兄弟喧嘩の火種は突然に──ただの手続きのはずだった
遺産分割協議なんて、書類さえ整えば淡々と進むもの――そう思っていた私が甘かった。司法書士としてではなく、兄弟のひとりとして頼まれた「協議の場への同席」。それが、想像を超える感情のぶつかり合いの渦に巻き込まれるきっかけだった。法律では整理できない「感情の相続」があることを、この件ではっきり思い知った。
「話し合いに出てくれ」と頼まれたのが始まり
きっかけは兄からの一本の電話。「協議の場に一緒にいてほしい」と。中立の立場で話がこじれないよう見守る役目、ということだった。私も一応法律のプロなので、争いを避けるための潤滑油になれればと思い快諾した。まさか、あんな地雷原に足を踏み入れるとは知らずに。
なぜか矢面に立たされることに
協議が始まるとすぐに空気が張り詰めた。「お前は兄の味方なのか」と、弟から刺すような視線。「そんなつもりはない」と弁解しても、どこか信用されない。中立でいるつもりが、ただ“都合の悪い意見を言う人”にされていった。司法書士としての経験ではなく、血縁関係が判断を曇らせていた。
司法書士としてではなく、“家族の一員”として巻き込まれる苦しみ
司法書士という立場が、こういうとき逆に仇になることがある。法的な知識を持っているからこそ、「ちゃんと説明してくれ」と頼られ、一方で「お前は立場を利用して兄の肩を持ってる」と責められる。仕事とプライベートの線引きが、ぐにゃりと歪む瞬間だ。
中立のはずが、どちらの味方かと疑われる
どちらの立場にも立たないことが、両方から「敵」と見なされる不思議な構図。法律上の公平さを守る発言が、感情の渦の中では冷淡に映るらしい。たとえば「それは遺留分に関わります」と言っただけで、「なんで弟をかばうんだ」と兄が怒る。どう転んでも、誰かが不満を抱える。
法的な説明が感情論にかき消される
「公平に分けましょう」といくら伝えても、「親からの愛情が足りなかった」「昔お前だけが大学に行けた」といった過去の話にすり替わる。遺産分割協議の場は、実は“感情の棚卸し”の場でもある。そこに法的な説明を入れようとすれば、むしろ火に油を注ぐことになる。
ありがちな構図:「兄」vs「弟」vs「空気を読まない末っ子」
今回の件でもっともやっかいだったのは、「全員が自分こそが正義」と思っていたこと。長男は「親の面倒を見てきた」、次男は「損な役回りばかりだった」、末っ子は「自分だけ外されている」と。誰もが“傷ついている自分”を主張し、相手の立場を受け入れようとしない。
冷静なつもりが“薄情”と言われる
私はただ、穏便に終わらせたかっただけ。けれど「感情を抑えろ」と言えば、「お前は冷たい」と言われる。合理的に考えているつもりでも、感情の泥沼の中では逆効果になる。「法律通りにやろう」と言うことが、時に一番相手を刺激してしまう。
遺産の金額よりも「親の愛情」が問題になっている
協議がこじれる家庭の多くは、実はお金の問題ではない。問題の核心は、「誰が一番愛されていたのか」「誰が犠牲を払ってきたのか」という感情の問題だ。金額はその象徴でしかない。そこを見誤ると、火の粉は関係ないはずの人間にも飛んでくる。
事務所にも影響…仕事にならない精神的疲弊
この件で一番しんどかったのは、協議後も延々と続く“LINE地獄”。兄弟それぞれが自分の正当性を主張し、愚痴を投げつけてくる。どちらの味方にもなれない私が、そのサンドバッグになってしまった。結局、事務所の仕事にも集中できず、事務員にも気を遣わせてしまった。
感情のゴミ箱扱いされる日々
「あのとき、あんな言い方しなくてもよかったのに」など、後から届くメッセージ。最初は真面目に返信していたが、だんだん苦痛になっていった。話し合いが終わっても、心の整理ができていない人間たちが、こちらにその処理を押し付けてくる。
事務員さんにも心配かけてしまう
私の顔色が明らかに悪かったのだろう。「先生、大丈夫ですか?」と事務員に心配された。「大丈夫」と言いながらも、声に力がなかったと思う。感情的な案件に巻き込まれると、専門家であっても人間としての限界を感じる。事務所全体の空気も、どんよりと曇っていた。
本来の「遺産分割協議」と現実のギャップ
