またこれか…?印鑑証明の様式違いで補正地獄

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またこれか…?印鑑証明の様式違いで補正地獄

印鑑証明書、なんでここまでバラバラなのか

地方で司法書士をやっていて、地味にキツいなと思うのが「印鑑証明書」の様式の違い。いや、正確には“市区町村ごとに微妙に違う”そのクセの強さ。まさかこの違いだけで補正がかかるとは…と何度ため息をついたことか。全国共通でいいじゃないか、と思ってしまうけれど、現実はそううまくいかない。提出先の法務局によっても対応が微妙に違うことがあり、「前は通ったのに今回はNG?」みたいなこともある。毎回確認しながら書類を整えるけど、それでも“補正”の文字を見ると肩が重くなる。

様式の違いで補正が入る理不尽さ

とある案件で、同じ印鑑証明書を使ったのに、法務局によっては補正対象になったことがある。曰く「氏名の前に空白がある」「印影が枠にかかっている」…正直、どこまで厳密に見るんだと呆れた。でも一度突き返されたら最後、修正→再提出の二度手間が発生する。もちろんその間、依頼者には「もう少々お時間いただけますか」と低姿勢でお願いする羽目になる。自分のせいじゃないのに、自分が悪いみたいな気持ちになるのがつらい。

同じ日本なのに統一されていない現実

これ、よく考えるとかなり不思議だ。日本という国は、マイナンバーやデジタル化を掲げているはずなのに、印鑑証明の書式ひとつ統一できていない。たとえばA市の証明書は見やすい印影でOKだったのに、B市のものは「薄いからダメ」と言われる。なぜ同じ“公的証明書”でそこまで差が出るのか。ルールの隙間をこちらが埋めていくことになる。…いや、本当に、誰か統一してくれないものか。

まるで「間違い探し」をやらされている気分

補正通知を受け取って、改めて印鑑証明書を見直すときの気分といったら。まるで間違い探しのように、細部を目を凝らしてチェックする。でも明確に「これが原因」と断定できることばかりじゃない。なんとなく「前と違う気がする」という感覚で、なんとなくやり直す。事務員さんにも「また?」と苦笑いされつつ、地味に消耗していく。

市区町村ごとのルールに振り回される日々

印鑑証明だけじゃないが、市区町村が違えば運用もルールも違う。これが積み重なると、仕事の効率が恐ろしく下がる。経験値でカバーできることもあるけれど、新しい地域や役所にあたると毎回“読み合い”が始まる。ある意味、頭脳戦。でもこっちは時間との勝負をしている中で、そんなマメ知識に時間を割いていられない。

「〇〇市は大丈夫だったのに」案件の多さ

このパターン、本当に多い。「前に〇〇市の証明書では問題なかったので…」と説明しても、「当局では対応できません」とバッサリ。なんともやるせない。市民の立場からすれば、どの市町村で発行された証明書であれ、同じように通用してほしいだろう。それを裏でつなぎ合わせて調整するのが、われわれ司法書士の役目になっているのだ。

確認の電話をかける時間すら惜しい

補正リスクを避けようとして、事前に役所に電話確認をすることもある。けれど、電話はつながらない。担当者も変わっていて、「詳しくないのでお待ちください」の繰り返し。その間、他の業務が進まない。数十分の電話一本で、1日のリズムが崩れるのはつらい。地味だけど、確実に効率を奪ってくる要因だ。

補正通知の山に心が折れそうになる

補正が届くたびに「またか…」と思ってしまう。印鑑証明だけでなく、住所や表記のゆらぎ、委任状の書き方ひとつで引っかかる。毎回毎回、完璧を目指しているのに、どこかしらに“落とし穴”がある。まるで試されている気分になる。補正通知が来るたびに、精神的に1ミリずつ削られている気がする。

補正は自分のせいじゃないと思いたい

「これは役所のせい」「これは法務局が厳しすぎる」…そう思いたい。でも実際に補正を食らうと、「自分の確認が甘かったかも」と自責の念がわいてくる。依頼者にはそんなこと言えない。だからこそ、こちらで全部カバーしようとするけど、それがまたプレッシャーになる。終わらない、報われない地味な神経戦が続く。

事務員との「またか…」という無言のやりとり

補正の封筒を見つけた瞬間、事務所に漂う無言の空気。「あー…来ましたね」「やっぱりか」そんなやりとりを、表情だけで交わす。事務員に責任はない。でもお互いのため息が重なるたびに、どこかで気が滅入っていく。チームとして乗り越えていくはずが、どこか「誰がやった?」的な空気になってしまうのもつらい。

顧客に説明する気力も削られる

「補正が出ましたので…」と、また電話をかける。この瞬間が本当に気が重い。「そちらでしっかりやってもらってると思ってたのに」と思われないか、毎回気にしながら言葉を選ぶ。補正内容を丁寧に説明しても理解されづらい。「そんな細かいことで?」という反応に、もう一度心が折れる。

根本的な問題:制度が追いついていない

こういったトラブルの根っこには、「制度の古さ」と「運用のバラつき」があると思う。いまだに紙ベースでやり取りし、地方の事情に依存した運用が続く。これはもう、現場の努力だけではどうにもならない領域。なんとかしてくれと声を上げても、結局のところ、末端の司法書士が吸収していくしかない。

デジタル化の波に逆行するアナログの壁

確かにマイナポータルや電子証明書の流れは進んでいるけれど、現場感覚としては“まだまだ紙が主役”。そしてその紙が、こんなにもクセ者揃い。印鑑証明書も、PDFにして送れる時代が来ればいいのに。いや、むしろ印鑑制度そのものを見直してほしい。でも、そんな未来はまだまだ先のように感じる。

紙文化と“お役所仕事”の板挟み

書類は紙で、役所は電話で、提出は窓口で。これって昭和のままなんじゃないか?と思うことがある。法務局も、市役所も、ルールや手順を変えることに慎重すぎる。たぶん、変更する手間やクレームを恐れているんだろう。でも、そのしわ寄せは、われわれ実務家に来る。どうしてこっちが我慢しなきゃいけないんだ。

それでも現場で戦う私たちへ

それでも、現場を支えているのは、こうした“しんどさ”と日々向き合っている司法書士たちだ。愚痴りながらも、1件1件と向き合っていくしかない。ミスを減らすために確認して、補正を避けるために連絡して、それでも漏れがあったら丁寧に説明する。地味で、目立たない仕事だけど、確かに誰かの安心を支えている。

愚痴りながらも続ける理由

じゃあなぜ続けるのか。それは、やっぱり「助かったよ」「ありがとう」と言われる瞬間があるから。ほんの一言で、何日分の疲れが吹き飛ぶこともある。苦労の割に報われない仕事だと思うけど、それでも必要とされているのはわかる。だから、今日もまた補正通知にため息をつきながら、封を開ける。

地味で報われにくいけど、誰かのためになっている

派手な仕事じゃないし、SNSでバズることもない。だけど、困っている人の手続きを支えているという自負はある。目立たないところで、誰かの不安を解消している。それって、すごく地味だけど、実は尊いことなんじゃないか。そう思わないと、やってられないよね、ほんと。

同じように疲れているあなたへ

この文章を読んでくれた司法書士さん、あるいはこれから目指そうとしている人へ。こんな細かいところで疲れてるのは、自分だけじゃない。みんな、似たような愚痴を抱えながら、それでも前に進んでいる。もしどこかで補正通知を見て、「もう嫌だ」と思ったら、このコラムを思い出してほしい。あなたは、ひとりじゃない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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