どうして自分だけ? ― 休みが取れない現実とその裏側

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どうして自分だけ? ― 休みが取れない現実とその裏側

休みが取れない日常に、ふと湧く「なんで自分だけ?」という疑問

司法書士をやっていて、ふとした瞬間に「なんで自分だけこんなに休めないんだろう?」と思うことがあります。世間は三連休だの有給消化だのと言っている中、こちらは平日も土日も関係なしに依頼対応。特に田舎で事務所を一人で回していると、代わりもいないし、電話も止まらない。誰かに頼ろうにも「この案件だけは自分じゃないと」と思ってしまう。そんな働き方をしていると、気づいたときには月をまたいでいて、休日らしい休日をいつ取ったのかすら思い出せません。

繁忙期じゃなくても、なぜか忙しい司法書士

確かに繁忙期というのはあります。相続のシーズン、不動産売買が活発になる時期。しかし不思議なもので、「繁忙期が終わったら休もう」と思っていても、なぜか休める日はやってこない。誰かの急な相談や、予定外の案件が次から次へと舞い込んでくる。気づいたらまた次の繁忙期が来ているというループです。

「時期を見て休もう」が、永遠に来ないワケ

「この案件が片付いたら」「次の登記が終わったら」と自分に言い聞かせて先延ばしにしているうちに、休むタイミングを完全に見失ってしまいます。完了しそうな仕事に限って、相手からの連絡が遅れたり、書類の不備が出てきたり。だから常に“保留案件”が頭の片隅に残っていて、完全に気を抜くことができません。

誰も代われない仕事の構造的問題

司法書士という仕事は、特に地方でやっていると「この地域のことを一番分かっているのは自分だ」と思い込んでしまう面もあります。それがプレッシャーにもなるし、責任感にもつながってしまって、結局、誰にも代われない。登記ミスや説明不足で訴訟沙汰になったらと思うと、やはり最後は自分でやるしかないという結論に戻ってしまいます。

事務員さんがいても、休めるとは限らない

ありがたいことに、うちには優秀な事務員さんが一人います。細かい確認や連絡の取り次ぎもやってくれる。ただ、それでも休めるかというと話は別です。登記申請の最終チェックや、依頼者への説明、報告は結局自分の役割。事務員さんがいないと困るけど、いるからといって休めるようになるわけじゃないというのが現実です。

結局、自分にしかできないタスクが多すぎる

決済当日の現場対応、相続人との複雑なやり取り、依頼人との微妙な距離感。これらはマニュアルがあっても、やはり実践と経験がものを言います。結局、最終的に「これは自分がやったほうが早い」と思ってしまい、自ら仕事を抱え込んでしまう。それが自分の首を絞めているのに。

外から見えにくい“調整業務”の重み

電話1本、メール1通でも、実はその裏には数件のやり取りが必要になることがあります。関係者全員のスケジュールを調整し、書類の内容を確認し、時にはトラブルの火消しをする。これらを外部に任せるのは難しく、しかも精神的に非常に消耗します。それがまた休みを遠ざける要因になります。

気づけば、自分の体力と気力が擦り減っていく

20代や30代の頃は、寝ずに頑張ったり、休日返上でも平気だった。でも今は違う。無理が効かない。どれだけ意志があっても、体がついてこない。それでも無理をしてしまうのは、たぶん「他にやれる人がいないから」という思い込み。そして、どこかで「休んだら負け」とすら思っている節があるのです。

休まないことが美徳になっていた過去

かつての私は「休みを取らずに頑張っている自分」に酔っていたところがありました。周囲から「先生は本当にいつも働いてますね」と言われると、なんだか誇らしくて。でもそれって、誉め言葉のようでいて、裏を返せば「あなた、休んでないんですね」ということ。今思えば、それはとても危うい働き方でした。

「頑張ってるね」と言われたい気持ちが仇になる

人に頼られたい、期待に応えたい。そう思う気持ち自体は悪くない。でも、それが行き過ぎると、「自分が我慢すればいい」という考えに陥ってしまう。結果として、自分の時間も健康も削っているのに、それに気づかないふりをしてしまう。承認欲求って、怖いです。

無理がきかない年齢になって気づいたこと

40代も半ばになると、無理をした翌日にガタがきます。寝不足が2日続くと、集中力が続かなくなるし、イライラも増える。精神的にも余裕がなくなって、つい依頼者にきつい口調になってしまったり。そんな自分に後で自己嫌悪。悪循環の始まりです。

