ホチキスの向きが違うだけで…補正の通知が届いた日

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ホチキスの向きが違うだけで…補正の通知が届いた日

たかがホチキス、されどホチキス:補正通知が届いた日

司法書士として日々大量の書類と向き合う中で、まさかホチキスの向き一つで補正通知を受け取るとは思いませんでした。自分のミスとはいえ、あまりの細かさに一瞬フリーズしたのを覚えています。忙しい毎日の中で、どこまで細部に気を配れるか、それがこの仕事の「質」を決めるのだと改めて痛感した出来事です。今回は、そんな「ホチキスの向き」で補正をくらったお話を通じて、司法書士業の細かすぎる現実と、それでもこの仕事を続ける理由について語ってみようと思います。

あの日、いつも通り提出したはずだった

その日は月末で、登記申請が重なっていたタイミングでした。私はいつも通り書類を準備し、何度か目視チェックもしたつもりでした。事務員さんも「確認済みです」と言ってくれて、安心して法務局へ提出したのです。ところが翌日、法務局から届いたのは「補正のお願い」。内容を開いてみて、思わずため息が出ました。ホチキスの向きが逆になっていたのです。

確認したはずの書類、戻ってきた現実

申請書類自体に不備はなく、添付書類も揃っていました。けれど、主たる書面にホチキスで綴じられた箇所の「留め方」が、法務局の求める方向と逆だったというのです。正直「そんなことで!?」と思いましたが、それが現実。補正の指示は厳然としたもので、再提出までの時間と労力をまた割くことになりました。

「補正理由:ホチキスの向きが不適切」

ホチキスの向きなど、一般的な感覚では「気にすることなのか?」と思うかもしれません。しかし、法務局では「左上から斜め下に留める」が基本とされ、それを逸脱すると形式不備と見なされることがあります。今回は、右上から左下に留めてしまっていたため、補正の対象になったのです。裁量の余地がないわけではないものの、担当者によっては容赦なく跳ね返されるのが現実です。

たったそれだけ?いや、それがルールなんです

「たったそれだけで補正なんて」と感じたのが正直なところです。でも、この業界では形式を軽視できません。一度形式を許すと、その積み重ねが全体の信頼性を崩す…そんな論理が背景にあるのでしょう。とはいえ、現場の実感としては、やはりしんどい。人間のミスを一切許容しないこの空気感には、時折うんざりします。

法務局の世界における「形式の重さ」

法務局は形式に厳格です。それは登記情報という「公的な記録」を扱うからこそですが、実務に携わる者からすると「もう少し柔軟でも…」と思わずにいられません。ホチキスの向きまで指定される仕事って、なかなかないですよね。でも、これが司法書士の世界なのです。

現場との温度差を感じた瞬間

「もう直したんだから、そこはいいじゃない」と思う気持ちと、「最初から完璧を出せ」という要求とのギャップ。これは現場にいるといつも感じることです。法律と実務の隙間にある「空気」や「前例」もまた、私たちを縛ってくるのです。そうした中で、誰に何を伝えても改善されないもどかしさが、じわじわと精神を蝕んでいきます。

司法書士の現実:完璧を求められる理不尽さ

私たちは完璧を求められます。しかも、何のための完璧かよく分からない時でも。形式、言い回し、封筒の種類に至るまで「決まっている」ことが多すぎて、気を抜く暇がありません。書類を一つ提出するだけでも神経をすり減らし、それでも「当たり前」とされる毎日です。

人間なんだから間違えるよ、って言いたい

実際、私はこの時も「うっかり」でした。100件のうち99件が完璧でも、1件で補正を食らえば、それだけで全体の印象が悪くなる。事務員さんがミスをしても、結局責任を取るのは私です。「人間だからミスする」ことを許さない風土が、この仕事のキツさでもあります。

補正作業の手間とストレス、積もる疲れ

補正は地味に時間が取られます。修正して、印刷し直して、再度綴じて、再提出。書類の種類によっては郵送ではなく持ち込みが必要なことも。たかがホチキス、されどホチキス。そんな作業に1〜2時間取られると、その日の予定がずれ込んでしまうのです。

事務員との連携、ここでも浮き彫りになる

私は一人事務員を雇っています。とても真面目な人で、普段はよくやってくれているのですが、こういう小さな形式ミスが起きると、お互いに気まずい空気になります。誰かが悪いというより、「どこまで確認しておくべきだったのか」という話になりがちです。

「この留め方で大丈夫ですか?」と聞かれた記憶

思い返せば、事務員さんが「このホチキスの向きで大丈夫でしょうか」と聞いてきたのを、私は「たぶん大丈夫」と返してしまっていました。結局、それが「たぶん」では済まされない世界だった。こちらが曖昧に答えたことが、そのまま補正として返ってくる。このあたり、本当に難しいところです。

誰が悪いわけでもない、でも責任は私

事務作業はチームでやっていても、最終的に申請するのは司法書士です。つまり、形式的にも実質的にも責任は私にある。だから、何が起きても「言い訳できない」というプレッシャーが常にあります。この一件でも、私は事務員さんを責めることはしませんでした。でも内心では「もっと自分が見ておくべきだった」と、自己嫌悪に陥っていました。

「どうしても司法書士をやりたいんです」と言う人へ

相談を受けることがあります。「司法書士を目指しています」「どんな仕事ですか?」と。そんなとき、私はいつも少し言葉を詰まらせてしまいます。このホチキスの話のように、華やかさとは程遠い、地味で神経を削るような毎日が待っていることを、どう伝えればよいか迷うのです。

理不尽に耐える心、折れない神経が要る世界

この仕事には、論理だけではなく「空気」や「場のルール」にも付き合う力が求められます。明文化されていない慣習や、非効率なルールに、どう向き合えるか。誠実さだけでは乗り切れない場面も出てきます。それでも仕事を続けるには、何かしら自分なりの「納得」が必要になります。

でも、それでもやっていける理由もある

たまに「ありがとう、助かりました」と言ってもらえるとき、この積み重ねに意味があったんだと思えます。誰かの生活を守る、誰かの不安を減らす。地味だけど、そこにやりがいがある。だから私は今日も、ホチキスの向きに気をつけながら、また次の申請書類を綴じているのです。

最後に:今日もまたホチキスの向きを確認する

ホチキス一つで補正を食らう世界にいると、やっぱり不条理だと思ってしまうことがあります。それでも、そういう細部まで気を配ることが、「司法書士」としての信頼を積み上げることにつながる。そう信じて、今日もまた慎重にホチキスを握っています。

誰にも気づかれないこだわりが、仕事を守っている

お客さんには見えないところで、ホチキスの向きを気にしている司法書士がいる。そんな細かいところに命を懸ける仕事がある。たかがホチキス、されどホチキス。そのひと手間が、信頼という土台を支えている。そんな気持ちで、明日もまた黙々と書類を綴じていくのです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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