「笑ってごまかす」が習慣になっていた
司法書士として十数年、地方で細々と事務所を構えてやってきました。電話のクレームにも、依頼人の無理難題にも、つい「ははっ、そうですね」と笑って答えるのが癖になっていました。本当は内心穏やかじゃない。でも「とりあえず笑っておけば丸く収まる」と自分に言い聞かせてきたのです。
苦情もミスも、とりあえず笑って対応
たとえば、提出済みの書類に依頼人の認識違いがあって「聞いてない」と怒られたときも、「あぁ、そうでしたか〜」と笑顔。ミスでなくても、怒りはまず受け止めなきゃと自分に言い聞かせていました。でも、本当は心の中で「ちゃんと説明しただろ」と叫んでいるんです。
真面目に怒るのが怖くなった理由
昔、正論で反論したら依頼人と関係がこじれて、紹介元にまで迷惑をかけたことがあります。それ以来、「感情は見せない方がいい」と思い込んでしまったのかもしれません。怒りも悲しみも、すべて笑いで包んで見えなくしてしまう。それが“安全”だと信じてしまっていたのです。
心の奥で感じていた「違和感」
笑ってはいるけれど、心の中ではずっと「これでいいのか」とモヤモヤしていました。周囲からは「柔らかくて良い先生」と言われるけれど、自分の中ではその評価にどこか居心地の悪さを感じていました。本音でぶつかれない自分に、何か大事なものを置き去りにしている気がしていたのです。
一人で抱え込んでいるという感覚
地方の小さな事務所。事務員は一人。相談相手はいないし、誰かに話しても結局は「先生なんだから頑張らなきゃね」と言われて終わり。気づけば何でも自分一人で処理して、「大丈夫ですよー」と笑ってごまかす日々。孤独は慣れているはずなのに、なぜか心が擦り減っていく。
「優しさ」の裏にある無力感
優しい、というのは便利な言葉です。でも「優しい=何も言わない、我慢する」と勘違いされているような気もします。本当は、気づいてほしいこともある。でも、それを伝える気力すら失ってしまう。そんなときの笑顔は、ただの「諦め」だったのかもしれません。
転機は、事務員との何気ない会話だった
そんなある日、事務員との昼休みに何気ない話をしていたとき、ふと「先生、いつもニコニコしてて逆に不安になります」と言われました。冗談まじりでしたが、その言葉が胸に刺さったのを今でも覚えています。「あれ、俺って…大丈夫そうに見えて、そうじゃないのかも」と思い始めた瞬間でした。
「先生、いつもニコニコしてて逆に不安です」
その言葉を聞いて、「そんな風に見えてたんだ」と驚きました。自分では“ちゃんとやってる”つもりだったのに、他人には「何かを隠している人」に見えていた。笑ってることが、安心感を与えてるんじゃなくて、むしろ逆の印象を与えていた。それがショックで、自分を見直すきっかけになったんです。
気づかぬうちに心を閉ざしていた
笑うことで自分を守っていたつもりが、実は周囲との距離をつくっていた。感情を出すのが怖くなって、本音で話すのを避けていた。そんなことに、ようやく気づきました。「明るい仮面」をかぶるのは楽だけど、そのぶん“人間味”がなくなっていたのかもしれません。
地方の小さな事務所という現実
都会のように同業者と頻繁に交流できるわけでもなく、相談する相手もいない。業務も営業も、自分ひとりでやらなければならない状況で、気軽に愚痴をこぼせる人もいない。それが地方の司法書士のリアルです。誰にも弱音を見せられず、だからこそ“笑ってごまかす”しかなかったのです。
相談できる同業者が少ない
司法書士の仕事は専門性が高く、細かい実務の悩みをわかってくれる人は限られています。特に地方では、競合関係にある同業者とはあまり深く話せない。だからこそ、つながりの希薄さがストレスになりやすいのです。ちょっとした相談もできず、笑って済ますしかない。
「忙しい」けど「孤独」という矛盾
毎日仕事は山積みで、やることに追われているはずなのに、どこかぽっかり心が空いている。忙しさでごまかしているだけで、実は誰ともつながっていない。そんな矛盾した状態に陥っている人は、私だけではないはずです。
それでも今日も笑ってごまかしてしまう
気づいていても、すぐに変われるわけじゃありません。笑う癖は抜けませんし、実際それでうまくいく場面もある。ただ、以前のように“全部笑って終わらせる”ことはなくなりました。少しずつでいい、本音を大事にするようにしています。愚痴ってもいい、弱音を吐いても、司法書士である前に一人の人間なんだから。
すぐには変われない。でも、少しずつでいい
笑顔が悪いわけじゃない。ただ、それが「無理している笑顔」なら、少しずつ自分の感情に目を向けていくことが必要です。全部をさらけ出す必要はないけれど、「本当は今、きついんだよね」と言える相手が一人でもいれば、ずいぶん違う。変化はゆっくりでいいんです。
「笑い」は武器にもなると信じたい
ただのごまかしとしての笑いではなく、相手を安心させたり、自分を立て直すための「強さの笑顔」もあると思います。だからこそ、私は「笑う自分」を否定はしたくありません。ただ、笑いの奥にある“本音”も大事にしていきたい。それが、これからの自分にとっての課題です。
読者のあなたへ:もし同じように感じていたら
もし、あなたも「笑ってごまかしてばかり」と感じているなら、安心してください。そんな人は少なくありません。弱さを隠すために笑うことは、決して間違いじゃありません。でも、その裏にある感情を自分自身で認めてあげることも大切です。
笑ってる自分を責めないでほしい
笑ってごまかすのは、ある意味での“処世術”です。だからそれを責めないでください。ただ、「本当はどう感じているのか」「何に無理してるのか」少しでも立ち止まって考えてみてほしい。それだけで、自分の心に少し余裕が生まれます。
時には吐き出しても、いいんじゃないですか
誰にも言えないこと、言いにくいこと、ありますよね。でも、誰かに話すだけで気持ちが楽になることもある。吐き出せる場所を、ぜひ持ってください。私もこうしてコラムに書くことで、自分を整理しています。一緒に、ちょっとずつやっていきましょう。