ある日届いた「登記完了証」と違和感
登記申請が無事終わり、法務局から登記完了の通知が届いたあの日。朝のコーヒーを片手に、いつものように確認作業を始めました。登記識別情報通知書と登記簿謄本を並べて眺めていると、ふと目に飛び込んできた見慣れない名前。「あれ?うちの依頼者ってこの名前だっけ?」一瞬、何かの冗談かと思いました。でも、何度見ても確かにその名前は、全く関係ない第三者だったのです。
見慣れない名前…「誰だこれは?」
この時の衝撃といったら、たとえるなら「家に帰ったら玄関の表札が知らない名前に変わっていた」ような感覚でした。登記簿上にその人の名前がしっかり記載されていて、しかも住所も役所のデータベースと一致している。冷静になろうとしても心臓がバクバクして止まらない。自分の事務所で処理した案件でこんなことが起きるなんて信じられませんでした。
最初は自分の見間違いかと思った
もちろん最初は「自分が間違えて見てるんじゃないか?」と疑いました。事務員さんに「これ、合ってますよね?」と見せたら、彼女も顔をこわばらせて固まっていました。私の見間違いじゃなかったんだと、二人で無言で顔を見合わせた時間が長く感じました。
登記識別情報通知書と登記簿謄本で確認
急いで登記識別情報通知書と登記簿謄本を照らし合わせました。登記情報提供サービスでもオンライン確認を行いましたが、やはり記載されていたのは“うちの依頼者ではない全くの第三者”だったのです。この瞬間、「やってしまった…」という後悔と、「どうしてこんなことが起きたんだ?」という混乱が交錯しました。
一気に冷や汗、胃がキュッと縮む瞬間
この時点で、全身に冷や汗が噴き出しました。まるで自分が交通事故を起こした直後のような緊張感。申請に関わったすべてのデータ、メモ、会話の内容を思い出そうとするけど頭が真っ白。司法書士という職業は、たった一つの入力ミスで信頼も業務もすべて吹き飛ぶ。そんな重みを、まざまざと実感した瞬間でした。
登記簿に載っていた「全く関係ない第三者」
載っていた名前は、地域的にも業務的にも全く接点のない方。依頼者と無関係であることは明白でした。なぜこんなことが起きたのか、頭の中は疑問でいっぱいでした。正直、ミスとしか思えなかったけど、それが人の人生を狂わせる可能性すらあると考えると、震えが止まりませんでした。
原因を探る:申請情報の入力ミス?
原因を洗い出すために、まずは自分が送信した登記申請データを確認しました。すると、添付したCSVの一部に見覚えのない氏名と住所が。おそらく過去の申請データをベースにしていた際、削除漏れしていた情報が誤って反映されてしまったのだと思われます。これが「うっかり」では済まされない失態につながっていたのです。
申請用総合ソフトの操作時の凡ミス
申請用総合ソフトには“前回のデータを再利用”する便利な機能があり、私も日々の業務の中でよく使っていました。しかし、これが仇になった。保存したテンプレートを流用しようとしたときに、前回の所有者情報をきちんと削除せず、そのまま登録していたのです。何十件と連続で処理していた疲労の中で、確認不足が起きていました。
補助者とのコミュニケーション不足が引き金に
事務員とのやりとりの中でも、「ここ確認しておいてください」と頼んだつもりが、「確認済み」と勘違いされていたことも判明しました。やっぱり“つもり”のやりとりは危ない。小さな事務所だからこそ、お互いの確認・ダブルチェック体制が甘くなっていたのだと痛感しました。
ヒヤリ・ハットでは済まされない重さ
登記というのは、「一筆で人生を変える仕事」と言っても過言ではありません。だからこそ、今回のようなミスは「たまにあること」として片づけてはいけないし、自分の中でも「しょうがない」では済ませられません。この件で、自分が司法書士としてどれほど重い責任を背負っているか、あらためて突きつけられました。
