「司法書士に頼んでいいんですか?」と聞かれる日常
地方の小さな司法書士事務所を営んでいると、いわゆる“業務範囲外”の相談を受けることが珍しくありません。そんなとき、よく言われるのが「こんなこと、司法書士に頼んでいいんですか?」という一言。こちらとしては、正直「いや、それは頼まれても…」と思うことも多々あります。でも、その言葉には、困っている人の本音と、誰に相談していいかわからない不安が滲んでいる。だから、愚痴りながらも、ついつい断れずにいるのが現実です。
想像以上に多様な“頼まれごと”
「書類の作成」や「登記の申請」だけが司法書士の仕事と思われがちですが、実際の現場ではもっと多岐に渡ります。とくに高齢の依頼者や、家族関係が複雑なケースでは、心の支えのような存在を求められることもしばしば。お金の話や不動産のことだけでなく、生活そのものに関わることまで頼まれてしまうこともあります。まるで便利屋のような扱いを受ける場面もあり、正直なところ「そこまでは業務じゃないよ…」と内心ツッコむこともあります。
司法書士=書類屋さん、という誤解
「司法書士って、要するに書類作る人でしょ?」というイメージは根強く、特に一般の方には理解されにくい部分です。もちろん登記や相続放棄などの書類作成は中心業務ですが、それはあくまで入り口でしかありません。実際には、その背景にある人間関係や感情のもつれ、家庭の事情などにまで関わらざるを得ないことも多いのです。書類だけを処理するロボットではない、という現実を伝えるのが難しい場面も多々あります。
ケース1:遺品整理の現場で「ついでに形見分けもお願いします」
ある日、相続放棄の相談でご自宅まで出向いた際のこと。高齢の女性から「実は弟の遺品も見ていってくれませんか?」と頼まれ、そこまでは想定内だったのですが、まさかの「形見分けの立ち会い」までお願いされることに。「どれが誰のものか、司法書士さんが決めてくれれば皆納得するから」と。いやいや、それは家族間の問題でしょと思いながら、なぜかタンスを一緒に開けることに…。あのときの気まずさは、今でも思い出すと胃が痛くなります。
依頼内容は相続放棄の相談だったはずが…
最初の依頼内容はごく一般的なもので、亡くなった兄の借金が発覚し、相続放棄をしたいというものでした。しかし訪問当日、現場はただの法律相談では済まされない雰囲気でした。「これが最後だから、兄の荷物を見てやって」と泣きながら頼まれてしまうと、つい断れない自分がいます。結局、遺品整理業者のような動きをしながら、法的な手続きの説明もするという、二足のわらじ状態になりました。
「現場で立ち会って」と言われて向かったら、家具運びまで
現地で「少しだけ見てください」と言われたものの、そこから始まったのは想定外の作業でした。家具の中を一緒に確認し、手紙や写真を見つけては「ああ、これは大事にしてたやつね」などと話が始まり、ついには「これ、下の階まで運ぶの手伝って」とまで…。それでも、残された家族にとっては“兄を見送る”最後の行為なのだと感じて、文句を言えないのがもどかしかったです。
行政書士と混同されている?と思った瞬間
こういう場面でよく思うのが、「あれ?これって行政書士の仕事だよな…」という感覚。書類の収集や整理など、業際的なグレーゾーンも多く、「誰が何をやるのか」が曖昧なまま進むケースもあります。法律の専門家としての線引きは必要なのに、人情で境界が曖昧になってしまう。それが、この仕事の苦しさでもあり、またやりがいでもあるのかもしれません。
ケース2:「お墓の名義も変えられますよね?」と真顔で聞かれて
不動産の登記手続きで訪れたご家庭で、突然「お墓の名義変更も、司法書士さんでできますよね?」と聞かれたときは、さすがに言葉に詰まりました。いや、それって住職さんとか、墓地の管理者と話す案件じゃ…と心の中で叫びつつ、できる限り丁寧に説明した記憶があります。一般の方にとっては“名前が変わるもの=登記”という感覚なのでしょうが、こちらとしては完全に想定外の分野です。
不動産と墓地の境界線のあいまいさ
登記という言葉がつく以上、何でも司法書士の仕事と思われがちですが、墓地や仏壇、納骨堂などに関しては登記簿も存在しないため、そもそも登記対象ではありません。ところが、「親から墓を受け継いだのだから名義も変えないと」と考える方は多く、意外とこうした相談は頻繁にあります。正確な知識のないまま相談を受けると、なかなか説明に苦労する分野です。