教科書に書いてあるような“スムーズな協議”なんて、現実ではほとんど存在しない。特に家庭内のしがらみが深いほど、法的手続きを感情が飲み込んでしまう。司法書士として「淡々と書類を作成する」だけでは、到底対応しきれない世界がそこにはある。
相続人の法的立場と現実の家族関係のねじれ
法的には「相続人は平等」。だが、現実には「親の介護をしたか」「昔の確執があったか」などで力関係がねじれている。公平な説明をしても、「現実を見ろ」と返される。理屈と感情のミスマッチが、最終的に司法書士に牙を剥く。
冷静な議論は期待できないのが現場の現実
冷静に話し合える家族ももちろんいる。だが多くのケースでは、「親の死」をきっかけに感情が噴き出す。「あの時ああだった」「あれは不公平だった」という積年の恨みが爆発する。その場で一番“冷静な顔”をしている人が、最もストレスを抱える羽目になる。
司法書士ができること・できないこと
この件を通じて、私も痛感した。「手続きだけやっていればいい」というスタンスでは、かえって信頼を失うこともある。一方で「家族の平和を守る」というのも司法書士の仕事ではない。どこまで関わり、どこで手を引くか――その判断が極めて難しい。
登記の専門家としての線引きの難しさ
「登記はお任せください」と言いつつ、協議にまで深入りすることで、逆に責任を問われることもある。法的なことだけ話していればいいというわけでもなく、かといって感情に深入りすると燃える。線引きのバランスを間違えると、自分自身が燃え尽きてしまう。
「家族の平和まで守ってくれ」は無茶な話
たまに「先生が間に入ってくれたら丸く収まると思う」と言われる。だが、私は家族カウンセラーではない。司法書士にそこまで求められるのは、正直しんどい。それでも頼られてしまうのが現実であり、その期待にどう応えるか、自分なりのスタンスが必要だ。
「自分さえ我慢すれば…」の危険な思考
巻き込まれるのが嫌で、全部黙って我慢しようとする。でもその我慢が積もると、自分自身が壊れてしまう。「専門家だから強くなければ」と思う必要はない。逃げることも、防御線を張ることも、大切な自己防衛だ。
巻き込まれた側こそ、逃げ道が必要
中立だからこそ、一番無力になりがち。逃げ道を持たないと、感情の洪水に押し流される。私は今回、協議が終わった後も数日間、思考が止まったようになってしまった。仕事のメールに返事ができず、ただぼーっと机に座っていた。
専門家としての自尊心を保つには
自分は無力じゃない、そう思えるためには、自分の立ち位置をはっきり決めておくことが必要だ。感情の調整役になろうとしない、自分を責めない。登記の専門家として、できることとできないことを明確にしておくことが、精神の安定にもつながる。
今後同じ状況になったらどうするか?私なりの答え
こうした経験を経て、「頼まれても断るべき場面はある」と学んだ。すべてを引き受けてはいけない。引き受けるなら、そのリスクと限界を事前にきちんと説明しておく。自分を守るためにも、それは必要な判断だ。
巻き込まれないための初動の工夫
「話し合いに立ち会ってほしい」と言われたら、まずは趣旨と範囲を確認する。「中立で書類を整えるだけ」とはっきり伝え、あいまいな関係性を避ける。そのひと手間が、後々のトラブルを大きく減らしてくれる。
断る勇気と、説明の工夫
断ることは悪ではない。「私は法律家としての支援はできますが、家族間の調整は専門外です」と言えばいい。それでも頼ってくるなら、必要に応じて弁護士や調停という別の選択肢を提示する。全てを抱え込まず、線を引く勇気が必要だ。
司法書士を目指す方へ:理想と現実のはざまで
司法書士は“静かな仕事”に見えるかもしれない。でも現場は、感情の渦の真ん中に立たされることも多い。知識だけでなく、自分を守る術も必要な仕事だ。そういう覚悟を持っておくことで、この職業はもっと誇りを持てるものになる。
相続案件は「人間関係」の修羅場でもある
書類作成以上に、相続は“人間”を見る仕事でもある。親族間の感情のぶつかり合いに、間接的にでも触れることは避けられない。だからこそ、自分の役割を明確にしておくことが、生き残るための知恵だ。
でも、誰かの“最後の砦”になれる仕事でもある
悩んでいる人にとって、「あなたの話、わかりますよ」と言ってくれる専門家がひとりいるだけで救われることがある。全てを解決できなくても、寄り添う姿勢だけで価値がある。そう信じて、私は今日もこの仕事を続けている。