やっとの休みに限って鳴る電話――なぜ“あの時”に限ってトラブルが起きるのか?

やっとの休みに限って鳴る電話――なぜ“あの時”に限ってトラブルが起きるのか?

せっかくの休みに限って、なぜか電話が鳴る

1週間ずっとバタバタと書類と向き合い、ようやく取れた日曜日。朝から好きな音楽でも聴きながらコーヒーを淹れて、「今日は仕事のことは忘れよう」と決めたその瞬間――電話が鳴る。もうこれは“あるある”としか言いようがない。しかもその電話、9割方は緊急。こちらの事情なんてお構いなし。なんで「今」なんだよ…という気持ちになるのも無理はない。

ピンポイントで狙ったように鳴る「その時」

よりによってスーパーのレジに並んでいる時。もしくは子どもの送り迎えの帰り道。タイミングというのは本当に悪魔的で、まるでこちらの予定を見透かしているかのように“その時”を狙って電話が鳴る。着信画面に見慣れた依頼人の名前が出た瞬間、心がざわつく。きっとまた何かあったのだろう、という予感だけが強くなる。

電話に出るか否かの葛藤が始まる

「今はやめておこう」「いや、もし本当に緊急だったら…」。この自問自答が始まると、もう休みどころではない。結局、着信を無視しても心の中では仕事のことがぐるぐる回る。だったらいっそ出てしまった方が楽…と、つい電話を取ってしまうのがいつものパターン。自分で自分の首を絞めているのはわかっているのに。

休みの日に限ってトラブルが起こる“あるある”

司法書士の仕事には“平穏”という言葉が似合わない。平日には起きなかったような問題が、よりによって休みの日に勃発する。登記申請のシステムエラー、相続人同士の急な口論、忘れていた期限の相談…。休みの日にしか時間が取れない依頼人からの「今日中に会えませんか?」という連絡は、もはや脅迫に近い。

登記申請エラー、書類不足、急な相続相談…

法務局のオンライン申請でエラーが出たとか、委任状の記載が不備だったとか、原因は様々。でもなぜか、こういうトラブルが集中するのが“休み”という皮肉。しかも、対応を後回しにすると、火がついたように依頼人の不安が膨らむからタチが悪い。メールで済ませてくれればまだいいが、たいていは「直接話したい」になる。

なぜか依頼人は「今日中に」と言ってくる

今日じゃなくてもいいはずの内容も、「急ぎです」と言われてしまうと断りにくい。たまに「今日しか時間が取れなくて」と言われると、それが本当なのか、ただの口実なのか、もはや判断もつかない。こちらも“士業”としての責任感があるから、最終的には対応してしまう。これがまた、次の休みにも電話が鳴る原因になる。

結局、事務所を開けることになる日曜日

「今日だけは」と思っていたのに、なんだかんだで午後から事務所のドアを開けている自分がいる。休日出勤をするたびに「これは本当に必要だったのか?」と自問自答するが、もう遅い。しかも、こういう日に限ってプリンターのトナーが切れていたり、システムが重くて作業に倍の時間がかかったりと、地味なストレスも積もる。

家族の目線が痛い。自分の心も痛い。

「また行くの?」「休みって言ってたよね?」――妻や子どもたちの視線が刺さる。自分でも“ダメだな”と思いながらも、言い訳のように「仕方ないんだよ」と繰り返してしまう。ふと鏡を見ると、顔に疲れが出ているのがわかる。こんな働き方を続けていて、本当にいいのだろうかと考え込んでしまう。

「そんなに大変なら辞めたら?」の一言がグサッとくる

心配して言ってくれているのはわかる。でも、その一言が一番堪える。「辞めたくても辞められない」って、簡単に言葉にできない気持ちがある。自分が守るべき依頼人がいて、継続してきた信頼があって、そして何より自分が選んだ道。だから、辞めたくても踏ん切りはつかないのだ。

“休み”があって“休まらない”という矛盾

「カレンダー通りに休みがある」ことと、「心が休まる」ことは別物。この仕事をしていると、本当の意味で休まる日は少ない。スマホの通知一つで緊張が走り、急に対応モードに戻ってしまう。頭のどこかに常に「何か起きるかも」という警戒心があるから、完全にスイッチを切るのが難しい。

心が仕事から離れない。リフレッシュできない。

どんなに美味しいご飯を食べても、どんなに遠くに出かけても、心のどこかで「仕事」が追いかけてくる。それはもう習性に近い。そんな自分に気づいて、「これはまずいな」と感じるようになった。せっかくの休みなのに、ぜんぜん“リフレッシュ”できていない。それに気づくと、さらに疲れが増す。

責任感という名の足かせ

この責任感がなければ、もっと気楽に働けるのかもしれない。けれど、それがなければ、依頼人から信頼されることもなかった。矛盾するけれど、責任感があるからこそ続けてこれたし、同時に苦しくなっている。その“重み”に、どう向き合えばいいのだろうか。

そもそも、司法書士に“休み”は存在するのか?

「独立すれば自由な働き方ができる」と夢見ていた20代。でも現実は、組織の歯車だった頃よりもはるかに拘束されているような感覚すらある。自由はある、だけどその分、すべての責任も自分にある。それが休みすらコントロールできなくしているのかもしれない。

独立したら自由になると思っていた昔の自分へ

開業当初、私は「もっと自由に働きたい」と思っていた。好きなときに休めて、好きな依頼だけを選べると思っていた。でも実際は、依頼を断れば信用を落とし、対応を後回しにすればトラブルに発展する。結果、会社員時代よりも土日が減っている。あの頃の自分には教えてあげたい。「自由には裏がある」と。

顧客の都合優先の業界体質

登記や相続といった分野は、依頼人の都合で動くことが多い。「平日昼間は仕事なので、土日にお願いします」と言われれば、断る理由がない。こちらが折れるのが当たり前になっている業界。そりゃあ休めないよな、と一人ごちる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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