あの日、私は“正しさ”に潰された|クレーマー対応で心が折れた瞬間

あの日、私は“正しさ”に潰された|クレーマー対応で心が折れた瞬間

はじめに──「正しさ」の重圧に疲れた日

司法書士という仕事には、常に「正確さ」が求められます。間違いが許されない、というのはどの士業でも共通でしょう。しかし私は、正しさを貫こうとした結果、自分自身の感情を押し殺し続け、ついには心が折れた経験があります。今回は、私が燃え尽きたある日のことを通して、士業における感情の扱い方、そして“正しさ”に潜む危うさについて語ってみたいと思います。

クレーマーとの遭遇:些細な説明ミスが引き金に

あの日、登記の件で来られた依頼人は、初対面からピリピリしていました。細かくメモを取り、こちらの言葉を逐一確認する姿勢に、ただならぬ緊張感を感じたのを覚えています。私はできるだけ丁寧に説明したつもりでしたが、ひとつの言葉の解釈をめぐって、想定外のトラブルへと発展していきました。

丁寧に伝えたつもりが、伝わっていなかった

「登記完了には1週間ほどかかります」と私は説明しました。しかしその方は「1週間で絶対終わる」と受け取っていたようで、期日を過ぎたとたん、怒鳴り込んでこられました。「あんた、そう言っただろ!」と詰め寄られたとき、私はただ呆然としました。確かに私は期限に「前後する可能性」には触れなかった。だがそれは、経験上当然の変動だと考えていたのです。

「誠意を見せろ」と詰められた朝

翌朝、電話が鳴りました。相手は開口一番、「誠意を見せろ」と言いました。誠意とは何でしょう。謝罪の言葉? 無料での対応? 感情的に謝ればよかったのか? 正直、私は正当な対応をしている自負があったため、「なんでここまで言われないといけないんだ」と思うばかりでした。

対応するしかない現実──逃げられない、断れない

小さな司法書士事務所では、電話も来客も、自分が受けなければ誰も代わってくれません。たとえ相手が理不尽でも、怒鳴られても、逃げる場所がないのです。その日も、「この件、上司と代わってくれ」と言われましたが、私が所長だと言うと、さらに怒りはヒートアップしました。

相手の感情のはけ口になってしまう仕事

「士業=感情をぶつけやすい対象」になってしまう現場もあります。私はあの日、完全に怒りのはけ口でした。まるで私が“国家”や“制度”そのもののように非難を浴びたのです。私個人ではどうにもならない制度の限界や、予測不能な要因にまで責任を負わされている気がして、心が折れそうになりました。

「仕事だから仕方ない」で自分を押し殺す

何度も自分に言い聞かせました。「仕事だから、仕方ない。」「この人も不安なんだ。」でも、心のどこかで「この人の怒りは正当なのか?」と疑問が渦巻きます。それでも「謝っておけば丸く収まる」と口では言いつつ、心はどんどん冷たくなっていきました。

事務員のフォローと、見えない負担

私の事務所には一人、真面目な事務員さんがいます。今回の件も、彼女が相手と私の間に入って必死でフォローしてくれました。しかし彼女自身もストレスを抱えていることは明らかでした。お互いに疲弊していて、でも誰にも言えない──そんな空気が事務所に充満していました。

小さな事務所だからこその孤独

同僚も上司もいない。相談する相手もいない。小さな事務所の長としての「責任」は、どんなに感情的にきつくても、「泣いてもいいですか」とは言えない雰囲気を作ります。私はその孤独感に、ひそかに心を削られていったのだと思います。

サポートされる側にも余裕はない

事務員さんに助けられるたびに、「自分は情けない」と思う気持ちが強くなります。フォローしてくれる彼女に感謝はしていますが、それでも「本来は自分が対応すべきだった」という自責が積もるばかりでした。

「正しさ」にこだわる自分が壊れる瞬間

私の中にはずっと、「間違っていないのだから、謝るべきではない」という信念がありました。しかしその信念が、ある日自分自身を苦しめる刃になりました。誰かに理解されたい、正しさを分かってほしい──その思いが届かないとき、人は本当に孤独になります。

間違っていないのに謝るという矛盾

相手の怒りを鎮めるためだけに、こちらが頭を下げる。それが“正しい対応”とされてしまう風潮があります。でもそれは「正しさ」ではなく、「沈黙の対価」です。私はそれを繰り返すうちに、自分が壊れていく感覚を覚えました。

自分の価値観を捨てるような感覚

「本当は違う」と思いながらも、流れに飲まれ謝罪を続ける日々。自分の中にある“誇り”のようなものが、少しずつ削られていきます。結果として、私はもう、何が正しいのか分からなくなっていました。

それでも続けている理由

それでも、私はこの仕事を続けています。理不尽なクレームのあとに「ありがとう」と言ってくれる人も、まだいるからです。たった一人でも、自分の仕事を信じてくれる依頼人がいれば、また立ち上がれる──そう思いたいのです。

依頼人の「ありがとう」が染みる日もある

全ての依頼人がクレーマーではありません。むしろ、多くの方は礼儀正しく、丁寧に接してくださいます。その「ありがとう」が、私のような弱い司法書士を、なんとか明日へつなげてくれているのです。

逃げなかった自分を少しだけ認めたい

たとえボロボロでも、逃げなかった自分を、少しだけ褒めてあげたいと思います。今日もまた、誰かの役に立てると信じて、事務所を開けます。

これから司法書士を目指す人へ伝えたいこと

この世界は、知識と同じくらい「感情」を扱う力が問われます。机上の論理では割り切れない現実が、毎日やってきます。それでも、この職業には人の人生を支える「重み」と「やりがい」があります。

知識だけじゃ足りない「耐える力」

登記法や民法を覚えるのは当然の前提。でも、それだけでは足りません。理不尽な怒りにさらされたとき、誰かの不安を受け止めたとき、それを跳ね返す“心の筋力”が必要なのです。

でも、向いている人はきっといる

愚痴っぽくなってしまいましたが、それでもこの職業に向いている人は確実にいます。人の話を丁寧に聞ける人、正しさと柔らかさを両立できる人、そして、自分のペースで信頼を積み重ねられる人──そんな人にとっては、司法書士はきっと“やりがいの塊”になると思います。

おわりに──愚痴を吐いて、明日もまた

クレーマー対応で心が折れた、そんな日もあります。でも愚痴を吐くことで、少しだけ心が軽くなり、明日を迎える準備ができる気がします。もしこれを読んでいるあなたが、どこかで同じように疲れている司法書士だとしたら、一緒に愚痴りましょう。そしてまた、ゆっくりでも、歩き出しましょう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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