あの時は怒鳴られたけど──依頼人の“ありがとう”に救われた話

あの時は怒鳴られたけど──依頼人の“ありがとう”に救われた話

理不尽は日常茶飯事、それでもやってる理由

司法書士という職業は、外から見ると「先生」と呼ばれて頼りにされる立場かもしれません。でも実際の現場では、クレーム、急な変更、終わらない調査、そして時間に追われる手続きと、精神的に削られることの連続です。理不尽なことで怒られたり、こちらに非がないのに謝る場面も多く、「なぜこの仕事をしてるんだろう」と自問自答する日もあります。でも、それでもやめない理由が、きっとどこかにあるんです。

怒られるのに慣れる日々──「先生」とは名ばかりの現実

「先生なんだからちゃんとしてよ」と怒られるのは、珍しいことではありません。こちらに落ち度がない場合でも、相手の気分や状況によって怒りをぶつけられることがあります。法律という枠の中でできることには限りがあるのに、それ以上の「魔法」を求められることも少なくありません。感情的な言葉を受け流すことにも慣れてきますが、心のどこかでは確実にダメージを受けているのを感じます。

一つのミスで信頼はガタ落ち、なのに完璧は求められる

たった一つの確認漏れで「信用できない」と言われることもあります。それがどれだけ細かいことであっても、依頼人からすれば「プロのくせに」となってしまう。ミスをしていなくても、疑われるだけで冷たい目を向けられる。その緊張感の中で日々仕事をしていると、正直、心がすり減っていくんですよね。

あの日の電話が、始まりだった

ある日、朝一番で鳴った電話。番号を見ると、前日に書類を届けたばかりの依頼人からでした。電話に出ると、いきなり声を荒げたクレーム。「説明が不十分だ」「こんなことで済むと思うな」と、畳みかけるような言葉に、血の気が引いたのを今でも覚えています。

最初からトーン高めの依頼人──こちらに非はなかったけど

今回のケース、実はこっちの落ち度はほとんどなかったんです。登記手続きの性質上、予測できない待ち時間や、書類の補完依頼は付き物。それを丁寧に説明していたつもりでしたが、「聞いていない」「誤解させた」と言われてしまったら、それまでなんですよね。電話口で「そういうものなんです」と伝えるたびに、「逃げているように聞こえる」と返されてしまい、完全に八方ふさがりの状態でした。

「あなたに頼んだのが間違いでしたね」その一言の重さ

この一言は、本当に堪えました。自分が必死に対応してきた過程なんて、まったく意味がなかったんだな、と。依頼人のために夜遅くまで資料をそろえて、何度も法務局に確認を取っていたのに、「間違いだった」と言われた瞬間、その努力がすべて無価値になったような気がして、しばらく机から動けませんでした。

こっちだって人間だ、心が折れかける

司法書士という仕事は、感情労働でもあります。淡々と書類をこなすだけでは済まず、依頼人の不安、怒り、苛立ちを受け止める器が求められる。でもこっちだって、ただの人間なんです。日々の業務に追われながら、自分の感情の処理まで抱え込むのは、正直しんどい。

一人事務所のしんどさ、逃げ場がない

都会と違って、地方の一人事務所は本当に孤独です。相談できる同業者も少なく、ミスがあれば自分でかぶるしかない。逃げ場も愚痴を言う場所もありません。忙しいときほど電話が鳴り、急ぎの仕事が舞い込み、昼食を取れない日もあります。そんな中で怒鳴られると、「何のために働いているんだろう」と思ってしまうのです。

事務員の前では平静を装うしかない

一人だけ雇っている事務員さんも、もちろん気を使ってくれます。でも、こちらが崩れるわけにはいかない。私が取り乱せば、業務全体が崩れるから。だからこそ、どれだけ辛くても「いつもの顔」でいるしかないんです。

「先生って楽そうですね」なんて言われた日もある

昔、法務局で他士業の方から「先生って楽そうですね」と言われたことがあります。ニコニコしていましたが、心の中では「じゃあやってみてくれよ」と叫びたかった。責任も、感情のケアも、誰よりも重いのが司法書士なのに、外からは見えにくい。そういうギャップにも疲れるんです。

でも、やるしかなかった

それでも、途中で投げ出すことはできませんでした。仕事として当然だし、依頼人の人生がかかっていることもある。感情がどうであれ、やるしかない。いや、やるしかなかったんです。

信頼回復のための地味な努力

毎日のように状況を報告し、不安に思いそうな部分には先回りしてフォローの電話を入れるようにしました。正直、喜ばれるどころか、「しつこい」と思われていたかもしれません。でも、こちらの誠意を伝える方法は、それしかなかったんです。

進捗報告と気遣いの電話、嫌がられても繰り返す

連絡を入れるたびに、「はいはい」と素っ気ない返答が返ってきました。でも、それでもやめませんでした。いつか気持ちが伝わると信じていたわけではなく、ただの執念に近かったかもしれません。

正解がわからないまま、手続きを進めた

最終的に、書類がすべて整い、無事に登記は完了。けれど、依頼人の怒りが本当に収まっているのか、ずっと不安でした。あれだけ言われたのだから、最後まで不信感のまま終わるのかもしれない、と覚悟していました。

そして、まさかの一言が届いた日

登記完了後、最後の書類を渡した帰り際。その依頼人から、思いがけない言葉をもらったんです。口調は相変わらず少しぶっきらぼうでしたが、確かに、感謝の気持ちが込められていました。

「この前は言い過ぎました、すみません」

あの一言が、どれだけ救いになったか。きっと本人は覚えていないかもしれません。でも、こちらとしては、あの言葉でずっと張り詰めていたものが、一気に緩んだ気がしました。

「本当に感謝しています」──涙腺にきた言葉

「本当に感謝しています」と言われた瞬間、不覚にも目頭が熱くなりました。怒鳴られたことより、感謝されたことでこんなにも心が救われるなんて、自分でも驚きました。

司法書士という仕事の不思議な重さ

司法書士の仕事は、報われる瞬間がほんの一瞬だけ。でも、その一瞬のために、どれだけのプレッシャーと向き合っているか。やりがいとは、単なる達成感ではなく、感情の往復の中にあるのかもしれません。

怒られる仕事だけど、最後に感謝されることもある

普段は怒られることの方が多いです。説明不足と誤解され、八つ当たりされることもある。それでも、その中でたまに「ありがとう」と言われたとき、その言葉は心の底に届いて、しばらく忘れられなくなります。

報われる瞬間は一瞬、でも支えになる

依頼人に感謝された一言が、どれだけ心の支えになるか。その一瞬のために、また頑張ろうと思える。報酬よりも、その言葉のほうが重かったりします。

それでもやっていける理由

やっぱり、この仕事は好きなんだと思います。苦しいけど、誰かの役に立っている実感がある。だからこそ、理不尽にも耐えられるし、もう少しだけ続けてみようと思えるんです。

自分のためじゃなく、誰かのために動いてると実感できる

感謝されたとき、「この人の人生に、ほんの少しだけ貢献できたかもしれない」と思えます。それが、この仕事をやっている意味なんでしょうね。誰かの安心や前進を支える手助けができる。それって、意外とすごいことかもしれません。

「ありがとう」がなければ、たぶん続けていない

正直、「ありがとう」がなかったら、とっくに心が折れていたと思います。やる気も、使命感も、全部吹き飛んでいたかもしれない。だからこそ、今日もまた「誰かのありがとう」を目指して、仕事に向かっています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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