もしあの瞬間に戻れるなら――人生の“たられば”が消えない理由

もしあの瞬間に戻れるなら――人生の“たられば”が消えない理由

あの時の選択が、今の自分を作っていると思うと苦しい

後悔って、ふとした瞬間に思い出しては胸を締めつけてくる。あの時、別の選択をしていたら、今こんなにしんどくなかったんじゃないか。司法書士として独立して十数年、数え切れないほどの「あの時ああしておけば」が積もっている。正直なところ、振り返るたびに自分がどれだけ未熟だったかを突きつけられるような気持ちになる。今の自分を作っているのは、確かに過去の自分の決断だ。でも、それを素直に受け入れられるほど、私は立派な人間じゃない。

なんであんな依頼を受けたんだろう

独立して間もない頃、とにかく仕事が欲しかった。名前が売れてない、信用もない、そんな時期に舞い込んだ難しい登記案件。経験が浅い私には明らかに荷が重かったのに、断ったら次が来ないんじゃないかという不安が勝って、引き受けてしまった。結果、対応に追われ、関係者に怒鳴られ、精神的にも参ってしまった。思い返すだけで胃が痛む。

断る勇気があれば、と何度思ったか

あの時、「今回は難しいです」と言えていれば、どれだけ楽だったか。だけど、当時の私は“断る”ことに罪悪感を感じていたし、自分が断る立場にあると思ってもいなかった。若さゆえ、では済まされない失敗だったが、それがきっかけで依頼者との信頼関係も壊れた。自分を守るには、断る勇気も必要だと身をもって知った出来事だ。

自分を安売りした代償は大きかった

無理な案件を安い報酬で受けてしまったのも、自分を追い詰める一因だった。「これくらいでいいです」と口にした自分を殴りたくなる。結果として、時間も気力も失い、他の仕事に支障をきたすほどだった。価格と責任のバランスを無視した判断は、何より自分の首を絞める。あの時の教訓は今も痛みとともに残っている。

「一人でやろう」と決めたあの日

開業直前、元同僚から共同経営の話があった。「二人でやれば不安も減るし、分担もできるよ」と。確かにその通りだと思った。でも私は、「自由にやりたい」とか「責任を分け合うのが嫌だ」とか、変なプライドで断った。結果どうなったかというと、結局全部ひとりで抱える日々が始まった。

共同経営の誘いを断った理由

「性格が合わない気がする」「方向性が違うかも」そんな建前を口にしたが、本音は「自分のやり方に口出しされたくない」だった。だけど実際には、口出しされるどころか、事務仕事も全部自分。相談できる人もおらず、孤独感が日に日に増していった。選んだのは自分だけど、なんともやりきれない。

結果、全部自分で背負うことになった

トラブルが起きても、ミスがあっても、相談相手も責任分担もない。事務員さんはいるけれど、やっぱり最終判断は自分。結局、しんどい時に「任せられる誰か」がいるというのは、大きな救いだったんだと後から気づいた。手遅れだったけど。

後悔を積み重ねて見えた“癖”

なぜ自分は同じような後悔を繰り返すのか。原因を探ってみると、そこには「自分の癖」があった。失敗のたびに落ち込むだけではなく、そこから自分の傾向に気づいて少しでも修正できたら、それだけでも意味はあるのかもしれない。

先延ばしがチャンスを潰してきた

私はどうも、重要なことを後回しにする癖がある。講演の依頼が来た時も、「準備めんどくさい」と思って放置していたら、先方からキャンセルの連絡が来たことがある。そのときは「あー、失敗した」で終わったけれど、本来なら実績につながるチャンスだったのかもしれない。

面倒なことは後回し、それが命取りに

書類作成、事務処理、法務局への確認。どれも面倒だけど、やらないと後で自分が困る。頭ではわかっているのに、つい目先の楽を選んでしまう。その結果、ギリギリで徹夜、ミス、謝罪。あのループはもう何度繰り返したか分からない。

人に気を遣いすぎる性格が足を引っ張る

依頼人に対しても、同業者に対しても、私は基本「嫌われたくない」タイプ。だから断れない、意見が言えない、指摘もできない。その優しさが時にトラブルを生み、自分を不利な立場に追いやってしまう。

