いつも“あとで出す”――見積書が積もる日々に終止符を

いつも“あとで出す”――見積書が積もる日々に終止符を

見積書、それは「後回し病」の象徴

司法書士の仕事において、見積書の作成というのはごく基本的な業務のはず。でも、それがどうしてこんなにも精神的に重いのか。結局のところ、「あとで出そう」と自分に言い訳して後回しにしてしまう。その積み重ねが、やがて書類の山となり、いつの間にか自分の首を絞めてくる。業務の合間に「ちょっと書くだけ」なのに、その“ちょっと”がどれほど遠いものか、同業者であれば痛いほどわかるはずだ。

なぜか後回しにしてしまう、あの一枚

たとえば依頼者と面談したその日に、概要も料金感も掴んでいるのに、なぜか「明日まとめよう」と思ってしまう。すると翌日には別の依頼が舞い込んできて、またその翌日には法務局とのやりとりがあり、気づけば見積書は3件、5件と「未対応フォルダ」に溜まっていく。優先度の高い書類に追われるうちに、「後でもいい仕事」が「永遠に手がつかない仕事」に化けてしまうのだ。

優先度は高くない。でも放置はまずい

見積書の提出は、契約の起点である。だから本来なら最優先にすべき作業なのだが、明日でも明後日でも一応問題が起きにくいせいか、気づけば後ろに追いやられてしまう。しかもそのまま忘れてしまうと、依頼人側からの信頼はどんどん薄れていく。本人に自覚がなくても、「あの先生、遅いんだよね」と思われるのは時間の問題だ。

出しそびれたときの言い訳と罪悪感

「あ、すみません…バタバタしておりまして…」という常套句。言いながらも自分が一番わかっている。「本当はもっと早く出せたのに」って。そして、ちょっとしたメール一通に詰まる妙なプレッシャー。言い訳は一度出すとクセになり、次からも堂々と言ってしまう。その自分が嫌で、また気が重くなる悪循環だ。

気づけば机の上に“出し忘れの山”

事務所の机の端、コピー機の下、ファイルボックスの脇。どれも「とりあえず置いた」見積書の元ネタたち。出そうと思って後に回した案件が、物理的に積み上がってくる様子は、まるで自分の無力さの証明のようで見ていてつらい。郵便で届いた書類や、電話のメモと一緒に埋もれたその資料たちは、出しそびれた重みとして日々増えていく。

紙が増えるたびに気持ちが重くなる

ひとつひとつはA4の紙1枚か2枚。でもそれが10件、20件となると、精神的な圧迫感はかなりのものになる。物理的な「未処理の山」を視界に入れながら仕事をするのは、本当に気が滅入る。さらに悪いことに、その山の存在が「自分はダメだ」という自己否定感を助長してしまう。

溜まるほどに出しづらくなる心理の罠

1日なら「すみません、遅れました」で済む。でも1週間経ってしまうと、「いまさら出すのもどうかな…」という思考が始まる。相手から何も言われていないと余計に怖くなる。結果として、ますます放置。そしてある日、「もう手遅れだな」と開き直ってしまう。そうして失われた信頼は、意外と取り戻せない。

なぜこんなにも見積書が苦手なのか

司法書士の仕事は、書類を作ることが仕事の大半を占める。にもかかわらず、見積書だけはなぜか腰が重い。それは、単なる作業の面倒さだけでなく、見積もること自体にある種の「恐れ」があるからかもしれない。金額を提示するという行為には、責任とリスクが付きまとうからだ。

数字に強いはずなのに、なぜか億劫

不動産の評価額や登記費用をスパッと計算できる司法書士が、なぜか見積書の金額になると急に自信がなくなる。「この金額で納得してもらえるだろうか」「高いと思われないか」と、不安がよぎる。そのくせ、低く見積もってしまうと自分の首を絞める羽目になるので、やっかいだ。

見積書は「責任感」の塊である

書類の内容だけでなく、そこに書いた金額が最終的な契約になることも多い。だからこそ、軽はずみに書けないという気持ちが働く。特に、ちょっと込み入った案件では、「あとで請求額と違ったらどうしよう」という不安が先に立ち、手が止まってしまうのだ。

