと思う。

司法書士という仕事の「重さ」

契約書の一文ひとつで、依頼者の人生が左右されることもある。そんな仕事を任されているという事実の重みは、想像以上に大きい。だからこそ、日々の業務の中で「慣れ」や「油断」を排除し続ける努力が必要なのだ。

信頼を裏切る怖さに押しつぶされそうになる

依頼者から「先生に任せてよかった」と言われるたびに、内心では「ミスがバレていないだけじゃないか」と自問してしまう自分がいる。それでも仕事を続けているのは、「信頼に応えたい」という気持ちがあるからだ。それがなければ、正直この仕事は続けられない。

それでも続ける理由はどこにあるのか

司法書士として働いていて、楽しいと思える瞬間は多くない。だが、依頼者の「ありがとう」や、家族の「お疲れさま」に支えられて、なんとかやっている。背筋が凍るような失敗も、いつか誰かの役に立つなら――そう思えるようになった今、少しだけ前向きに考えられるようになった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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