その一言で、今日が少しだけ報われた

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その一言で、今日が少しだけ報われた

忙しさの中で聞こえた、たった一言の救い

司法書士という職業は、表面上は淡々とした事務作業に見えるかもしれませんが、その実、案件ごとにまったく違う人間関係と感情が交錯する、なかなかに精神的な仕事です。地方で一人事務所を構え、事務員ひとりと共に回す日々。忙しくて愚痴も漏れますが、そんなある日、依頼者の一言「ありがとう」に救われたことがありました。あの瞬間、自分のやっていることがほんの少しだけ報われた気がしたのです。

「ありがとう」の破壊力は、予想以上に大きい

事件を終えてお客様が帰ったあと、ふとした瞬間に思い出すのは手続きの内容よりも、その方の「ありがとう」という言葉だったりします。口調も、語尾も、たった一言なのに妙に沁みる。たとえば先日、遺産分割協議がうまくいかなかったケースで、かなり重苦しい空気のなか進めていたのですが、最後に依頼者がぽつりと「先生、ほんと助かりました」と。涙ぐんだ表情が今も目に焼き付いています。

褒め言葉よりも、共感よりも、心に残る瞬間

仕事をしていると「すごいですね」とか「さすが先生ですね」といった言葉をいただくこともあります。でも、どこか表面的に感じてしまう自分もいるのです。それよりも、感情が乗った「ありがとう」には本音が詰まっていて、こちらの疲れをふっと和らげてくれるような、そんな不思議な力があります。司法書士って、何かを成し遂げた達成感よりも、共感されたときの方が嬉しいんです。

日々の業務に追われる中で、何を見失っているのか

とにかく毎日がバタバタです。登記の準備、役所とのやりとり、相続人との調整…。特に相続関係は、感情も絡むから神経を使います。そんな中で気がつけば、ただ「処理する」ことに追われて、本来大事にしたかった“依頼者との対話”がどこかおざなりになっていたりするのです。自分の余裕のなさを誰かのせいにして、雑な対応をしてしまったことも正直あります。

ルーティンと感情の切り離しは限界がある

「プロなんだから、感情を切り離してやるべきだ」という声もあります。確かにそういう一面もあるでしょう。でも、あまりにも無機質にこなしていると、ふとしたときに虚しさがこみ上げてくるんです。特に夜、事務所でひとりになったときなど、「俺、誰のためにやってるんだろうな」って。本当は人の役に立ちたかったのに、それを感じる余白すら失ってしまってる自分に気づきます。

「こなす仕事」になっていないか、自分への問い直し

忙しさにかまけて、案件を「こなすもの」として捉えていないか、最近よく自問するようになりました。たしかに依頼者は多く、期日は容赦なく迫ってくる。でも、その一件一件に人生があって、思いがある。そう思えば、もう少し丁寧に接してもいいんじゃないかと。たった一言の「ありがとう」に、そうしたことを思い出させてもらうんです。

感謝されることが少ない仕事の現実

司法書士の仕事は、うまくいって当然、という扱いを受けがちです。登記が通っても、問題が起きなければ「それが普通でしょ」で終わってしまう。逆に何か起きれば責任はこっち。感謝されることのほうがずっと少ないんです。だからこそ、たまに届く「ありがとう」が本当に身に沁みるのかもしれません。

「先生なんだから当然でしょ」の重圧

「先生」と呼ばれる職業は、名前だけは立派です。でもその裏では「失敗してはいけない」「知ってて当たり前」というプレッシャーがあります。特に地方では一度の失点が信頼を大きく損なうので、常に慎重にならざるを得ません。でも、いつも完璧なんて無理です。そんなとき「ありがとう」と言ってもらえると、「ああ、やっててよかった」と思えるんです。

司法書士という職業への誤解と期待

司法書士の仕事は「書類を作るだけ」と思われがちですが、実際はかなり人間臭いです。相続人同士のトラブルをなだめ、法的なバランスを見ながら調整し、信頼を勝ち取らなければなりません。それなのに、そのプロセスは評価されにくい。だけど、たまに「頼んでよかった」と言われると、全部が報われる気がします。

