「SEOなんてやってる暇ない…」それ、本音です
司法書士として地方で事務所を運営していると、SEOなんて夢のまた夢です。たまに「ブログ書いてるんですね、SEOとか意識してるんですか?」なんて聞かれますが、「できるわけないでしょ」と内心つぶやいています。日々の業務に追われて、昼ごはんをゆっくり食べる暇もないのに、Googleのアルゴリズムに合わせて記事を書く余裕なんて、どこにあるというのでしょうか。
司法書士の毎日は発信どころじゃない
朝イチで電話が鳴り、相談対応、書類のチェック、役所への問い合わせ、そして登記申請…。終わったと思ったら、また別件が飛び込んできます。ようやくパソコンに向かえても、Wordを開いた瞬間にお客様から着信。「すぐ来てほしい」と言われて、ブログのことなんて忘れて外出です。こんな毎日で、SEOまで気を回せる人、尊敬しますよほんと。
登記、相談、電話、書類…時間が吸い取られる
司法書士の仕事って、表から見ると静かに書類をこなすイメージがあるかもしれませんが、実際は常にマルチタスク。電話の内容をメモしながら書類作成、移動中もお客様からLINEで連絡が入る始末。休む暇もなければ、まとまった文章を書く頭の余力も残っていません。ブログを書くと決めても、3行で「今日はやめとこ」になることもしょっちゅうです。
「記事を書く」だけで手一杯の現実
せっかく時間を見つけて記事を書いても、タイトルが思いつかない、画像がない、そもそもこの内容誰か読むの?と自問自答…。気付けば1時間が経っていて、「あ、申請書まだ出してなかった」となって強制終了。SEOなんて、意識する以前の問題です。「書いただけで上出来」そんな自分へのご褒美感覚になってます。
誰に頼めばいい?そもそも頼む余裕がない
SEOのことは誰かに任せればいいじゃないか、という意見もあります。たしかに、専門家に任せれば効率も上がるかもしれません。でも、現実はそう甘くありません。地方で小さな事務所を運営していると、まず予算の壁が立ちはだかります。そして、信頼できる人を見つける時間もない。結局、自分でやるしかない状況に戻ってきてしまうのです。
事務員は手がいっぱい、自分も限界
うちの事務員さんは本当に頑張ってくれています。でも、電話対応や書類のチェック、来客応対などでいつもバタバタ。SEOの話なんて振ったら、「え?」って顔をされそうです。頼める人がいない、でもやることは増える。そんな中で、SEOの勉強やキーワード選定なんて、とても手が出ません。
外注もハードルが高い理由
過去に一度だけ、外注を検討したことがありました。ネットで調べて見積もりをもらったら、月額5万円。内容を見ても、正直よくわからないし、本当に効果があるのかも不安。地方の事務所にとって、東京価格のサービスは身の丈に合いません。結局、「自分でできる範囲でやろう」と諦めたまま、数年が過ぎています。
それでも発信しなきゃ…というプレッシャー
書かなきゃ意味がない、更新しなきゃ意味がない。そんな焦りが常につきまといます。誰かの役に立ちたい気持ちはあるし、信頼にもつながるとわかっている。でも、それがプレッシャーになって、逆に書けなくなる。気持ちだけが前のめりで、現実は空回りです。
「SEOが大事」と言われても頭が拒否反応
「SEOができていないと意味がないですよ」とマーケターに言われたことがあります。間違っていないと思います。でも、その言葉を聞いた瞬間、「じゃあ自分には無理だ」と思ってしまいました。アルゴリズム、インデックス、クローラー…。用語の時点で拒否反応が出るんです。理解しようとする前に、疲れてシャットダウンしてしまう。
情報過多で余計に混乱するSEO情報
ネットで「SEO やり方」と検索すると、山のように記事が出てきます。長文、専門用語、ツールの紹介…。読めば読むほど混乱して、もう何が正解かわからない。時間をかけて読んだ結果、「やっぱり自分には無理」という感想で終わってしまうのです。情報が多すぎて、逆に行動できなくなる。皮肉ですよね。
「順位より伝えたいこと」が先にある
本音を言えば、検索順位より「誰かの役に立つこと」がしたいんです。例えば「親族間の相続で困っている人」に向けて、自分の経験を伝えたい。でも、それをSEOのルールに乗せて書き直せと言われたら、途端に筆が止まる。伝えたい思いがあるのに、それを“最適化”するって、どこか本末転倒な気がしてしまいます。