つい「いや、それ坊さんの領域では…」と口から出てしまった
そのとき、あまりにも自然に「それは坊さんの領域では?」と口にしてしまいました。すると依頼者は「じゃあ、坊さんに登記って頼めるのか」と不機嫌に。いやいや、違うんだって…。この手の食い違いは、司法書士という職業の知名度の低さというか、役割の認知のされ方に大きな問題があるんだと痛感しました。
ケース3:突然の「家族会議に同席してほしい」依頼
ある相続相談の場面で、「これから兄妹で話し合いをするから、一緒に聞いてもらっていいですか?」と頼まれたことがあります。一瞬何のことかわからず固まってしまいましたが、どうやら“もめないように法律のプロに見張っててほしい”という意図だったようです。そのまま居間に通されて、気まずい空気の中、家族会議が始まりました。あの空間は今思い出しても胃がキリキリします。
もはやファミリーカウンセラー扱い
このときは、まるで家族心理カウンセラーか調停人のような立場で座っていました。「私には口出す権限ないですよ」と何度も伝えても、「そこは法律的にどうなんですか?」と聞かれ続け、どっちの味方でもないという立場を守るのが本当に大変でした。そもそも司法書士が家族会議に呼ばれること自体、制度の外側にある話です。
話し合いの仲裁と法的説明の同時進行は地獄
「遺言書がないから、どう分けるのが公平か」という話が始まった途端、険悪な空気に。長男が声を荒げ、妹は涙ぐみ、それを横目に冷静に「遺産分割協議書の形としては…」などと説明するのは、正直苦行に近いものがありました。法律の話をしているのに感情論で返され、またそれをなだめながら話を進めるのは、本来の業務とは違う意味での神経戦でした。
でも帰り際に「来てもらってよかった」と言われて救われた
帰り際、依頼者の妹さんが「今日は来てもらって本当に助かりました」と深々と頭を下げてくれたのが唯一の救いでした。もしかしたら、あの場に“第三者としての司法書士”がいることで、話が前に進んだのかもしれない。報酬にはならないけれど、役に立てた気がして、少しだけ誇らしかったのを覚えています。
「頼まれごと」の線引きはどこにあるのか
この仕事をしていると、どうしても「どこまでが業務なのか」という線引きに悩む場面が出てきます。法律的に明確に“できない”ことは断るべきですが、「人として、ここまでなら…」と考える自分もいて、割り切れないのが本音です。無理して受けて後悔することもあれば、受けたからこそ信頼関係が築けたという経験もあります。
断るのは簡単。でも信頼は築きにくい
法律家としての立場から考えれば、業務外のことはきっぱり断るべきでしょう。でも、そういう“ちょっと無理して対応した”場面こそ、依頼者にとっては忘れられない記憶になっていることもあるんですよね。信頼は、きれいな境界線の外にある場合もある。だからといって、全部受けていたら身がもたない。難しいところです。
優しさが仕事を増やすジレンマ
結局のところ、自分の性格が“断れない”タイプなのが一番の問題かもしれません。相手が困っているのを見たら放っておけない。だから、つい「今回は特別ですからね」と言いながら、またひとつ業務が増える。優しさが自分の首を絞めてるなぁと、帰りの車の中でため息をつくこともしょっちゅうです。
それでも「司法書士に相談してよかった」と言われるために
文句を言いながらも、最終的には「相談してよかった」「助かりました」と言われると、不思議と報われた気持ちになります。たとえそれが業務外だったとしても、誰かの役に立てたという実感は、この仕事を続けるモチベーションになっています。今日もまた、ちょっと珍しい依頼に向き合いながら、「司法書士って、そんなこともするんですね」と言われる毎日です。
愚痴りながらも今日もまた“珍依頼”に向き合う
忙しいし、報酬にもならないし、正直理不尽だと思うことも多い。それでも、そうした“珍依頼”に向き合っている自分が好きなのかもしれません。法律の知識だけじゃ解決できないことが、この世の中にはたくさんある。だから、今日もまたちょっと文句を言いながら、困っている誰かのところへ出かけていくんです。