ある日突然の相談「相続放棄したいんですけど」
ある日、事務所の電話が鳴りました。「相続放棄って、まだできますか?」──そう切り出された瞬間、胸の奥に嫌な予感が走りました。こういう電話、年に何回かあります。しかも、ほとんどが「もう手遅れかもしれない案件」。経験上、ろくな展開にならないんです。でも、だからといってぞんざいな対応もできません。こっちも人間ですし。
電話の第一声から嫌な予感しかしない
そのときの依頼者は、口調こそ丁寧でしたが、どこか不安げで曖昧。聞いてみると、「父が亡くなったのが3ヶ月くらい前」で、「でも正確な日付はわからない」と言います。「え、それで放棄したいって?」と、心の中ではツッコミました。正直、こういう曖昧さに付き合うと、こちらの時間も削られていきます。しかも、放棄の期限に関する“常識”を知らない方が多すぎる。
依頼者の“勘違い”がもたらす地雷案件
「まだ間に合いますよね?」と当然のように聞かれると、こちらも言葉を選びます。勘違いしているのは依頼者ですが、それを指摘しても関係がこじれるだけ。しかし、現実はシビアです。相続放棄は“いつでもできるもの”ではありません。期限を過ぎれば、自動的に“相続した人”とみなされる。説明すればするほど、依頼者の顔が青ざめていくのがわかりました。
相続放棄には“期限”があるって、意外と知られてない
相続放棄には「3ヶ月以内に家庭裁判所へ申述する」という厳格な期限があります。でも、このことをちゃんと理解している方は意外と少ない。ネットやテレビでは「相続放棄できる」とだけ語られて、肝心の期限についてはスルーされてるんですよね。実際の現場では、そこにものすごく大きなギャップが生じています。
「3ヶ月以内」というルールの難しさ
この3ヶ月というのがまた曲者で、「誰がいつ亡くなったか」をちゃんと把握していないと、起算点がずれてしまう。つまり、「知った日から3ヶ月」と言われても、「何をもって“知った”とするのか」が曖昧なんです。とくに、遠方に住んでいた親族の死などは、知らされるタイミングもバラバラで、ここが大きなトラブルの火種になります。
そもそも起算点はいつなのか?
起算点は「自己のために相続が開始したことを知ったとき」ですが、これがまた解釈に幅がある。たとえば、葬儀に呼ばれていなかった場合、死亡を知った日が遅れることもあるし、「遺産があることを知らなかった」と主張する人もいます。実際には、裁判所がどう判断するか次第なので、非常にグレーです。だからこそ早めの相談が重要なんですが…大抵は遅い。
親族間の情報格差と伝言ゲームの恐ろしさ
「兄がやってくれてると思った」「姉が手続き済みって言ってた」──こういう“伝言ゲーム”で勘違いが生まれ、放棄しないまま3ヶ月が過ぎる。ある意味、身内だからこそ確認しづらい。しかも、年配の親族は法律の知識が乏しいことも多く、「みんなが知ってると思ってた」というズレが悲劇を生みます。
期限切れで“相続人”になってしまった人の現実
期限を過ぎてしまえば、自動的に相続人。つまり、「相続したくない」と思っていた人が、いつの間にか借金や不要な不動産を背負わされるということです。書面一枚で放棄できると思っていた方には、衝撃の現実が待っています。私のところに来た時点で「何も知らされてませんでした」と言われても、もうどうにもならないことも多いです。
放棄できなかった後に降ってくるものたち
負債、税金、相続登記の義務、不動産の維持費…。相続人になると、こんな“おまけ”が一気に降ってきます。相続放棄さえしていれば、全部避けられたのに。家一軒の名義が変わらず、固定資産税の督促状が届くたびにため息をつく…そんな日々が続きます。私も過去に「これ誰が住むんですか?」と聞かれて答えに詰まったことがあります。
借金・滞納・ゴミ屋敷…現実はフィクションより厳しい
とある依頼者は、相続した物件がまさに“ゴミ屋敷”。水道もガスも止められ、近所からの苦情も入っていたそうです。「こんなの聞いてなかった!」と叫ばれても、司法書士には片付けられません。ごみ処理も自費、解体も自費、それらすべてが“相続人の責任”なんです。放棄していれば、それらの費用からは逃れられたのに…。
家族会議が開かれなかったツケ
