もう少し肩の力を抜いて生きてもいい理由

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もう少し肩の力を抜いて生きてもいい理由

仕事は好きだけど、正直しんどいときもある

司法書士の仕事が嫌いなわけじゃありません。むしろ、やりがいもあるし、感謝される場面も多い。だけど、ふとした瞬間に「ああ、もう少し気楽にやれたらな」と思うことがあるんです。朝から晩まで電話と書類と登記簿に追われ、ミスは許されない。それでも「俺がやらなきゃ」と思ってしまう。その責任感が、気づけば自分をがんじがらめにしてしまうんですよね。

やりがいの裏にある「責任の重さ」

この仕事には、確かにやりがいがあります。でも同時に、その裏にある「重さ」に気づくことも多いんです。登記一つ、契約一つが、依頼人の人生に大きな影響を与える。だからこそ慎重になるし、緊張感が抜けない。やりがいの正体が、実は「責任のプレッシャー」だったりするんですよね。

依頼人の人生を背負うような緊張感

たとえば、不動産の名義変更。たった一つの記載ミスが、相続トラブルや売買トラブルの火種になることもあります。「先生に任せてますから」と言われると、正直プレッシャーがすごい。あの笑顔の裏にある信頼が、時に重荷に感じる瞬間もあるんです。裏切っちゃいけない。その思いで胃がキリキリすることもあります。

「間違えられない」が毎日続く

たとえば、相続登記。戸籍を取り寄せて、関係図を作って、誰が相続人かを確認して…。その確認に漏れがあったら、全部やり直し。依頼人にも迷惑をかける。だから毎回、指差し確認みたいに慎重になります。でもそれを365日やっていると、さすがに神経がすり減っていくんですよ。

気づけば365日、心が休まらない

「休みの日くらい、仕事のことを忘れよう」と思っても、頭のどこかに登記や相談のことが残っている。これ、司法書士あるあるだと思います。脳みそが常にオンになってる状態。いざというときに備えて、スマホも常に手元。そんな生活を続けてると、気がつけば「何のために働いてるんだっけ?」ってなるんです。

休日でも「何か忘れてないか」が頭を離れない

家族で出かけていても、心から楽しめない。ふとした瞬間に「あの書類、出したっけ?」と頭をよぎる。登記の申請期限や、期日の近い書類提出が気になって、手元のスマホでメールを確認してしまう。事務員からの連絡が来てないか、そわそわしてしまう。これじゃ、心が休まるわけがないんですよね。

メール一通で胃が痛くなる

月曜日の朝、メールを開くのが怖いときがあります。「法務局からの補正連絡では?」とか「依頼人からのクレームだったらどうしよう」とか、つい最悪のパターンを想像してしまう。結局、何もなかったとしても、そのたびに心がすり減っていく。小心者だなと思いつつ、そういう性格だからこそ、ここまでやってこれたのかもしれません。

「ちゃんとしなきゃ」が自分を追い詰める

自分でも思います。「もうちょっと適当にやればいいのに」って。でも、ちゃんとしなきゃという気持ちが抜けない。真面目すぎると言われたこともあるけど、性格だから仕方がない。ただ、その真面目さが、自分をどんどん追い詰めてるようにも感じる今日この頃です。

完璧主義がクセになってしまった

「これでいい」ではなく、「これが完璧か」を基準にしてしまう。だから、書類一枚に1時間以上かけてしまうこともあります。そのおかげでトラブルは少ない。でも、効率が悪いのも事実。もっとサクサクやれる人を見て、「自分、要領悪いな」と落ち込むこともあります。

「気が利く」より「気を病む」になっていく

細かいところに気づくのは長所かもしれません。でも、それが度を超すと、自分で自分の首を締めるような感覚になります。「ここも修正しなきゃ」「この文言も再確認」とやっているうちに、気づけば深夜。気が利くどころか、気にしすぎて病みそうになっている。そんな自分に気づいて、少し悲しくなるときもあります。