関係者への説明…地獄の始まり
問題が発覚した後、最も胃が痛かったのが、関係者への連絡です。依頼者は法務局との調整、そして場合によっては損害補償の話まで及ぶ可能性も頭をよぎります。この数日間は本当に眠れませんでした。
まずは依頼者に謝罪と説明
お客様には、すぐに電話で説明し、面談の機会を設けて謝罪しました。「いや、なんでそんなことになったんですか?」という当然の疑問に、言葉が詰まりました。言い訳せずに説明することの難しさを、身に沁みて感じました。
当然ながら「なんでそんなことに?」
「信用して任せたのに…」という依頼者の言葉が何よりも刺さりました。たとえ訂正登記で元に戻るとしても、「一度こうなった」という事実は消えません。信頼の回復には時間がかかる。それを改めて認識しました。
法務局との調整と訂正手続き
法務局に事情を説明し、訂正登記の手続きに入ることになりました。ここでも、「あー、たまにあるんですよね」と軽く言われましたが、自分にとっては致命的な問題。少し同情されて、逆に辛くなったのを覚えています。
相談窓口では同情されたけど…
「この程度なら大丈夫ですよ」と慰められても、心の中は晴れませんでした。結局、訂正登記を通して事なきを得ましたが、失った信用や精神的なダメージは簡単に戻ってこないという現実が残りました。
どこで防げたのか?という後悔
今回の件で一番悔しかったのは、「防げたミスだった」ということ。たったひとつ、確認作業を入れていれば、ほんの一言声をかけていれば、防げたかもしれない。その“たられば”が、しばらく心を離れませんでした。
入力前の確認・確認・また確認
結局のところ、確認の手間を惜しんだ自分の責任です。忙しい中でも、一呼吸置いてチェックする。それだけで人一人の人生の書類が守れるんだと痛感しました。
事務所の体制見直しの必要性を痛感
業務が属人的になりすぎていたのも問題でした。誰かがミスをしても、それを他の誰かが補えない状況。小さい事務所だからこそ、柔軟に体制を変える必要があるのかもしれません。
再発防止策を考えるけど、現実は厳しい
こういうミスを繰り返さないために、いろんなチェックリストや運用ルールを作ろうとしましたが…正直言って、そんなに余裕はないのが現実。理想と現実のギャップにまた落ち込むことになります。
一人事務所の限界と怖さ
所員が多ければダブルチェックもできますが、うちは私と事務員ひとり。休みも自由に取れない中で、すべてを完璧にこなすのは本当に難しい。そう感じることが増えました。
人に頼る=ミスが増える paradox
人を増やせば安心かというと、そうでもない。新人が増えれば、教育が必要で、その間にまた別のミスが起きる。自分でやる方が確実…でもそれじゃ回らない。この矛盾に、日々頭を抱えています。
ミスが「一発アウト」になる職業の怖さ
司法書士は、ひとつの失敗が“信用の崩壊”に直結します。それなのに、完璧を求められ、失敗が許されないというプレッシャー。胃に穴があきそうな日々です。
それでも続ける司法書士の仕事
それでも、私はこの仕事を続けています。なぜかと聞かれても、はっきり答えられません。ただ、誰かの節目に関わる責任の重さと、その先にある「ありがとう」の言葉に救われる瞬間があるからなのかもしれません。
やりがいより、緊張感の方が勝つ日もある
「やりがいがある仕事ですね」と言われることがあります。でも本音を言えば、「胃が痛い仕事です」が正直な感想です。それでも続けているのは、やっぱりこの仕事が嫌いになれないからでしょうか。
それでも辞めない理由はなんだろう?
誰に頼られるわけでもなく、黙々と書類と向き合い、失敗すればすべての責任を負う。それでもこの仕事をしているのは、もしかしたら「誰かの役に立てた」という一瞬が、他のすべてを帳消しにしてくれるからかもしれません。