表向きは元気、でも中身はボロボロ
「最近調子良さそうですね」と言われて笑って返す。でもその笑顔の裏側では、目の奥が死んでる。そんな自覚がある。地方の小さな司法書士事務所を一人で回していると、どこかで「弱音を吐いたら負け」という妙な空気がある。誰にも頼れないから、気づけば「いつも笑ってるいい人」ポジションを自分で勝手にキープしてる。でも実際のところ、疲れすぎてて感情が動かない日もある。それを「元気そう」に見えるようにしてるだけ。
「笑顔で対応」は職業病?
司法書士って、依頼人に安心してもらうのが仕事の一つでもある。だから自然と笑顔になる。怒ってる顔で書類を渡したら相手も不安になるし、「この先生大丈夫かしら」って思われる。でもその笑顔、1日何回使ってるかって考えるとゾッとする。電話、来所対応、外回り。ずっと「感じよく」振る舞ってるうちに、もうそれがデフォルトになってて、感情と表情が乖離していく。
疲れてるのに笑ってしまう習性
昔、法務局の帰り道で自転車のタイヤがパンクして、押しながら歩いてたとき、通りすがりの人に「大変そうですね」って声をかけられて、条件反射で笑って「大丈夫です」って言ってた。でも心の中は「いや全然大丈夫じゃないし…」って思ってた。そのときふと、自分の笑顔ってもう自分の意思じゃなくなってるんだなって怖くなった。
気づいてほしいけど、気づかれたくない矛盾
事務員の子が「先生、疲れてませんか?」って聞いてくれたことがあった。正直すごくうれしかった。でも同時に、「そんなに出てた?」って恥ずかしさもあって、「大丈夫だよ、ありがとう」って答えてしまった。本当は、「今日だけでも先帰っていい?」って言いたかった。でもそれを言ったら崩れてしまいそうで、笑ってごまかした。
なぜか“できる人”ほど休めない
不思議と、何でもそつなくこなしてるように見える人ほど、周囲から「頼っていい人」になってしまう。私も、いつの間にか事務所の“すべて”が自分の手の中にあるような状態になっていた。決してそれがイヤだったわけじゃないけれど、ある時期から「これ、誰にも渡せないじゃん」って気づいて、絶望的な孤独を感じた。
頼られる=抜けられない負のスパイラル
一度「この人に任せれば大丈夫」と思われると、みんながその安心感に依存してくる。最初は「信頼されてるんだ」と思ってやりがいもあった。でも、案件が重なりすぎて、気がつけば自分のキャパを超えていた。にもかかわらず「このくらい大丈夫でしょ?」という周囲の期待が、どんどん重荷になる。
「手が空いたら休んでいいよ」の罠
何度か、「ちょっと休もうかな」と思ったことはある。でもそのたびに「今の案件が終わったら」「来週の調整がついたら」と後回しにして、結局休めた試しがない。手が空くタイミングなんて永遠に来ないのがこの仕事。だから「休んでいい」じゃなくて「無理やり休む」が必要なんだと思う。でもそれが本当に難しい。
頑張る人が抱える「見えない疲労」
体が重い。目がしょぼしょぼする。朝が来るのが怖い。だけど、それを「疲れてる」と断言できないのが厄介だ。忙しさに慣れすぎて、どこからが「疲れすぎ」なのか分からなくなっている。無理してる感覚すら麻痺してるのが、頑張る人の恐ろしいところだと思う。
自分で自分を追い込んでいる感覚
他人から強制されてるわけじゃないのに、自分に厳しくしてしまう。「まだできる」「もっとやれる」って思い込んで、どんどん仕事を詰め込んでしまう。昔、依頼人に「すぐできますか?」と聞かれて、「明日には」って答えたけど、内心は「三日はかかるだろ…」だった。でもその“すぐ”に応えないといけないって思ってしまった。
やらないといけない病、発症中
やらないと気が済まない。放っておけない。でもそれって、やらなかったら誰かに怒られるとかじゃなくて、「やらなかった自分を許せない」っていう自意識の問題だったりする。夜中に「あれ、メール返信したっけ?」って思い出して布団から起きるの、もう習慣になってる。
