なぜその一言が怖いのか:「このくらいお願いできませんか?」に潜む圧力
「このくらいお願いできませんか?」──このフレーズ、一見すると丁寧で控えめな印象を与えます。ところが、実務の現場ではこの言葉がじわじわとプレッシャーとなってのしかかってくる場面が少なくありません。特に、司法書士という立場では「断る」こと自体が難しいシーンが多く、「まあ、少しだけなら」と引き受けた仕事が、最終的には大きな負担となって自分に跳ね返ってくることがあります。その“優しさ”が、自分を追い詰める原因になることもあるのです。
言葉は柔らかく、内容は重い
「このくらいお願いできませんか?」という言い回しには、「断るのが悪いこと」のような空気が含まれています。相手にとっては軽い気持ちのお願いだったとしても、その実態は本来業務とは関係のないことや、時間外の対応を求めるものであったりする。たとえば、役所への同行や、別の家族への説明まで丸投げされた経験がありました。最初は“ちょっとだけ”のつもりだったのが、気づけば全部自分がやっている……そんな展開、司法書士なら一度は経験あるのではないでしょうか。
“お願い”が“命令”にすり替わる瞬間
「頼んでいるだけですから」と言いながら、断ったときの反応が明らかに不満そうだったり、時には無言の圧力を感じたりすると、それはもう“お願い”の皮をかぶった“命令”です。私自身、「できません」と言った後に「そんなに忙しいんですか?」と皮肉のように返されたことがあります。こちらにも感情があるし、キャパシティにも限界があります。その限界を超えてまで受ける“お願い”に、誰が責任を取るのか——そのことを考えるべきだと思います。
実例:つい受けてしまった依頼の末路
ある高齢のお客様から「このくらい、お願いできませんか?」と頼まれたのは、相続登記の範囲を超えた親族間の調整。断りきれずに受けた結果、3ヶ月間も電話と訪問の応酬になりました。家族間で対立が起こり、感情のもつれまでこちらに向けられる羽目に。結局、登記そのものよりも“家族調整業務”の方に時間がかかり、正直「なんで俺がここまで…」と何度も思いました。
断りにくさの正体とは
「このくらいお願いできませんか?」の断りにくさの根源は、“常識”という名の幻想にあります。頼まれたことを断ると「冷たい人」と見られるんじゃないか、評判が悪くなるのでは、といった恐怖が無意識に働いてしまう。そして、少人数でやっている事務所だと、そもそも代わりがいない、という現実的な問題もあります。こうした構造が、「断れない」空気を作ってしまうのです。
「やってあげないと悪者」になる空気
特に地方では、関係性が濃密です。噂もすぐに広まるし、誰にどう見られるかが気になります。以前、「断られた」とお客さんに愚痴られた結果、地域の別の依頼者からも「冷たい先生」と言われたことがあります。仕事として線引きしただけなのに、まるで人間性まで否定されたような気持ちになるんですよね。
“ちょっとだけ”が“全部やって”になるまで
「少しだけだから」と言われて引き受けると、次は「じゃあこれも」と次々と依頼が増えていく。気づけば、本来の業務の時間を削ってまで対応していることに。最初にしっかり断っておけば…と後悔するのですが、その場では“情”が勝ってしまう。これは本当に難しい問題です。
まとめ:優しさだけでは壊れる
「このくらいお願いできませんか?」という言葉の裏には、無意識の期待や依存が潜んでいます。それをすべて受け入れてしまうと、最終的には自分の体力も時間も削られ、信頼関係すらも壊れかねません。優しさを大切にしながらも、自分の限界を明確にする。それが結果的に依頼者のためにもなるということを、私たちは忘れてはいけないのだと思います。
限界を守るのは、信頼を守ること
「断る」という行為は、相手との信頼を壊すものではなく、むしろ信頼を維持するための手段です。「この範囲まではできる」「ここから先は別の専門家に」など、自分なりの線引きを明確に持つこと。それが、自分を守りながら、誠実な対応を続けていくためのコツなのではないかと思います。
「NO」が言える司法書士でいたい
私はまだまだ甘い部分も多いし、つい情で動いてしまうこともあります。でも、最近は「それはできません」と伝える練習も始めています。そのたびに不安になりますが、それでも“ちゃんとした断り方”を意識するだけで、トラブルは減ってきた気がしています。優しいだけじゃ壊れる。それを実感した今、私は“断る勇気”を、業務の一部として大切にしています。