事務所の現実:1人雇っても責任は全部自分

事務員さんがいても、責任を取るのは自分です。書類の最終チェック、クレーム対応、期限の管理…全部一人で抱えます。トラブルが起きれば、「先生、どうなってるんですか?」と真っ先に言われる。でも、成功しても誰かが祝ってくれるわけではありません。だから、自分で自分を励ますことが多くなる。…そんなときに依頼者の一言が、じんわり心に残るんです。

愚痴をこぼす暇もない日常に、気づかない疲れ

朝から晩まで、あっという間に時間が過ぎていきます。昼食をとるのも忘れ、気づいたら夕方。そんな日が続くと、身体も心もすり減っていきます。でもそれにすら気づかない。忙しいと疲れていることすら感じなくなってしまう。でも、誰かに感謝された瞬間に、急に「ああ、自分こんなに疲れてたんだ」と実感することがあります。

それでも続けてしまう理由

「辞めたい」と思う瞬間は、正直に言って山ほどあります。特に夜遅くに残業しているとき、ふと「なんで自分ばっかり」と思ってしまう。でも、それでも続けてしまう理由はやっぱり、誰かに頼られているという実感。そして、たまに届く「ありがとう」のひと言。報酬以上に、心が温まる瞬間が、確かにあるからなんです。

「ありがとう」がくれた、一瞬の報酬

あるとき、高齢の依頼者から小さなお菓子の包みと一緒に、「本当にお世話になりました」と手紙をもらったことがありました。報酬以上の価値を感じました。法務局に駆け込んで、ギリギリで登記を間に合わせた案件だったので、こちらとしては当然の仕事。でも、その人にとっては一生に一度の大きな出来事だったんだと思います。

お金じゃない、“何か”が確かに存在する

もちろん仕事なので、報酬は大事です。でも、それ以上に“心”が報われる瞬間がある。それは「ありがとう」という言葉にこもった気持ちでしか得られない。そういう瞬間を知ってしまったから、なかなかこの仕事を投げ出せないんです。

やめたいと思った日の、ちょっとした救い

とある忙しさのピークで、「もう限界かもしれない」と思ったときがありました。そんな日に届いた一通の手紙。内容は短く、「丁寧に対応してくれて、本当に感謝しています」とだけ書かれていた。封を開けた瞬間、涙が出そうになりました。誰かがちゃんと見てくれていた、と思えたから。あれがなければ、辞めていたかもしれません。

感謝の言葉は、背中を押す力にもなる

「ありがとう」という言葉は、こちらが何かを与えたようで、実は一番与えられているのは自分の方なんだと気づかされます。それは明日またがんばろうと思える、静かな推進力になります。感謝の気持ちは、もらう側にとっては時に命綱のような役割を果たすのかもしれません。

司法書士を目指す人へ伝えたいこと

これから司法書士を目指す人には、ぜひ伝えたいことがあります。それは「人の心に触れる仕事」であるということ。法的知識だけではなく、人の痛みや戸惑いにも寄り添う力が求められます。報われにくい仕事かもしれません。でも、そのぶん、報われたときの喜びも深いんです。

人の感情に触れる仕事であるということ

書類を作って、手続きをして、それで終わり——というのは半分だけ正しい。もう半分は、その書類が誰かの人生を動かす道具になっているということ。だからこそ、依頼者の気持ちに寄り添う姿勢がとても大切です。それができたとき、信頼も「ありがとう」も自然とついてきます。

技術だけでは測れない報酬がある

資格試験は難関ですが、それを突破しただけでは“良い司法書士”にはなれません。依頼者と向き合い、相手の状況を汲み取る姿勢、つまり“人間力”が試される場面が圧倒的に多いです。そしてそれをちゃんとやっていれば、誰かが必ず「ありがとう」を返してくれます。それが、この仕事を続ける上で最大のモチベーションになるのです。

「ありがとう」をもらうための努力は無駄ではない

「そんなに頑張っても、誰も見てないよ」と思う日もあります。でも、無駄ではありません。感謝の言葉はいつも突然にやってきて、疲れた心をそっと包んでくれます。司法書士を目指す皆さんにとって、その言葉の価値を知ってもらえたら、きっとこの仕事の見え方が変わってくるはずです。

やりがいなんて後からついてくるもの

最初から「やりがい」を求めすぎると、空回りするかもしれません。だけど、日々コツコツと丁寧に仕事をしていれば、いつかふとした瞬間に、その“やりがい”は向こうからやってきます。「ありがとう」とともに。だから、焦らず、自分のペースで続けていってください。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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