「ミス=終わり」という呪い

司法書士の世界は「ミス=信頼喪失」に直結する場面も多い。だから、「絶対に間違えられない」と自分を追い込んでしまう。でも、完璧なんて無理なんですよね。本当は。それを頭ではわかっていても、体が納得してくれないんです。

失敗を許せないのは、たぶん自分自身

過去に一度だけ、記載ミスで補正が入ったことがありました。依頼人は「大丈夫ですよ」と笑ってくれたけど、自分の中では数日引きずりました。誰よりも、自分が自分に厳しい。そういう性格が、この仕事に向いているのか、向いてないのか、時々わからなくなります。

肩の力を抜くって、どういうことなのか

「もっと肩の力を抜いてやればいいのに」と周りに言われることがあります。でも、具体的にどうやればいいのかわからない。真面目にやってるだけなのに、気楽にできない。そんな自分に対して、少しずつ向き合ってみようと思ったのが、この記事を書こうと思ったきっかけでもあります。

適当にやることと、手を抜くことは違う

最近やっと、「手を抜く=悪」ではないと考えるようになってきました。たとえば、すべてのメールに即レスしなくてもいい。すべての書類を100点で出す必要はない。80点でいい案件もある。メリハリをつけることで、むしろ全体の質が上がることもあるんですよね。

全部きっちりやらなくていい仕事もある

例えば、法務局への書類送付の封筒の美しさ。昔は糊付けの位置まで気にしてました。でも、封筒なんて誰も見てません。大切なのは中身。そう思って、封筒の美しさにかけていた5分を、コーヒーを飲む時間に変えてみました。それだけでも、心がちょっと軽くなりました。

「これはこれでいいか」と思える感覚

完璧じゃなくても、「まあ、これでよし」と思える感覚。最近はそれを自分の中で育てようとしています。ミスがあっても、誠意を持って対応すればいい。全部を背負わなくてもいい。そう思えるようになったのは、年を重ねて、少し疲れたからかもしれません。

ほどほどを覚えるのは大人のスキル

昔は「最後までやるのがプロだ」と思ってました。でも、プロって「引き際を知ってる人」でもあると思うんです。どこまでやって、どこでやめるか。それを判断できるのが、たぶん本当のスキルなんですよね。全部を全力でやるんじゃなくて、力を抜くことも、技術のうちです。

自分を甘やかすことに、もっと寛容になっていい

最近は、自分に対して「まぁいいか」を言うようにしています。甘やかすというより、休ませる。疲れているのに無理をして、あとでガタが来るよりも、今ちょっと手を抜いた方が、結果的には長持ちする。そう信じるようにしています。

「がんばらない」を習慣にする

「今日だけは早く帰ろう」「この案件は明日やろう」と、自分に優しくする日を作る。それが、がんばらない習慣。週に1回でもいいから、自分をいたわる。そうやって続けているうちに、心に少し余裕が生まれてきました。たまには休むことも、仕事のうちなんだと思います。

事務員さんに甘える勇気も必要

うちの事務員さん、正直すごく気が利くんです。最初は何でも自分でやらなきゃと思っていましたが、今は「これお願いできる?」と言えるようになりました。任せることで自分が楽になる。そして、事務員さんの成長にもつながる。良いことだらけなんですよね。

同業者との比較はやめた方がいい

SNSを見ていると、「あの先生はすごいな」「あの事務所は大きくなってるな」と落ち込むことがあります。でも、それは他人の見せたい部分だけを見ているから。比べても意味がないし、自分の良さは他人とは違うところにある。そう思うようにしています。

「あの先生は立派だなぁ」に疲弊しないために

ある日、近所の司法書士の先生がメディアに出ていたんです。立派にコメントしてる姿を見て、「自分には無理だな」と思った。でもよく考えたら、自分は自分のフィールドで、地元の人に必要とされている。それで十分じゃないかと、最近はそう思えるようになってきました。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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