朝起きるのが辛いのは“甘え”じゃなかった

若い頃は「疲れた」は甘えだと思ってました。でも今は違う。疲れが本当に取れない。朝起きるのも億劫で、でも「仕事があるから」と無理に起きて、また一日が始まる。この繰り返しをしていると、どこかでポキっと心が折れてしまう気がして、正直怖いです。

「倒れたらどうなるか」を考えるようになった

以前は、多少の熱があっても仕事に出ていました。でも今は「もし倒れたら、案件どうなる?」と考えるようになりました。一人でやっている事務所だからこそ、誰にも引き継げない。倒れるのは、自分だけじゃなく、依頼者にも迷惑がかかる。そう思ったら、無理して動くことが逆に無責任なんじゃないかと思うようになりました。

なぜ、周囲の同業者は休めているように見えるのか

SNSやニュースを見ると、「○○先生は休暇中」とか「趣味のキャンプへ」なんて投稿が目に入ります。「え、なんでこの人は休めてるの?自分は毎日詰まってるのに…」と羨ましさ半分、劣等感半分。だけど、その実態ってどうなんでしょうか。

SNSや同業者の情報に惑わされる罠

SNSはキラキラした部分だけを切り取って見せるもの。たまたま休めた日を「毎日のように」見えてしまうだけで、実際には同じように疲弊している人が大半かもしれません。比べたってしょうがない。そう頭では分かっていても、どうしてもモヤモヤするんですよね。

「みんな余裕そう」は幻想?

特に都市部の同業者の投稿を見ると、やたら華やかに感じます。でも実際には、人を雇って回していたり、家族の助けがあったり、外注もうまく使っていたり。自分と同じ条件ではない。そう考えると、「休めているように見える人」も、全然別世界の話だったりするわけです。

休みを取れる人に共通する“仕組み”とは

どうしても忙しい時期はある。でも、それでも「週1は必ず休む」と決めて実行している人もいます。違いは何なのか。結局、「休む前提でスケジュールを組んでいるかどうか」なんですよね。忙しくて休めないのではなく、休みを予定に入れていないから、ずっと仕事が入り続ける。これは自戒を込めての話です。

断る力と、割り切りの力

依頼があれば引き受ける。それが司法書士の仕事だと思っていました。でも、それで休めなくなって心が折れたら意味がない。休みたいなら「が、来週以降でお願いできますか」と言える勇気を持つことが大切。断るのは悪じゃない。むしろ長く仕事を続けるためには必要な力です。

スケジュール管理は「自分に甘く」でちょうどいい

かつては「隙間があるなら予定を詰める」というスタイルで動いていました。でも今は、あえて空白を作るようにしています。電話も来ない、誰にも会わない時間。これがないと、思考がまとまらないし、感情も整理できない。自分に甘くすることで、結果的に他人にも優しくなれる気がします。

「休めない」を放置してはいけない理由

「まあ今だけだし」「そのうち落ち着くから」と言い聞かせながら、何年も休みなしで走ってきました。でも、それが普通になってしまうと、心身が蝕まれていくのに気づけなくなります。疲れが限界を超える前に、立ち止まることが大事です。

過労の先にある“取り返しのつかない未来”

身近な同業者が体を壊して長期休業に入ったことがあります。「あの人はタフだから大丈夫」と思っていた人が突然倒れたときの衝撃は大きかったです。自分も明日は我が身。無理が積もれば、ある日いきなり限界が来る。それは避けなければいけません。

仕事ができる=ずっと健康とは限らない

能力があるからといって、体が丈夫とは限りません。むしろ、能力がある人ほど無理をしてしまいがち。結果、知らず知らずのうちに壊れてしまう。仕事ができる人ほど、自分のメンテナンスにもっと敏感であるべきです。

「休める人」は、意外と長く働いている

休みをちゃんと取っている人の方が、結果的に長く現場に残っている。周囲を見ていてそう感じます。短距離走のような働き方ではなく、マラソンのように、息を整えながら進む。そんな働き方を目指すべきなのかもしれません。

最後に:それでも休めないあなたへ

ここまで読んで、「それでもやっぱり今は休めない」と思った方もいると思います。かつての自分もそうでした。だからこそ、少しだけ考え方を変えてみませんか。

まずは「午後半休」から始めてみませんか

いきなり丸一日休むのが難しいなら、せめて午後だけでも。13時からの予定を入れない。それだけでも、午前中の仕事にメリハリがつきますし、心が軽くなります。小さな休みを積み重ねて、徐々に「休むこと」に慣れていく。それが、これから先も仕事を続けていくための第一歩になるはずです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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