「ちゃんと話し合っておけば…」という言葉、何度聞いたことか。親族間での事前の共有がなされていれば、ここまでこじれることはなかったはず。お金の話はしづらい、という気持ちはわかります。でも、それが結果的に誰か一人に全負担を押し付ける構造を生んでいるのが現実です。
なぜこんなことになるのか?根本の原因を考える
なぜ、相続放棄の期限を勘違いする人が多いのか。それは、“部分的な知識”と“思い込み”が合わさってしまうからです。ネットで見た情報を断片的に信じたり、身近な人の経験談をそのまま当てはめたり。結果的に、最も大事な「タイムリミット」の感覚が欠落している。
「ネットで読んだ」「知人が言ってた」情報の罠
「ネットで読んだら大丈夫って書いてました」「親戚が“放棄できる”って言ってた」──本当にこれが多い。情報の出どころがあやふやでも、人は安心したいんですよね。だから耳障りのいい話だけ信じて、専門家に相談する頃にはもう手遅れ。毎回同じような流れでため息が出ます。
役所でも法務局でもない、“誰も教えてくれない壁”
「役所で聞いたけど教えてもらえませんでした」──これもよくあります。実際、相続放棄は家庭裁判所の手続きであって、市役所の窓口では対応できません。しかも「放棄します」と口で言っても無効。正式な書類を出す必要がある。このあたりの制度の“わかりづらさ”も、混乱の一因です。
司法書士としての苦悩と、言えない本音
こういう“期限切れ案件”が来るたびに、こちらも神経をすり減らします。「もっと早く相談してくれれば…」というのが本音ですが、それを口に出すと角が立つ。依頼者には依頼者の事情があり、責めても意味がない。だからこそ、黙って粛々と対応するしかないのがつらいところです。
「もっと早く来てくれてたら…」は禁句
依頼者が一番わかってるんです。「遅かったかも」と。でも、その気持ちに追い打ちをかけるようなことは言えません。だから、私はできるだけ現実的な落としどころを探します。正解がない中で、少しでもマシな道を模索する。そういう仕事なんだと、自分に言い聞かせています。
事務所の時間もリソースも削られる理不尽
正直、こういう案件ほど時間がかかるし、報酬にもなりにくい。事務員も巻き込まれて、通常業務が滞ることもしばしば。なのに、感謝されるわけでもなく、むしろ「なんでできないんですか?」と責められることもある。やってられない、と思う日もあります。
同業者・これから司法書士を目指す方へ伝えたいこと
こうした案件、特殊な話じゃありません。むしろ「またか…」と思うくらい、よくあるケースです。だからこそ、若い司法書士や目指す方には、この“現場の泥臭さ”を知っておいてほしいと思います。
こういう案件は“あるある”です
相続放棄の期限切れ、ゴミ屋敷、親族トラブル──全部“あるある”です。机上の勉強とは違う、泥臭い現実に耐える覚悟が必要です。逆に、こういう場面で冷静に動ける人が、信頼を得られるんだとも思います。
感情をどう処理するかが本当の難しさ
こちらも人間です。理不尽なことを言われればイラッとします。でも、それを顔に出さず、冷静に説明する。時には怒りを飲み込んで、相手の不安を受け止める。感情のコントロールこそ、司法書士の隠れたスキルだと思っています。
見捨てるか、なんとか助けるか、その判断基準
「もう無理」と見捨てた方が楽なこともあります。でも、できる限りの可能性を探るのが、私のやり方です。その代わり、感情移入しすぎると潰れます。だから線引きは大事。冷静さと情のバランス、その見極めが一番の難しさかもしれません。
結論:期限はシビア。でも人間関係の方がもっと複雑
制度上のルールはシンプル。でも、そこに人間の事情や感情が入り込むことで、事態はどんどん複雑になります。だからこそ、我々司法書士が求められているのだと思います。
制度は冷たくても、現場は感情の渦
紙の上では「ダメです」で終わる話。でも、現場では涙を流す人もいれば、怒りをぶつけてくる人もいます。そこに向き合う覚悟がなければ、やっていけない仕事です。
だからこそ、我々にできることがある
「もう間に合わない」と思っても、できることはあります。相手の気持ちを受け止め、次の一歩を示す。それが司法書士としての矜持だと、私は思っています。