集客よりも「誰かの助けになれば」と思って始めたのに
ブログを書こうと思ったきっかけは、営業目的ではありませんでした。「昔の自分のように、悩んでる人に届けばいいな」と思ったから。でも、書いても読まれない、反応がない、検索にも出ない…。すると、気持ちが折れてしまう。初心を忘れたわけではないのに、数字に振り回される自分が情けなくなるのです。
SEOを捨てたら楽になった、でも…
ある時、開き直って「もうSEOは無視でいい」と決めました。そしたら不思議と気持ちは軽くなって、書くことが苦じゃなくなったんです。これはこれでアリだと思いました。でも、その一方で「誰にも届いてないかもしれない」という不安も付きまとうようになりました。
検索順位は気にしないと割り切った話
アクセス解析もやめて、SNSでの拡散も特にせず、ただ書きたいことを書く。それだけで満足できればよかったのですが、ふとした時に「誰も読んでないんじゃ…?」と寂しくなる。誰かのために書いたはずなのに、誰にも届かないって、なんだか虚しいものですね。
気楽にはなったが、読まれていない悲しさ
SEOを意識せずに書くことは、精神的にはとても楽です。でも、誰かから「読んだよ」と言われることもなく、「これ意味あるのかな?」と自問する日々。孤独との戦いになります。書いていても、届ける手段がなければ、独り言で終わってしまう。このバランスが本当に難しいんです。
自己満足で終わらせたくない気持ちもある
たとえ小さな記事でも、誰かの不安を減らしたい。そう思って書いています。でも、それが自己満足で終わっているのではという疑念も常にある。だからこそ、最低限の工夫だけでもして、少しでも読まれやすくできれば…と模索しています。
SEO対策しない前提でできる最低限の工夫
本格的なSEOは無理でも、ほんの少しの工夫ならできるかもしれない。そんな発想で、日々の発信スタイルを試行錯誤しています。これは「SEOっぽいこと」ではなく、「読んでもらうための思いやり」みたいなものです。
ターゲットを「誰か一人」に絞ってみる
「40代で親を亡くしたばかりの人」「遠方に住む兄弟との相続に悩んでいる人」など、具体的に誰か一人を思い浮かべて書く。そうすると自然と文章がまとまるし、伝わりやすくなる気がします。結果的に、それが検索にひっかかることもあるので、無理なSEOよりもずっと意味があるように感じます。
見出しをつける、だけでも効果あり
文章の中にh2やh3の見出しを入れるだけでも、読みやすさが格段に変わります。「どこに何が書いてあるか」が分かるだけで、読者は安心します。難しいテクニックではなく、ちょっとした気配り。これなら疲れていてもできるし、自分の思考整理にもなるのでおすすめです。
過去記事をちょっとだけ直す、が意外と効く
新しく書くのは大変でも、昔の記事に一言加えるだけならできることもあります。例えば「2024年4月時点ではこうだった」などの追記。ほんの少しの更新でも、検索エンジン的には好印象になるらしいです(詳しいことはよくわかりませんが…)。負担が少なくて、リフレッシュにもなるので、たまにやっています。
完璧じゃなくていい、同じ悩みの人に届けばいい
SEOができなくても、立派なサイトがなくても、等身大の発信には意味がある。少なくとも私は、誰かの「分かるよ、その気持ち」という一言に救われてきました。だから今度は、自分が誰かの救いになれたらと思っています。うまくいかなくても、それでも発信し続ける価値は、きっとあると信じています。
疲れ切った頭でもできる、等身大の発信を
毎日クタクタで、パソコンを開くのもしんどい。でも、そんな時こそ、短くても、荒くても、自分の言葉で書いてみる。完璧じゃなくていい。誰かに届けばそれでいい。そう思えるようになったら、少しだけ発信が楽になりました。
自分が救われることもある文章の力
実は、自分の悩みを書き出すことで、自分自身が整理されて、少しだけ楽になることがあります。誰かのためと思って書いた言葉が、巡り巡って自分を助けてくれることもある。だから、これからも書こうと思っています。SEOに頭が回らなくても、想いは伝えられると信じて。