え、それって“サービス”のつもり?—頼んでない気遣いにモヤっとする瞬間

え、それって“サービス”のつもり?—頼んでない気遣いにモヤっとする瞬間

「サービス」の名を借りた押し付けにうんざりする

司法書士の仕事って、気を利かせることがかえって裏目に出ることがあるんですよね。こっちは「親切心」でやったつもりが、相手には「勝手なことをされた」と思われる。特に最近は「それって料金に含まれてますか?」と確認されることも増えて、こっちとしても一層慎重にならざるを得ません。サービスって何なんだろう、と考えさせられる毎日です。

感謝されないどころか、クレームにつながることもある

たとえば、以前こんなことがありました。登記の内容について、相手が分かりやすいようにこちらで図解を作って渡したんです。すると「こんな書類、勝手に作られても困る」と。感謝どころか「余計なことをするな」と言わんばかりの反応。なんとも言えない気分になります。これ、善意でやったのに、怒られるのか…と。

「親切でやったのに」と思った時点で終わりか

きっと、こっちが「親切のつもりだった」と感じた時点で、すでにそれは「自己満足」だったんでしょうね。相手の期待とズレていれば、それは“迷惑”に変わる。特に法律関係の仕事は、勝手な判断や裁量を嫌う傾向があります。相手が望んでいないのに勝手に手を出したら、それはトラブルのもと。分かってはいるんですけど、やっぱりモヤっとします。

司法書士の仕事は「説明しないと伝わらない」が大前提

「察してほしい」は通じない。それがこの仕事の基本です。何を、どこまで、どう進めるか。全部言葉にして、確認をとって、それでようやく一歩進める。だから、気遣いのつもりで「これは必要だろう」と先回りしたことが、まるで“越権行為”のように受け取られることもあります。

“先回り”がリスクになる職種

先日も、抵当権抹消のついでに「念のためこれも」と別の資料を用意したら、「頼んでないのに追加料金取る気ですか?」と疑われました。いやいや、そんなつもりじゃない…。でも、この「つもり」が通じないのがこの仕事。こちらの善意も、相手の不安に火をつければ、それは“サービス”ではなく“リスク”になるんです。

頼まれてないのに、やった方が損をする理不尽

「サービスしたら感謝される」なんて、甘い考えは通用しない。それどころか「頼んでないのに」と責められることもしばしば。じゃあ何もしなければいいのかというと、それはそれで「不親切」と言われたりもする。結局、損な役回りなんです、この仕事って。

「気を利かせたつもり」がトラブルの火種になる

昔、相手の不安を見越して、登記完了予定日を前倒しで伝えたことがありました。「遅れるとまずいだろう」と思っての配慮です。でも実際には法務局側の都合で予定がずれてしまい、「言ってた日に終わらなかった」と責められました。完全にこっちの善意が裏目に出た形です。

例:登記の補足資料を用意したら「そんなの頼んでない」

印象に残ってるのは、相続登記の時に相続関係説明図を見やすくカラーで印刷して渡したとき。「なんでそんな余計なことしたんですか?」と冷たく返されたんです。いまやPDFで事足りる時代ですから、「紙で出すのは非常識」とすら思われてたのかもしれません。感覚のズレが恐ろしい。

やらなかったらやらなかったで責められる矛盾

逆に、「それくらいやってくれて当然でしょ」と言われることもあります。これは本当に困る。「気を利かせても怒られ、何もしなくても責められる」。サービスとは一体何なのか、分からなくなります。

「前の事務所ではやってくれたのに」攻撃

「前の司法書士さんは○○までやってくれましたよ」なんて言われると、ぐったりします。そりゃそうでしょう、やってたかもしれませんよ。でも、それがこっちにも当たり前に要求されるのは違うはず。サービスの「標準」って、誰が決めるんでしょうね。

サービスと業務の線引きがあいまいすぎる

法律家としての責任と、サービス業的な気遣い。その境界が本当にあいまいなんです。しかも、相手によって求められる“当たり前”が違うから、毎回の対応に神経をすり減らします。

「それもやってもらえると思ってた」と言われたときの絶望

何も言われていなかったのに、「まさかそこまでしてくれないとは思わなかった」とか、「当然やってくれるもんだと思ってました」なんて言われると、本当にショックです。勝手な期待に応えられなかった自分が悪いのか、とまで思ってしまいます。

どこまでが無料で、どこからが有料か

「無料でやってくれると思ってました」パターンもなかなかの地雷です。契約前にちゃんと説明したはずなのに、「そういうのは“サービス”だと思ってた」と平然と言われたりします。

契約書で明示しても「聞いてない」と言われる現実

どれだけ契約書に明記しても、「そんな説明受けてません」と言われたら終わりです。しかも言った・言わないの話になると、司法書士が悪者にされがち。記録を残しておくのは必須ですが、それでも割り切れない思いは残ります。

「常識」の基準が人によって違いすぎる

「常識でしょ?」って言われるたびに「あなたの常識、こっちの非常識」と心の中でつぶやいてます。サービスに対する考え方が、世代や地域、相手の価値観によってまるで違うんです。それに振り回されるこっちの気苦労も、もうちょっと理解してもらいたいものです。

「優しさ」より「丁寧な線引き」が信用を生む

昔は、「ちょっとぐらいサービスした方が喜ばれる」と思ってたんです。でも今は違います。何でもかんでも気を利かせるのではなく、最初にしっかり説明して、境界線を引くこと。むしろそれが誠実さなんだと実感しています。

親切心が疲労の原因になると気づいたとき

あるとき、「最近疲れが抜けないな」と思って自分の対応を振り返ったら、全部“気遣い”で無駄なエネルギー使ってたことに気づいたんです。求められてもいないことをやって、勝手にへとへとになってました。これって意味ないですよね。

あえて冷たく見える対応が最善の時もある

「そこまではできません」とはっきり言うのが怖かった時期もあります。でも今は、「それは対応外です」と線を引くことで、逆に信頼を得られることも多いと感じています。過剰なサービスは誤解を生み、境界線を曖昧にするだけです。

司法書士という仕事は、サービス業ではないのかもしれない

司法書士は、法律の手続きを請け負う“士業”であって、“何でも屋”ではありません。最低限の接遇は大切ですが、「サービス精神」に押し流されると本来の仕事がぼやけてしまいます。

「なんでも屋」になってしまう危険性

「ちょっとこれもお願い」「あれもできませんか?」と言われ続けると、気づけば何でも引き受ける“便利屋”になってしまいがち。でも、それでは専門性も価値も下がってしまう。時には断る勇気が必要です。

“気遣いのコスト”が見えにくい職業

相手には見えないけれど、こちらは1件ごとに神経を使っていて、その蓄積がかなりの負担になっています。「サービス」は“無償”じゃなく“無視されがちな労力”なんですよね。せめて、そこに気づいてもらえる社会になってほしいです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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