「嫌われたくない」が判断を鈍らせる

たとえば、ある依頼人が明らかに無理な主張をしてきた時。「それは無理です」と言えばいいものを、「なんとか考えてみます」と濁してしまった。結果として余計にこじれた。相手を気遣って中途半端な対応をすると、むしろ信頼を失うこともある。それを学んだ。

人生の「ターニングポイント」は後からしかわからない

過去を振り返って「ここが分岐点だった」と思う場面はいくつかある。でもその時は、まさかそれがそんな重要な選択になるなんて思っていなかった。だからこそ難しい。

あの時の分岐点に立っていたことにすら気づかなかった

開業するかどうかを悩んでいたときも、「まぁ、やってみるか」くらいの軽さだった。だけど、そこで踏み出した一歩が、自分の生活すべてを変えた。そういうのって、あとになってからしか実感できない。だから選択はいつも難しいし、あとから悔やんでも遅い。

本当に大事な選択は、いつも静かにやってくる

ドカーンと何かが起こるわけじゃなくて、「なんとなく」で決めたことが、数年後に響いてくる。その怖さを、私は身をもって知った。慎重すぎても動けないし、軽すぎても後悔する。ちょうどいい判断なんて、正直わからない。

「あの時こうしていれば」は、誰にもある

私だけがこんなに後悔してるのかと思っていたが、周りの司法書士仲間に話を聞くと、みんな「たられば」を抱えている。それを聞いて、少しだけ安心した。

周りの司法書士仲間もみんな後悔を抱えている

ある先輩は、「相続専門にすればよかった」と嘆いていた。別の同業者は「事務員を早く雇えばよかった」と後悔していた。みんな何かしらの「間違ったかもしれない選択」に引っかかっている。それでも仕事は続けている。それが救いでもある。

成功者にも「たられば」はあると知った

SNSで活躍しているように見える司法書士の先輩に、思い切って聞いたことがある。「後悔、ないんですか?」と。返ってきた答えは「めちゃくちゃあるよ」。それを聞いて、少し気が楽になった。みんな過去を背負ってる。自分だけじゃない。

後悔とうまく付き合っていくしかない

消せない過去は、どうやっても残り続ける。それなら、どう付き合っていくかを考えたほうがいい。逃げずに、でも引きずられすぎずに。

消せない記憶をどう扱うか

自分の失敗を日記に書いたり、事務員さんにちょっと話すだけでも気持ちは軽くなる。苦い記憶は完全には消えないけど、少しずつ輪郭がぼやけて、過去の一部になる。そうなるまでには、時間が必要だ。

「失敗も経験」と割り切るには時間がかかる

よく「失敗から学べ」って言われるけど、それができるようになるまでには、時間も心の余裕もいる。私は今でも、思い出して胃がキリキリするようなことがある。でも、その痛みを覚えているからこそ、同じミスはしないように気をつけられているのかもしれない。

過去の自分に今の自分が教えたいこと

無理しなくていい。全部背負うな。そう言ってやりたい。過去の自分はとにかく「期待に応えなきゃ」と思い込んでいて、結果的に自分を壊しかけた。いま、ようやく「自分の限界を知って、無理せず働く」ことが大事だと理解できてきた。

無理して笑わなくてよかったんだよ、と言いたい

クライアントの前では常に笑顔、愚痴もこぼさず、感情を抑え続けていた。でもそれって、本当に必要だったのか?いま思うと、もっと自然体でいてもよかった。笑わなきゃいけない、なんてルールはなかったのに。

まとめ:「あの時ああしておけば」は、自分の証拠でもある

後悔はつらい。でも、それはちゃんと選択してきた証でもある。何もしていなければ、何も後悔はしない。迷って、選んで、失敗して、それでも生きてる。その事実が、自分の証明でもある。だから、今日もなんとか机に向かっている。

後悔があるから、今があるという話

結局のところ、あの時ああしておけば、という気持ちはゼロにはならない。でも、その思いがあるからこそ、次は少しでもましな選択ができる。完璧じゃなくていい。ちょっとでも後悔を減らす方向に、一歩踏み出せればそれでいいのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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