突然の“全員集合”――あの日、事務所の空気が変わった
静かな朝だった。いつものように、書類のチェックをして、コーヒーをすすりながら依頼人を待っていた。普段なら一人でやってくる依頼人が、この日は違った。インターホン越しに「お世話になります〜」と聞こえた声が、やけににぎやかだったのだ。そしてドアを開けると、そこには依頼人と、老若男女合わせて6人。子どもから高齢の母親らしき人まで揃っていた。「え? 全員で来るの?」と思わず口には出せなかった。
いつもと違う空気感で始まった一日
その瞬間、私の中で何かが静かに崩れた。打ち合わせは30分もあれば終わる内容だったはずが、どう考えてもそうはいかない雰囲気だった。しかもみんなが口々に喋り、玄関がまるで親戚の集まりのような空気になっていた。事務員も私の顔をちらりと見て、目で「マジか…」と訴えてくる。
玄関に現れたのは依頼人“+α”の大人数
依頼人は、「今日は家族にも聞かせておこうと思いまして」とあっけらかんと言った。私の頭の中では、「いや、そういうのは事前に言ってくれ…」という声がぐるぐる回っていた。応接スペースは2人用の椅子と、小さなテーブルが1つ。子どもは床に座ることになり、おばあちゃんは椅子をもう1つ持ち出してきてなんとか収まった。完全に定員オーバーだった。
司法書士事務所は打ち合わせスペースじゃない
うちはカフェでもなければ、セミナールームでもない。そもそも事務所の構造も、スペースも、人員も、個別相談に特化している。全員集合型の説明会に対応できるような設計ではない。だからこそ、今回のようなケースは正直かなりきつい。
限られたスペースと設備の限界
応接室といっても、4畳ほどの小さな部屋にテーブルが1つ。ホワイトボードもなければ、マイクもない。説明の声が後方に届かないと、「もう一度言ってもらえますか?」が連発された。そのたびに話が中断され、同じ内容を3回も4回も繰り返す羽目になった。
子ども・高齢者・配偶者…誰に気を使えばいいのか問題
子どもは途中で飽きて走り出し、おばあちゃんは聞こえづらいようで何度も質問を繰り返す。奥さんは時折口を挟んで補足を入れてくるが、それが逆に話をややこしくする場面もあった。誰に説明の軸を合わせればいいのか、正直わからなくなった。
「全員で来ました」は善意か迷惑か
依頼人としては、「家族にもちゃんと説明を聞かせたい」「あとから揉めたくない」という気持ちがあったのだろう。それはわかる。でも、こちらも限られた時間と空間で、できる限り効率的に業務を進めなければならない。
“説明漏れ”を防ぎたい家族の気持ち
相続や登記のこととなると、家族間で「そんな話聞いてない」「私は反対だった」といったトラブルが起きがちだ。だからこそ、みんなで話を聞くというのは、一理ある。…あるんだけど、それ、どこでやるのが正解なのかという話だ。
でもこっちは段取り通りに進めたい
準備していた書類や資料は依頼人本人のためのもので、他の家族分は用意していない。途中で「この書類って何ですか?」と聞かれても、そもそもその人の関与は前提としていなかった。予定外の対応が増えると、どんどん疲弊してくる。
説明を何度も繰り返すストレス
話の途中で誰かがトイレに立ったり、子どもが泣いたりして中断されるたびに、「じゃあ、さっきのところからもう一度…」と戻ることになる。結果、同じ説明を4回。正直、効率悪すぎる。
意見が分かれると逆に揉める
しかも途中で家族内の意見が食い違う。「私はこのやり方じゃ納得できない」「兄は勝手に進めすぎ」といった声が飛び交い、打ち合わせがまるで家族会議に。こちらが進行役みたいになってしまい、本来の業務が二の次になる。
事務員もパニック、私も消耗
今回の件で一番大変だったのは、実は私より事務員だったかもしれない。子どもにお茶をこぼされ、コピーを急遽追加で取るように頼まれ、来客応対も二重三重に重なった。こっちも気を遣うから、もうぐったりだ。
臨時保育士じゃない、うちの事務員
「これ、塗ってていいよ〜」と子どもにぬり絵を渡した事務員。いや、それを用意する余裕、どこにある? 優しさからの対応だったけれど、彼女の手は明らかに足りていなかった。業務も滞り、次のアポにも響く始末。
騒がしい応接室と資料が飛ぶ恐怖
説明中に子どもが机に手をついて、資料がガサッと崩れる音。「やめてー!」と心の中で叫びながら、冷静を装って話を続けた。実際には、それどころじゃなかった。資料にお茶がしみ込んでいて、もう乾かすしかなかった。
この経験から学んだ“防げる方法”
怒っても仕方がない。でも、次は防ぎたい。だからこそ、自分自身の対応に反省点と改善策を見出すことにした。どこまでが善意で、どこからが負担か、その境界線をこちらからはっきり示さないといけないと痛感した。
事前確認と人数制限の伝達は必須
「お越しの際は、ご本人のみでお越しください」と予約時点でしっかり伝える。これだけで大半は防げる。何名で来るかを事前に確認し、人数が多い場合は別日やリモートの提案をするなどの“ルールづくり”が重要だ。
「一人で来てください」と言う勇気
なんとなく言いにくくて避けていたが、今回の件で「やんわり伝えるスキル」が必要だと実感した。相手の善意を否定せずに、でもこちらの事情をわかってもらう。その言葉選びとタイミングは、プロとして磨いていかねばならない。
相手に失礼なく伝える言い回し
「個人情報の兼ね合いもありますので」「説明の正確さを期すためにご本人のみのご来所をお願いしています」など、理由を添えて伝えることで、相手も納得しやすくなる。あらかじめテンプレートを準備しておくのも有効だ。
「まとめて説明」は実は非効率
多くの人に同時に説明すると、逆に理解がバラバラになりやすい。特に家族内では、関心や知識の度合いもまちまち。だったら一人ずつ、必要な情報を整理して個別に伝えた方が早い。今回のケースは、その象徴だった。
司法書士を目指す方へ:現場は想像より“生活感”が強い
資格試験では絶対に出ない話かもしれない。でも、現場ではこういう「人間くさい案件」が多い。机の上の知識だけでは太刀打ちできない現実がある。特に地方の事務所では、依頼人との距離が近くなる分、生活そのものが見えてくる。
机上の勉強だけでは乗り切れない
六法全書には「子どもが資料にお茶をこぼした時の対応方法」なんて書いていない。でも現場では、そういうことの連続。だからこそ、試験に合格したあとこそが、本当の意味で“司法書士になる”スタートラインなんだと思う。
「人との距離感」に敏感になれ
どこまで踏み込み、どこで一線を引くか。この判断を誤ると、依頼人との信頼関係にも影響が出てくる。距離を取りつつ、心は近くに――そんな矛盾したスキルが求められるのが、この仕事の奥深さでもある。