後から価格を詰められる恐怖

「最初にこれって言いましたよね?」と言われるのが、何より怖い。だから金額には慎重にならざるを得ないし、そうなると見積書一枚にも神経を使ってしまう。それが積もり積もって、出すのが面倒くさいという感情に変わる。そして、また後回しにする――負のスパイラルだ。

見積書対応で日常が崩れる瞬間

1件2件ならいい。でも5件6件とたまってくると、「今日は絶対に片付けよう」と思っていた時間が丸々つぶれてしまう。見積書を一気に片付けるには集中力が必要で、そのためのまとまった時間を確保するのも大変。結局、「明日やろう」に戻ってくる。

1枚書くのに30分、でもその30分が取れない

ちょっとした調査、添付資料の確認、料金体系の調整――意外と時間を食う見積書作成。電話が鳴れば手が止まり、来客があればリズムが崩れる。結局、まとまった時間を確保できずに「途中でやめた見積書」が増えていく。そしてまた最初から見直しになる。まったく効率が悪い。

電話にメールに役所対応――割り込みだらけ

この仕事は、自分のペースだけでは進まない。電話一本でスケジュールが崩れるのは日常茶飯事。役所とのやりとりも相手次第。そんな中で「集中して見積書を作る時間」を確保するのは、本当に難しい。結局、割り込みに負けて、また後回し。気がつけば夜になっている。

集中力が持たない日々

疲れてくると、たった一つの見積もりの文章を考えるのにも頭が回らない。誤字脱字、金額の記載ミス、依頼内容の取り違え。集中力を欠いたまま書いてしまえば、余計にトラブルになるのは目に見えている。それが怖くて「ちゃんと頭が働くときにやろう」と思う。だが、そんな時間はなかなか訪れない。

見積書に追われない仕組みづくりを考える

見積書の作成を苦に感じるのであれば、それを「習慣化」し、「仕組み化」するしかない。心理的負担を軽くするために、あらかじめテンプレートを用意しておいたり、パターン別に金額を設定したりすることで、作業をルーチン化することができる。

自動テンプレート化で“迷わない”工夫

登記内容や業務の種類ごとに金額とフォーマットをある程度決めておけば、毎回悩まずに済む。Googleスプレッドシートやテンプレートソフトを使って、必要項目を入力するだけで見積書が自動生成されるようにしておくと、それだけで心理的なハードルがぐっと下がる。

思い切って事務員に任せる覚悟

事務員にある程度まで入力してもらい、自分は確認と最終判断だけにする。最初は不安でも、慣れてしまえば十分戦力になる。自分で全部抱え込むよりも、作業分担したほうが、結果的には早く正確に終わることも多い。

「即日出す」を習慣にできるか

「面談した当日に見積書を送る」と決めてしまえば、むしろ気が楽になる。余計な心理戦をせずに済むし、信頼感も増す。最初はしんどいけれど、やってみれば意外とできる。とにかく「ためない」こと。これに尽きる。

見積書がスムーズに出せるようになった日

まだまだ完璧とはいかないけれど、最近は少しずつ「出せるようになってきた」。それは、大げさではなく、自分にとって大きな進歩だ。以前は5日も6日も放置していたのが、今では当日中に出せることもある。そうなると、不思議と気持ちも軽くなる。

最初は5分だけ机に向かう――小さな行動から

「完璧な見積書を一気に仕上げよう」と思うからしんどい。まずはざっくりと金額のラフ案だけでも入力しておく。そんな小さな前進でも、「すでに半分やった感」が出ると、翌日の自分が動きやすくなる。大事なのは、“動き出すきっかけ”を作っておくことだ。

積もらない安心感が心の余白を生む

あの山がないだけで、ずいぶんと呼吸が楽になる。次の案件に集中できるし、夜ふと仕事のことを思い出してうなされることも減る。「やることが減る」のではなく、「見えないストレスが減る」。これこそが、見積書に追われない日々の何よりのメリットだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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