「専門家っぽくないですね」と言われた日のモヤモヤ
先日、相続の相談に来られたお客さんに言われた一言。「先生、なんか専門家っぽくないですね」。その瞬間、笑って流したけれど、内心はザワッとしました。悪意があるようにも思えない、でも褒められてる実感もない。むしろ、こっちはきちんと資格もあって、この仕事で飯を食ってるのに…という思いが湧いてきてしまった。日々バタバタしている中で、言葉のちょっとしたニュアンスがずしんと響くこと、ありませんか?
たまたま言われたのか、それとも本音なのか
お客さんの何気ない一言って、意外と本音が混ざっていることがあります。別に深い意味はなかったかもしれない。でも、「っぽくない」ってことは、何かしらの違和感を感じている証拠でもある。自分では普通に接しているつもりでも、もしかしたら「頼りなさそう」に見えていたのかもしれない。あるいは「話しやすい」って意味だったのか。どちらにしても、微妙な空気が残るのがこういう言葉です。
相手のトーンと表情が妙に引っかかる
「専門家っぽくないですね」と言われたとき、相手が少し笑いながら言っていたのが、より印象に残りました。まるで「なんか思ってたのと違った」と言われたような気がして。それって、期待外れだったってこと?と疑ってしまう自分がいます。私たちのように顔を合わせて相談を受ける職業は、第一印象や空気感が仕事に大きく影響する。だからこそ、言葉の背景にある表情や声のトーンが、いっそう気になるのです。
こっちが意識してないところを突かれる怖さ
私は別に「カリスマ司法書士」みたいな雰囲気を出してるつもりはないけれど、だからといって「軽く見られていい」と思ってるわけでもない。なのに、「っぽくない」と言われると、普段の言動や服装、態度まで振り返ってしまう。「あれ、なにか変だったか?」と。でも、自分では気づけない部分を他人は敏感に見ていたりするんですよね。そこに怖さがある。自分の見せ方をどう整えていくか、悩ましい問題です。
称賛とも皮肉とも取れる絶妙な言い回し
「専門家っぽくない」という言葉には、裏表がある。相手がどういう意図で言ったのかによって、受け取り方がまるで変わる。「近寄りやすいですね」と言いたかったのかもしれないし、「え?この人が?」という疑問だったのかもしれない。特に初対面の相手だと、どういう前提で話しているのか読み取りにくい。だからこそ、この一言に引っかかってしまうんです。
「親しみやすい」と「軽く見られてる」の境界線
私は昔から、少しフランクな話し方をするタイプで、丁寧すぎる敬語よりも自然な会話を重視してきました。でも、それが仇になることもある。あるとき、相談後に「司法書士ってもっとお堅い人かと思ってました」と言われたことも。これが良い意味であればいいんですが、時には「軽い人」という印象になってしまう。親しみやすさと専門性のバランスって、本当に難しいです。
自分を売る武器になるのか、不利になるのか
一方で、「専門家っぽくない」という印象を逆手にとって、自分の武器にできないかとも考えるようになりました。たとえば、初めての人でも緊張せず相談しやすい、という点では強みになる。実際、紹介で来るお客さんの中には「前の先生が怖くて…」という声もあります。でもそれが、信頼を勝ち取る決め手になるかといえば、また別の話。安心感と信頼感をどう両立させるかは、いつも頭を悩ませます。
そもそも「専門家らしさ」って何なんだ?
改めて、「専門家っぽい」とはどういうことなのか考えてみると、けっこう曖昧な概念なんですよね。威厳があるとか、専門用語をズラッと並べるとか、知識をひけらかすような態度とか。でも、そんなことばかりしていたら、今度は「話しにくい人」になってしまう。信頼を得るために専門家らしくあるべきだけど、それがかえって壁を作ってしまう矛盾もある。だからこそ、この「っぽくなさ」は根深いテーマなんです。