その日、事務所に響いた依頼人の嗚咽
正直言って、登記完了の通知なんて、日常業務の中では「ルーチン」に過ぎない。あまりに忙しいと、感情を挟む余裕すらなくなってくる。でも、あの日は違った。封を開けて登記完了証が出てきた瞬間、目の前の依頼人が声を詰まらせて泣き始めた。そして、次の瞬間、彼女は私の肩にすがってきて、泣きながら「ありがとうございます」と繰り返した。私はただ黙って、その肩に手を置いた。こんなにも人の心を動かす通知があるんだと、改めて知った瞬間だった。
登記完了の通知がもたらした静かな衝撃
その通知は、確かに行政的には「完了通知」にすぎない。だが、依頼人にとっては人生の区切りだったのだ。長年の相続争い、疎遠になった兄弟との確執、そして亡き親への後悔。そのすべてが、この一通で報われたのかもしれない。私はそれを何気なく「完了しました」と渡そうとしていた。だがそのとき、依頼人の涙に触れて、胸の奥がチクリと痛んだ。
「ただの手続き」ではなかったという事実
登記業務に携わっていると、感情を削られるような案件に日々向き合う。だけど、私たち司法書士にとっては「ひとつの登記」。それ以上でもそれ以下でもない。でも、依頼人にとっては違う。登記が通ることが「許し」であり「再出発」であり、時には「心の整理」になる。そんなこと、頭では分かっていたつもりだった。でも、あの日の「ありがとう」で、ようやく腑に落ちた。
ここに来るまでの、果てしない道のり
その登記が完了するまでには、軽く二ヶ月はかかっていた。最初に依頼を受けたときから、これは一筋縄ではいかないとわかっていた。戸籍が古く、相続人の一人は海外在住。書類の収集、翻訳、公証…やることは山のようだった。こちらの手間なんて誰も気にしていない。依頼人はただ「早く終わってほしい」と願っていたはずだ。
戸籍が見つからない…遠方役所との電話地獄
依頼人の本籍地は、四国の山奥にある町だった。古い戸籍はすべて紙で、なおかつ一部焼失していた。何度も役場に電話をかけては、たらい回しにされ、最後には「担当者が今日はいません」と言われる日々。こちらは時間と労力だけが減っていく。「早くしてくれ」と言われる中で、こっちは必死に動いてるのに、進まないことに焦りと苛立ちが募っていった。
「何度かけても違う担当」…精神削られる日々
地方役所の対応には慣れているつもりだったが、今回ばかりはしんどかった。同じ説明を一から十まで毎回繰り返し、そのたびに「そんな情報はないですね」と返される。ようやく話が通じたと思ったら、また別の人に繋がれる。電話を切ったあと、机を小さく叩いたこともある。精神的な疲労が蓄積されていくのが、自分でもわかった。
書類の不備、やり直し、そしてまたやり直し
ようやく集まった書類を提出しても、法務局からは「これでは足りない」「ここの記載が曖昧」と突き返される。依頼人には「またダメだった」とは言いにくく、「もう少し時間をください」とだけ伝えた。こうして、何度も書類を見直し、修正し、再提出。何かを間違えれば、また一からやり直し。心が折れかける瞬間は、一度や二度じゃなかった。
司法書士の仕事は、正直しんどい
やりがいがあるとは言うけれど、現実は地味で、孤独で、ストレスフル。どんなに頑張っても「ありがとう」と言われないことだって多い。感謝されるどころか「なんでこんなに時間がかかるんですか?」と不満をぶつけられることの方が多い。そういう時、ただ笑って「」と言うのが司法書士なのだ。
感謝の言葉より先にくる「まだですか?」
毎朝メールを開けば、依頼人からの催促。着信履歴を見れば、留守電には「まだですか?」の一言。進めているのに、なぜか責められる。事務員にも「もう少しやさしく言ってくれたら…」と愚痴る日々。それでも、依頼人の焦りもまた切実なのだと分かっているから、文句も言えない。ただただ、自分の中で消化していく。
ミスは命取り、でもスピードも求められる
急げば雑になる。慎重になれば遅くなる。どちらを選んでも、誰かに怒られる。そんな綱渡りを、司法書士は毎日している。しかも一人で。事務員に任せられる部分は限られていて、結局のところ「自分がやるしかない」という仕事ばかり。気がつけば、休憩もろくに取らず、深夜までパソコンに向かっていた。
「感情のない機械」になりかけた自分に
日々の忙しさに流されると、感情がなくなってくる。嬉しいことがあっても素直に喜べず、悲しいことがあっても表情ひとつ変えない。それが「プロ」だと思っていた。でも、それって本当に良いことなのか?と、あの依頼人の涙を見た瞬間に思い知らされた。私たちは人と人の間で働いているのだ。
依頼人の涙が思い出させてくれたこと
登記完了通知を渡したとき、依頼人は泣いていた。「やっと終わった…」と声を震わせながら。その涙を見て、心の奥に眠っていた何かが目を覚ました。私は、ただの書類屋じゃない。誰かの人生の区切りに立ち会っているのだと。あの涙が、私の鈍くなっていた感覚を取り戻してくれた。
「あなたがいてくれてよかった」の重み
後日、依頼人から小さな手紙が届いた。「あなたがいてくれてよかった」と書かれていた。たった一行の言葉。でもその一行に、どれほど救われたか。業務としては終わっていた案件だったが、その手紙を読んで、ようやく「この仕事をやっていてよかった」と思えた。本当に思えた。
同業のあなたへ伝えたい
もし今、あなたが司法書士としてのやりがいや存在意義を見失いかけているなら、思い出してほしい。目の前にいる依頼人の「それ」が、どれだけの思いを抱えた出来事かということを。面倒な案件の中にこそ、あなたの仕事の本質がある。
報われる日は、いつも唐突にやってくる
「今日も何も進まなかった」と感じる日が続いても、ふとした瞬間に救われることがある。思いがけず「ありがとう」と言われる日。思わず涙ぐんでしまう日。それは、こちらが「やるべきことをやった」証でもある。報われる日は、こちらが選ぶのではなく、向こうからやってくる。
愚痴が出るのは、ちゃんと向き合っている証拠
私も愚痴が多い。事務所でつい漏らしてしまう。でもそれは、誰かのために真剣になっている証拠だ。悩むのも、腹が立つのも、面倒くさいと感じるのも、全部この仕事に誠実に向き合っているからだ。だから、ネガティブな気持ちを無理に消そうとしなくていい。むしろ、それがこの仕事のリアルなのだから。