忘れたつもりの一言が、夜中に蘇ることがある
昼間は仕事に追われて気にする暇なんてなかったのに、夜になってふと布団に入ると、急にあの言葉が脳内でリピートされはじめる。あの一言が、なぜここまで自分の心に残っているのか。その理由を考えようとするたびに、余計に目が冴えてしまう。司法書士という職業柄、理詰めで問題を整理する癖があるのが、こんなときは逆に仇になる。感情は理屈では片づかない。それを痛感した夜が、何度もある。
仕事中は気丈に振る舞っていても
業務中は笑顔で対応しているし、表面的には冷静沈着を装っている。でも実のところ、腹の底ではいちいち気にしている自分がいる。相手の語気が少し強かっただけで「何か怒らせたかな」とか、電話の切り際の声色が冷たく感じただけで「もう依頼してくれないかも」と不安になったり。自分で言うのもなんだが、正直めんどくさい性格だと思う。でも、こういう繊細さがこの仕事に必要だとも思っている。
静かな夜ほど、心ない言葉が響く理由
一日が終わり、事務所の片付けも済ませて家に帰っても、頭の中だけがなぜか騒がしい。寝室の静けさは、逆に頭の中の言葉を増幅させる。昼間に聞き流したつもりの「あの一言」が、妙にリアルに再生される。まるでその場に戻ったかのように。思えば、私のような地方の個人事務所では、悩みを共有する相手がいないというのも大きいのかもしれない。
実際にあった「心ない一言」──誰の口からでも起こりうる
私が司法書士になってから、いろいろな言葉を投げかけられてきた。もちろん感謝の言葉も多いが、忘れられないのはやっぱり否定の言葉だ。無意識に言ったんだろうが、こちらには重く刺さる。言った方はもう覚えていないんだろうが、言われた方は忘れられない。それが言葉の恐ろしさだ。
依頼人の何気ない一言に心が折れる
以前、相続登記の依頼を受けたお客様に、書類の説明をしていたときのこと。「え、それって誰でもできるんじゃないんですか?」と言われた。いや、もちろん制度上、本人申請は可能だ。でもその「誰でもできる」という言葉が、私の存在を軽視されたように感じてしまって、妙に落ち込んだ。こちらは時間も知識も経験も総動員して対応しているのに、「その程度」の仕事だと思われていたのかと。
「そんなことも分からないの?」と言われた瞬間
もっとキツかったのは、ある同業者から言われたこの一言。初めての不動産登記の立ち会いで不安そうにしていた私に向かって、「そんなことも分からないの?」と小馬鹿にしたように言われた。焦っていたし、完璧に準備できていなかった自分にも非はある。でも、その言い方をされると、正直、消えてしまいたくなる。あの場で笑ってごまかした自分を、帰り道の車の中で何度も責めた。
同業者のマウント、士業間の妙なヒエラルキー
弁護士や税理士と合同で案件に関わることもあるが、そこで感じるヒエラルキーも地味にストレスだ。「あ、司法書士さんですか、じゃあ書類だけお願いできますか」と、まるで下請けのような扱いを受けることもある。そういうとき、職業の格付けみたいなものを突きつけられる気がして、悔しい。言われた内容より、そこに込められたニュアンスが地味に効いてくる。
それでも仕事は回し続けなければならない
落ち込もうが、心が折れようが、仕事は待ってくれない。登記申請も、相談対応も、書類作成も、やるべきことは山ほどある。そして一人事務所ゆえに、誰かに任せることもできない。だからこそ、心が疲れていても、顔だけは保たなければならないのがしんどい。
感情を切り離すことの難しさ
「仕事だから」と割り切れれば楽なのに、それがなかなかできない。人とのやりとりが多い職業だからこそ、感情の波に巻き込まれやすい。自分の中で「これは気にしない」と決めたことでも、夜になればぶり返してしまう。気にしないふりをしているだけで、実際にはかなり効いている。
事務員の前では弱音も吐けない現実
事務員は明るくて真面目な人で、本当に助かっている。でも、彼女の前で「今日、あのお客さんにひどいこと言われた」なんて、なかなか言えない。言ったところで場の空気が重くなるだけだし、「先生なのに…」と思われるのも嫌だ。だから結局、自分の中で飲み込んで、また黙々と仕事をする。
言葉のトゲにどう折り合いをつけるか
完全に忘れることはできなくても、どうにか自分なりに折り合いをつけていく方法を探している。感情の処理は、仕事の技術とは別のスキルだ。歳をとるごとに、そういう精神面の自己管理がむしろ大事だと感じるようになった。
感情は「処理」より「認知」から始める
無理に忘れようとすると、逆に記憶が強く残る。「あのとき、私はこう感じた」と認めることから始めると、少し楽になる。感情にフタをするのではなく、いったん中を見てみる。そうすることで、少しずつ心の中のスペースを空けることができる気がする。
紙に書き出してみるだけでも違う
最近やっているのは、ノートに書き出すこと。誰にも見せない前提で、思ったことをそのまま書く。字が汚くても、文法がめちゃくちゃでもいい。とにかく、心の中から外に出すという作業が大事だ。書いてみると、自分が何に傷ついていたのかが明確になることもある。
同業者と「傷を見せ合う」ことの効用
たまに同業者と飲みに行って、仕事の愚痴をこぼし合うだけでもだいぶ違う。「あー、それ分かる!」って言ってもらえるだけで、少し救われた気がする。同じ立場の人じゃないと分からない悩みって、確かにある。だから、そういう場を意識的に持つようにしている。
もしあなたが司法書士を目指しているなら
司法書士という職業は、地味で堅実な仕事だ。でもその分、感情面でのダメージが蓄積しやすいのも事実。これから目指す人には、知識や資格の勉強だけでなく、心のメンテナンスの仕方もぜひ考えておいてほしい。正解はない。でも「心が折れる前に手を打つ」ことは、意外と大切だ。
知識や資格だけでは心の防御はできない
資格試験を突破したとき、もう怖いものはないと思っていた。でも現実の現場では、人の言葉ひとつで心がぐらつく。実務は知識だけじゃなく、感情との向き合い方が問われる世界だと感じている。
それでも、この仕事をやっていく理由
それでもやっぱり、ありがとうの言葉や、感謝の涙に出会えると、「この仕事をやっていて良かった」と思う。嫌な言葉は確かにある。でも、それを上回る瞬間もある。だから、また朝が来たら、机に向かう。それが司法書士という仕事だと、最近は少しだけ誇りに思える。