境界トラブルの恐ろしさ、なめてはいけない
「土地の境界なんて、図面を見れば一目瞭然でしょ?」と思われがちだが、現実はまったく違う。境界というのは、物理的な線というよりも、時に人のプライドや長年の生活の積み重ねそのものだったりする。私は司法書士として何度も境界問題に立ち会ってきたが、毎回感じるのは、「これは感情の地雷原だな」ということだ。法律や測量図が通用しない場面もある。今回紹介するのは、その極端な一例だった。
「たかが土地の線一本」が引き起こす修羅場
市街地から少し離れた住宅地、依頼人は70代の男性。自宅の隣に住む兄弟との間で、境界杭の位置が違うと言い争っていた。話を聞いた時点では「まあ、お互いの認識違いでしょう」と軽く考えていた。しかし現地での立ち会いが始まるや否や、空気は一変。たかが杭の位置ひとつで、ここまで怒りがあふれるのかと思うほどだった。冷静なやりとりが期待される士業にとっては、完全に予想外の事態だった。
司法書士として一歩間違えば巻き込まれる現実
第三者としての立場を守ることは簡単そうに見えて、実はとても難しい。依頼人は「先生も見てくださいよ、明らかに向こうが勝手に動かしたんです」と私に詰め寄る。反対側の兄も負けじと「そっちが図面を偽造してるんだ!」と怒鳴る。中立であるべき立場なのに、どちらにも疑われる、あるいは引きずり込まれる可能性がある。境界トラブルは、書面だけでは解決できない人間関係の縮図だと痛感した。
あの日、現場で何が起こったのか
普通の依頼のつもりで現地に向かった日のことを、私は今でも鮮明に覚えている。天気は晴れ、風もなく穏やかだった。だが現場に着くと、依頼人兄弟の間にはただならぬ緊張感が漂っていた。立ち会いの場は一見静かだったが、何かが爆発寸前であることは、空気で伝わってきた。まさか司法書士の仕事で「止めに入る覚悟」を求められるとは、あのとき初めて知った。
依頼内容はごく普通の筆界確認だった
依頼されたのは筆界確認手続き。測量士と連携して図面を作成し、立ち会いを経て署名を得るという、よくある業務だ。だが、この「よくある」は非常に曲者で、現場での温度感は依頼人の性格や家族関係で大きく変わる。このケースでは、兄弟間の感情のもつれが何十年も積み重なっており、私たちがその蓋を開けてしまった形だった。
現地立ち合いが泥試合に変わる瞬間
図面を片手に現場へ向かい、「こちらが推定される筆界になります」と説明したその時だった。お互いの視線がぶつかり、場の緊張が一気に高まった。依頼人の兄が「その杭は俺が小学生の頃からあった!」と主張し始め、弟は「いや、それは父親が勝手に打ったやつだ!」と応戦。説明も聞かず、どんどん感情がエスカレートしていった。
張り詰める空気、異常に静かな開始
最初は、お互い無言だった。互いに譲る気などないというのが、無言の圧力で伝わってきた。測量士が境界線の位置を読み上げても、誰一人頷かない。目は杭ではなく、相手の目を睨みつけていた。私は「このまま黙ってれば終わるかな」と淡い期待をしていたが、どうやら甘かった。
ついに出た「そっちが勝手に動かしただろ!」
弟の怒声が飛ぶ。「そっちが勝手に動かしただろ!」。その一言が、兄の怒りに火をつけた。図面や証拠よりも、子どもの頃の記憶や父親への思いが先に来てしまう。すでに法の話ではなく、感情のぶつかり合いに変わっていた。手が出るのも時間の問題だと私は直感した。
もう止まらない、物理的に殴り合いになりそうな空気
私は「落ち着きましょう」と声をかけたが、聞いていない。兄が弟の肩を小突いた時点で、私は間に割って入った。「ここは話し合いの場です!」と声を張り上げた。司法書士というより、もはや町内会の仲裁役だ。とにかく物理的な衝突だけは避けねばと、必死だった。
現場で司法書士が取るべき対応とは
こうしたトラブルに直面した時、法律家としての冷静な対応はもちろんだが、それだけでは足りない。むしろ、感情をいかにコントロールし、空気を読みながら進めるかという“空気読解力”が試される。今回は、体を張ってでも止めるという選択をしたが、それが正しかったのか今でも自問している。
その場を収めるスキルは士業の中でも特殊技能
立ち合いの場で怒鳴り合いになったとき、いかに冷静に、かつ中立的に場を収めるか。それには経験も必要だが、「人を信じすぎない力」も必要だと痛感する。どちらの言い分にも正しさはあるが、どちらにも偏らず、それでいて感情的な暴発を防ぐ。司法書士ってこんなに難しかったっけ?と感じた瞬間だった。
「法律上は〜」が通じない世界
この仕事をしていると、「法律ではこうです」と言っても、それが意味をなさない場面がある。人は感情に支配されると、合理性や根拠など吹き飛んでしまう。いかにこちらが正確に法的説明をしても、感情に飲み込まれた人には届かない。今回はそれが極端な形で表れた事例だった。
正論が火に油を注ぐ瞬間
私は「登記簿上の境界はこちらです」と説明したが、その瞬間、兄が「そんなもん後からいくらでも変えられるだろ!」と声を荒げた。つまり、こちらの「正しさ」が、逆に相手の不信感を煽る結果となった。正論がいつも正しいとは限らない、それが司法書士として身につまされる現実だ。
とっさに取った対応、正しかったのか今でも迷う
結局、私はその場を一時中断し、後日再調整とした。事務所に戻ってからも、「あの場で中止して良かったのか」「もっと冷静に話せるよう導けなかったのか」と、自己嫌悪が残った。だが、怪我人が出なかっただけマシだと考えるようにしている。
それでもこの仕事を続ける理由
境界線という「目に見える線」の裏にある、「見えない感情」を扱うのが、司法書士の仕事だと思っている。大変だし、正直やめたくなる時もある。でも、それでもやりがいがあると思える瞬間が、たまにはあるのだ。
依頼人が最後に見せた「ありがとう」の重み
数週間後、弟さんがひっそり事務所に来てくれた。「あの時、先生が止めてくれてよかったです」と。短い一言だったが、胸にじんときた。殴り合い寸前だった現場の空気がよみがえり、少し涙が出そうになった。この一言のためにやっているのかもしれない、と思えた。
誰かの修羅場に一筋の筋道を通す存在でありたい
司法書士の仕事は書類を整えるだけじゃない。時に、人間関係の泥沼に足を突っ込み、そこに道筋をつける仕事でもある。体力も気力も削られるが、それでも「誰かの困った」を少しだけ軽くする手助けができるのなら、まだしばらくは続けていこうか。今日もまた、境界をめぐる電話が鳴っている。