ヨレヨレのスーツが語る、僕の働き方
朝、鏡の前に立ってネクタイを締めるたびに、自分のスーツのヨレ加減にため息が漏れる。10年以上着ているグレーのスーツは、クリーニングの回数も減り、肩は少し落ちている。司法書士という職業柄、身なりの清潔感は大切だとはわかっている。それでも、目の前の業務に追われて、そんな余裕はどこかに消えてしまった。ヨレたスーツは、まるで今の自分の内面を映しているようで、正直、朝から気が重くなる。
朝からすでに疲れてるという現実
最近は、目覚ましが鳴る前に目が覚めてしまう。眠った気がしないのに、もう一日が始まってしまう。ベッドから起き上がって、着替えて、朝ごはんもそこそこに事務所へ。すでに「今日は乗り切れるかな」という不安が頭をよぎっている。
スーツにアイロンをかける余裕もない
気づけば、アイロンがけをした記憶が一週間以上前。シャツはシワシワ、ジャケットもハンガーに雑にかけたまま、肩のラインが崩れてきている。昔は、出勤前に必ずシャツにアイロンをかけていた。今は、アイロンを出す時間さえ惜しい。朝の10分があれば、一通でもメールが返せるし、1件でも登記の進捗確認ができる。そう思って手を抜き始めたら、戻れなくなっていた。
朝の電話とメールの嵐が全部持っていく
事務所に着いた途端、電話が鳴り始める。役所から、依頼者から、銀行から。出勤して最初の1時間は、電話とメールに埋もれるのが日常だ。9時の時点で、すでに頭がフル回転。服装を整える余裕も、自分を見直す時間もないまま、ただ処理するだけの1日がスタートする。
「身だしなみ=信頼」なんて、もう限界
「司法書士たるもの、きちんとした服装をしていないと信用されませんよ」──開業前、先輩に言われた言葉をいまだに思い出す。でも、現実には「清潔感」と「時間と気力」のトレードオフにすらなっていない。限界ギリギリの毎日だ。
わかってはいるけど、回らない
そりゃあ、ジャケットを新調して、靴も磨いて、きちんとアイロンの効いたシャツで出社すれば、それなりの印象にはなる。でも、その準備をするだけの気力と時間が残っていない。夜は遅くまで登記の書類確認、朝は早くから予定が詰まっていて、自分のことは後回し。わかっていても、どうにもできない。
お客さんからの一言が刺さる日もある
「先生、今日はちょっとお疲れですね」と笑って言われたとき、愛想笑いを返しながら、内心でグサッときた。自分でも薄々気づいていた「疲れて見える」が、他人から見てもそうだったんだと実感して、帰り道にぐったりしたこともある。服が与える印象の大きさを痛感する一方で、そこにまで気を配る余裕がない現実もある。
スーツはヨレても、仕事は待ってくれない
誰かが代わってくれるわけでもなく、すべての業務は自分の手にかかっている。スーツがヨレていようが、靴が擦れていようが、今日も登記申請の締切はやってくるし、相続の相談も予約されている。見た目のことを気にする余裕なんて、やっぱりない。
今日もまた、書類に追われる
たまっていく申請書類、修正依頼、補正対応。ひとつクリアすれば、また次の案件が待っている。作業は地味で、手間が多く、気力も削られていく。何度も見直したはずの書類に、あとから見つかる小さなミス。ミスが許されない仕事というプレッシャーが、さらに神経をすり減らしていく。
登記のチェックで半日が終わる
不動産登記は、確認項目が多く、ミスが発覚すれば登記が無効になってしまうこともある。だから何度も確認するけれど、それにかかる時間は半日以上。依頼者には「簡単に終わる」と思われがちだけど、そんなことはない。
急ぎ案件に限ってミスが許されない
急ぎの依頼ほど、神経を使う。急ぎだからこそ、絶対に間違えられない。なのに焦っている自分が、逆にプレッシャーを生み、ミスを呼びかねない。そんな矛盾と闘いながら、一件一件、こなしていく。
事務員さんには頭が上がらない
たった一人の事務員さんが、毎日コツコツと僕の業務を支えてくれている。電話対応、書類の整理、郵便の手配、申請の補助。全部任せきりになっているけれど、彼女がいなければ、たぶんこの事務所はまわらない。
一人で事務所を支えてくれている
僕が外出している間も、事務所の電話は彼女が全部対応してくれる。しかも、クレーム対応までやってくれている。司法書士として前に出ているのは僕だけど、実際の「屋台骨」は彼女だと感じることが多い。
でも、それでも全然余裕はない
人手が足りないのは事務所全体の課題だ。僕も彼女も、いつも時間に追われている。業務効率化だとか、システム導入だとか、聞こえはいいけれど、現実的にはその余裕すらない。結局、毎日が綱渡りだ。
司法書士って、こんなに地味で報われないの?
開業前に想像していた「士業としての尊厳ある姿」は、どこに行ったのだろう。華やかではない。むしろ、地味で目立たず、そしてなかなか報われない。社会的には必要とされている仕事のはずなのに、なぜこんなに苦しいのかと、ふと思ってしまう。
華やかさのかけらもない日々
「先生、かっこいいですね」と言われることなんて一度もない。スーツはヨレているし、目の下にはクマ。PCの前で肩をすぼめて作業している姿を見たら、「こんな仕事、したくない」と思われても仕方ない。
それでも続けている理由って何なんだろう
正直、自分でもわからなくなることがある。使命感なのか、責任なのか、あるいはただの惰性なのか。でも、やめたいと思っても、明日にはまた依頼の電話が鳴る。そうして、また一日が始まってしまう。
少しだけ、救われる瞬間もある
それでも、たまに救われる瞬間がある。そんな小さな出来事が、なんとかこの仕事を続けさせてくれている気がする。スーツがヨレていても、「この仕事をやっててよかった」と思える日が、ほんの少しだけある。
依頼者の「ありがとう」がすべてを変えることもある
ある日、相続登記を終えた高齢の依頼者から「先生がいてくれて、本当によかったです」と言われた。涙ぐんだその表情に、こちらもぐっときてしまった。その一言で、ここ数日の疲れがふっと軽くなった気がした。
ヨレたスーツでも、胸を張れた日
スーツは相変わらずヨレヨレで、ネクタイも少し曲がっていた。でも、その日はなんだか誇らしかった。服装じゃなく、向き合い方で信頼を得られた気がした。そんな日があるから、たぶん僕は、まだこの仕事を続けていける。