「名前」で背負わされるものの重さ
司法書士として独立してもう何年になるだろうか。名刺に刷られた自分の名前。それは単なる識別子ではなく、依頼人の期待、不安、そして責任をすべて背負い込むラベルだ。時には「稲垣さんにお願いしたいんです」と言われると嬉しい反面、「本当にこの名前にそこまでの価値があるのか?」と自問してしまう。
肩書きの前に「名前」があるという現実
司法書士という肩書きがあっても、人はまず「誰に頼むか」で決める。つまり「稲垣さん」という“名前”が最初に評価される。これがプレッシャーでもあり、逃げ場のない現実でもある。どんなに経験を積んでも、名前に対する印象は一瞬で決まり、一度の失敗で崩れることもある。
司法書士◯◯という言葉に潜むプレッシャー
「司法書士稲垣さん」—この言い方には、信頼とともに責任が乗ってくる。依頼人からの視線は「プロなんだから当然やってくれるよね」という期待に満ちていて、その中にはほんの少しの“疑い”もある。その一言一言に神経をすり減らしながら応えていくのが、この仕事のしんどさでもある。
「名前」に期待される役割と実情のズレ
「司法書士に頼めば安心」とよく言われるが、その裏で我々がどれだけ綱渡りのような確認作業をしているかを知る人は少ない。名前があるから安心だという幻想と、実務の現場のギャップに、正直うんざりする時がある。
お客さんが求めているのは“安心感”という名の幻想
お客様は「間違いない書類」「完璧な段取り」を求めてくる。しかし、登記情報の取り違いや役所の対応ミスなど、自分では防ぎようのないトラブルもある。にもかかわらず、「司法書士の名前でやったんでしょ?」と責任を問われるのが常だ。
「先生だから当然でしょ?」という無言の圧
「先生だから間違えないでしょ?」という言葉に、何度となく心の中で舌打ちしたことがある。その“当然”がどれだけ人を追い詰めるか。こっちは人間だし、うっかりだってある。でも名前が前面に出ている仕事は、それを許してくれない。
電話一本、間違えたら終わりという恐怖
例えば、登記申請で法務局に電話確認する際、口頭の数字をひとつ間違えただけで「印鑑証明が違う」とか「添付書類不足です」と突き返される。そうなれば信頼を失い、名前にキズがつく。それがどれだけ怖いことか、他人にはなかなか伝わらない。
自分の名前を信用しているのは誰なのか
自分の名前に一番信頼を寄せているのは誰か?と考えたとき、正直、自信が持てなかった時期がある。お客さん?家族?事務員? いや、自分自身が自分の名前を信じられない時が、一番しんどい。
信頼されてる“つもり”と、実際の扱われ方
何度も依頼してくれるお客さんがいて、「信頼されてるな」と思っていても、こちらが一つ失敗した瞬間にあっさり別の事務所へ行かれることもある。その時、「ああ、名前なんてあっという間に軽くなるんだ」と思い知らされる。
何かあれば名前が矢面に立つ、それが司法書士
クレームやミス、そして遺産相続でもめた場合の責任追及。最終的に問われるのは“誰が手続きを担当したか”であり、つまり名前そのもの。看板に名を掲げることの重みを、日々の現場で痛感する。
事務所の名前と、自分の名前の“ズレ”に悩む
「稲垣司法書士事務所」—この事務所名が背負うのは、決して一人の能力だけじゃない。事務員の対応も、郵便物の管理も、全部が“稲垣”として見られる。正直、責任の重さに押しつぶされそうになる瞬間もある。
個人事務所ゆえの孤独な看板
大きな法人なら「担当者の責任」とできることも、個人事務所では「代表の名前」にすべて帰ってくる。誰も代わってくれないし、何かあれば自分が謝るしかない。その孤独は、独立して初めて味わうものだ。
「稲垣事務所」の重さと、“稲垣”の孤独
「事務所名=自分の名前」である以上、逃げ場がない。日曜にスーパーで声をかけられても、そこにいるのは“稲垣司法書士”としての自分でしかない。プライベートと公の境界が曖昧になり、時々「自分って誰だったっけ」と思う。
名前で仕事が来る嬉しさと、怖さ
紹介で新規の仕事が入るのは嬉しい。でもその嬉しさと裏腹に、「失敗できない」という恐怖も常につきまとう。名前で飯を食っているというのは、誇らしいことでもあり、同時に恐ろしく脆い基盤でもある。
紹介で仕事が回る=失敗できない地獄
「あの人、ミスしたらしいよ」という噂が一度流れれば、それでおしまい。地方ならではの狭い人間関係が、時に命取りになる。紹介が多いからこそ、常に“完璧”でいなければならないというプレッシャーがのしかかる。
信用が壊れるのは、一瞬
どれだけ丁寧に対応していても、確認ミスや対応の遅れ一つで信頼関係は崩れる。積み上げた実績よりも、最新の“やらかし”が強く印象に残るのがこの仕事。名前を守るって、ほんとうにしんどい。
若い司法書士に伝えたい、「名前」の扱い方
これから独立しようとしている若い司法書士には、ぜひ名前の扱い方を意識してほしい。資格を取っただけでは「名前の重み」は得られない。積み重ねと慎重さが、その価値を作る。
名前は実力より先に評価される
どんなに優れた知識を持っていても、依頼人が最初に見るのは「この人は信頼できるか」という“印象”。その印象はすべて名前に集約される。つまり、名前の印象=あなたの仕事の入り口になる。
失敗の記憶は、名前とともに残る
一度の失敗が、その人の名前に紐づいてしまう。司法書士は、失敗が“法的な問題”に直結する職業。自分の名前を大事にするということは、手続き一つひとつを丁寧に行う姿勢そのものだと思う。
でも、失敗を越えた先にも“名前”は残る
それでも、失敗と向き合い、誠実に対応していれば、「あの人はちゃんとしてる」と名前に信頼が戻ってくることもある。名前は、守るだけでなく、回復もできる。だからこそ、逃げずに向き合いたい。
最後に、自分の名前に誇りを持つために
毎日のように不安や疲れを感じながらも、この名前で仕事をしてきたことには、やっぱり意味があると思いたい。完璧じゃなくても、真面目にやってきたその積み重ねが、いまの“稲垣”を作っている。
誰のための名前なのか、もう一度考える
自分の名前が誰かの役に立っているなら、それだけで少しは救われる気がする。家族、依頼人、そして自分自身のために、これからもこの名前と一緒にやっていくしかない。
たとえ愚痴だらけでも、名前で仕事をしている
今日もまた「何でこんなに忙しいんだ」と愚痴りながら机に向かう。でも、それでも事務所に「稲垣さんいますか?」と電話が鳴る限り、この名前にはまだ役割がある。しんどいけど、捨てたもんじゃない。