「自分だけが頑張ってる」孤独感
周囲がサボってるわけじゃない。でも、自分だけが泥水すすってるような感覚になる瞬間がある。誰にも頼れず、一人で回してる司法書士あるあるかもしれない。「事務員には無理させられない」と思って背負った結果、自分が潰れてしまう。けど、それに気づいた頃には、もう限界ギリギリだったりする。
「普通に働くだけでヘトヘト」の正体
1日を何とか終えて、家に帰っても、何もできない。ただただ横になるだけ。これって、普通の働き方なんだろうか?なんでこんなに疲れてるんだろう。体力の問題じゃない。気力が奪われてるからだ。人の気持ちに向き合って、法律を読み込んで、何かミスがあれば信用を失う。そりゃ、疲れるよ。
処理すべき案件の“密度”が違う
登記や相続手続きって、一件一件の密度が濃い。書類集め、確認、電話、訂正、移動。やってることが多すぎるのに、外から見ると「机で座ってるだけ」に見える。そんな見えない仕事が積み重なって、自分でもどこで疲れたのか分からない。ただ「もう無理だな」ってだけは分かる。
気力で乗り切ることの限界
「あと一日だけ頑張ろう」「来週には楽になるから」って言い続けて、何カ月も経ってる。気力だけで動くのは限界がある。ある日、ふと「もう何も感じないな」って思ったとき、自分の中の何かが擦り切れてることに気づいた。そうなってからでは遅いんだよな、本当は。
休むことが、こんなに難しいなんて
「疲れたなら休めばいいじゃん」って簡単に言われるけど、その“休む”が難しい。自営業だから?責任感が強すぎるから?たぶん、両方。でも一番は、「休む自分を許せない」っていう、変なプライドかもしれない。
「ちゃんと休んでる?」の無力感
周りに言われても、休めない。事務員が「先生、休んでくださいね」と言ってくれる。優しいなって思う。でも、だからこそ「休んだら迷惑かける」と思ってしまって、結局無理する。誰かが代わりにやってくれるわけじゃないっていうのが、この仕事のつらいところ。
休んでるはずなのに疲れが取れない理由
たまの休日に温泉行ったり、映画見たりしても、心が休まらない。「月曜の朝が怖い」「あの案件どうなってたっけ」とか、脳のどこかが常に稼働してる感じ。これはもう、完全に“頭の中ブラック企業”状態。
本当は“気を使う”だけで体力が減ってる
依頼人対応、役所とのやりとり、事務員への配慮。言葉ひとつ、表情ひとつで相手の反応が変わる世界で生きてると、常に気を張ってる。その気疲れこそが、体の疲れ以上に蓄積してる気がする。
罪悪感と戦いながらの小さな休憩
昼ごはんをゆっくり食べるだけでも、「あ、やばい、あの書類まだだった」とか思ってしまう。「5分でもいいから目を閉じよう」と思っても、目を閉じた瞬間にあれこれ思い出して、逆に疲れる。これ、もう“休み下手病”だ。
「頑張ってる人」ほど休み方を知らない
努力してきた人ほど、「立ち止まる=怠け」と思ってしまう。でも実際は、立ち止まる勇気が一番必要。「今日は何もしない日」と決めて、実際に何もしないでいられる人こそが、真に頑張れる人なんだと思う。
疲れをため込まないためにできること
もう限界になる前に、ちょっとだけ立ち止まってみよう。このコラムを読んで、「あ、自分もかも」と思ったなら、それだけで一歩目。完璧じゃなくていい。誰かに弱音を吐けるだけでも、世界の見え方は変わる。
「誰かに弱音を吐ける」って実は才能
愚痴をこぼすって、カッコ悪いことじゃない。むしろ、そうやって自分を守っていける人こそが、本当の意味でプロなんだと思う。だからこそ、このコラムでは、もっともっと愚痴を吐いていこうと思ってる。
心が擦り切れる前に気づくためのサイン
寝ても疲れが取れない。好きだったことに興味がわかない。そんなときは、心が限界のサインを出してるのかもしれない。自分だけは、自分を見捨てちゃダメだ。