「説明しているのに伝わらない」日常の苛立ち
司法書士として日々業務をこなしていると、同じ説明を何度も繰り返す場面に出くわすことがあります。登記の流れ、必要書類の意味、押印の位置など、こちらとしては「何度目だろう」と思うこともあります。しかし、そんなある日、依頼者や事務員から「何度も同じことを言われると、逆に混乱します」と言われ、頭をガツンと殴られたような感覚になりました。「分かりやすく丁寧に」を意識していたはずが、結果的に混乱を招いていたのです。
毎回似たような質問、同じ説明
例えば、遺産分割協議書の作成について、Aさんから「これって誰が書くんですか?」と聞かれたので丁寧に説明しました。翌日には「で、これは結局誰が書くんでしたっけ?」と再び聞かれ、さらにその翌日にはまた同じことを聞かれました。こちらとしては「またか…」という気持ちになるのですが、本人には悪気がないのもわかる。けれど、業務の合間に何度も同じ話を繰り返すことは、正直疲れます。
「またか…」と思うたびに疲弊する自分
一度だけなら「しょうがないな」と思えるのですが、それが二度三度と続くと、自分の中でもストレスがたまります。忙しい日ほど余裕もなくなり、「またかよ…」という独り言が口から漏れることも増えました。こちらはプロとして、いつでも落ち着いていなければならないのに、自分自身のキャパのなさに嫌気が差す瞬間でもあります。
なぜ“繰り返し説明”が逆効果になるのか
「分からないなら何度でも説明しますよ」というのは、良いことのように思えます。けれど実際は、それが相手の混乱を助長している可能性もあります。自分が意図している“親切な説明”が、相手にとっては“混乱のループ”になっているのです。
情報量が多い=親切、ではない
丁寧に説明しようとすると、ついあれこれ補足を入れたくなります。「これはこうで、でも例外があって…」といった具合です。けれど、相手にとってはその“例外”や“補足”がノイズとなり、核心がぼやけてしまうんですよね。昔、役所の人に延々と手続きの説明をされたときに「結局なにが必要なんだよ」と思った自分を思い出しました。
「わかりやすさ」の押しつけが混乱を生む
「わかりやすくしてあげよう」という意識が強すぎると、ついつい話を膨らませすぎてしまう傾向があります。「要するにこうです」と締めたつもりでも、相手は最初の段階で置いていかれていることが多いのです。
相手の理解プロセスを無視してしまう危うさ
人によって理解のしかたはまったく違います。図で理解する人、口頭が向いてる人、実際に手を動かさないと覚えられない人。こちらがいくら噛み砕いて説明しても、相手の理解の順番やリズムを無視しては意味がありません。自分の中で説明が完結しても、相手の中ではまだ“スタート地点”にすら立てていないのです。
説明すればするほど信頼が揺らぐこともある
こちらが丁寧に説明しているつもりでも、相手は「なんかこの人、さっきと言ってること違くない?」と感じる場合があります。細かい補足を入れたつもりが、最初の説明と矛盾しているように聞こえてしまう。結果、「この人に任せて大丈夫か?」と不信感を持たれることもあるわけです。
事務員にも言われた一言「何度も言われるとわからなくなる」
一番グサッときたのは、長く一緒に働いている事務員に言われたときです。「先生、それ…何回も言われると逆にわかんなくなってきます」と苦笑いで言われ、ショックというよりも「俺、やっちまってたな」と膝から崩れ落ちそうになりました。
その瞬間、こちらがフリーズした理由
自分では「相手のためにわかりやすく伝えている」つもりだったのです。それが、逆に「混乱のもと」になっているとは。今までの説明スタイルが根底から覆されたような気持ちになりました。「わかりやすさ」の押し売り、してたんだなと。
自分は悪くない、でもたぶんちょっと悪い
「いや、俺は悪くない」と最初は思いました。けれど、振り返ると、説明を急ぎすぎていたり、相手の表情を見ずに話していたり、自分のペースでしゃべっていたなと反省する点が多々あります。ちょっと、いや、かなり悪かったのかもしれません。
「説明の仕方を見直す」という現実逃避
「じゃあ説明の仕方を変えればいいのか」と考えがちですが、それだけで本質が解決するわけではありません。そもそも“説明”自体が多すぎるのではないか?という視点も必要です。
そもそも説明の前提が間違っている?
「これは説明が必要だ」と思っていること自体が、実は独りよがりかもしれません。必要なのは“説明”ではなく“整理”だったのでは?説明する内容を減らすことのほうが、効果的な場合もあります。
“できる人基準”で話す癖の恐ろしさ
自分が慣れている言葉、自分が理解している流れを前提に話してしまう。これ、専門職にはよくある落とし穴です。新人時代の自分を思い出すと、「先生、何言ってるか一個もわからん」と感じていたことを忘れていました。
司法書士あるある「前提知識の圧」問題
「印鑑証明と住民票を用意してください」——これ、我々からすれば簡単ですが、一般の方からすれば「なぜ?」という疑問が湧いて当然です。その“なぜ”をスキップして「当たり前でしょ」のテンションで進めてしまうから、置いてけぼりになるんですよね。
伝える技術よりも、伝わる環境を整える
いくら話し方を工夫しても、そもそも伝わる“場”ができていなければ意味がありません。会話ではなく“共有”が大事なのだと最近強く感じます。
会話より、まず整理整頓
机の上も、書類も、情報も、整理されていないと会話が成立しません。話す内容より、話す前の準備。必要なものが揃っていて、視覚的にも整理されていれば、説明なしでも伝わることって実は多いんですよね。
「見せて伝える」が案外効く
説明よりも図、手書きのメモ、場合によっては手順書。視覚情報の力ってやっぱりすごいです。言葉で説明するより、図を一枚渡した方が一発で伝わるケースもあります。
マニュアルの言語化と可視化のススメ
うちの事務所でも、最近は「何度も説明しないための書類フォルダ」を作りました。説明しながら同時に紙で見せるだけで、依頼者の理解が圧倒的に早くなります。手間はかかりますが、結果的には自分の時間を守ることにもなります。
“言わない”努力が実は一番効率的
どう説明するかより、どれだけ“説明しなくても済むように設計するか”のほうが効果的です。すべてを口で伝えようとするから苦しくなる。静かに伝える技術、大事です。
「伝わらないのは相手のせいじゃない」の意味
説明が伝わらないと、つい「相手の理解力が足りない」と思ってしまいます。でもそれ、単なる責任転嫁かもしれません。自分の側に余裕がないだけ、というケースも多いのです。
怒りたくなる前に立ち止まる癖を
イライラし始めたら、それはもう説明の質が落ちている証拠です。「あ、今自分、冷静じゃないな」と自覚するだけで、相手とのやり取りもだいぶ変わります。
自分に余裕がないときほど説明は崩壊する
結局、相手に伝わらないのは、自分が忙しすぎて心の余白がないから。余裕のなさは声に出るし、表情にも出る。説明の前に、まず自分の余裕を整えることが、最も大切なことかもしれません。