仕事が終わった瞬間に訪れる「音のない自由」
地方で司法書士をやっていると、日中はずっと誰かと話し続けている。依頼者、銀行、役所、事務員…誰かが常に自分を必要としている。でも、ふと一人になったとき、事務所の電気を落とした瞬間にだけ訪れる“音のない自由”。この静けさが、自分を取り戻す時間になっている。
喧騒から一歩引いたときにしか見えないもの
昼間はあれこれバタついていて、何かに追われているような感覚が続く。だけど一歩引いた夜の事務所では、ようやく「本当に自分が何を大事にしたいか」に気づける。あの静けさは、自分にとってはただの“無音”ではなく、“整理”の時間だ。
誰にも邪魔されない時間が心を整えてくれる
誰かに話を聞いてもらいたい気持ちはある。でも、声を出すのもしんどい日がある。そんなときは、コーヒーを淹れて机に向かう。ただ、それだけ。音も情報もない時間が、何よりの薬になる。
今日もミスなく終わったか、と振り返る怖さ
「これで本当に完了してるよな?」「見落としはないか?」――毎日がこの確認作業の繰り返しだ。特に登記申請のような“失敗が許されない”仕事をしていると、仕事が終わっても不安は終わらない。
日中の緊張感は退勤後にもつきまとう
帰宅してからもふと「あれ、あの印鑑の確認したっけ…?」と気になることがある。精神的にはとっくに退勤してるはずなのに、心はまだデスクに残っているような、そんな不自由さを抱えている。
「何か忘れてないか?」という終わらない不安
たまに夜中に目が覚めることがある。夢の中で登記申請が却下されていたり、印鑑が違っていたり。寝ているときですら気が抜けないのかと、自分でも驚く。完璧を求める仕事の代償は、こうした“無意識の緊張”なのかもしれない。
地方の司法書士は、意外と「声を出せない」
同業者が周りに少ない地方では、ちょっとした相談すらできない。オンラインのコミュニティもあるけれど、実名で話すには気を遣うし、結局一人で抱え込んでしまう。
相談相手がいない、話しても伝わらない
家族に話そうとしても、専門用語や登記の流れなんて伝わらない。仕事のしんどさは、「わかってもらえないこと」にあるのかもしれない。だからこそ、静けさの中で自分に語りかけるしかない。
愚痴の受け皿がない日常とどう付き合うか
友人と飲みに行く時間も取れず、愚痴の吐き出し口が見当たらない。そうなると、唯一の受け皿は「静けさ」になる。誰にもジャッジされず、否定もされない時間は、案外大切だったりする。
静けさがあるから、明日もどうにかなる
毎日が緊張と責任の連続だけど、静かな時間が1時間でもあると、なんとかやっていける気がする。喧騒の反動としての「静寂」は、司法書士にとっての精神安定剤なのかもしれない。
「もう辞めようかな」とつぶやける夜
たまに、誰もいない夜の事務所でつぶやく。「もう無理だな」「やってられない」…そんな言葉が出るときもある。でも、それを口にできるだけで少しだけ楽になる。聞き手がいないからこそ、正直になれる。
感情の整理は、話し相手より無音に委ねる
誰かに励まされるより、無音に包まれながら考えを巡らせるほうが自分には合っている。整理がついた頃には、また次の一日を始める準備ができている。不思議だけど、それが続けられる理由だ。
雇っている事務員にまで気を使ってしまう自分
一人雇っている事務員にも、本当はもっと任せたいことがある。でも、頼みすぎて負担をかけたくないという思いが先に立つ。結果として、自分で抱え込むことになる。
やさしさの裏にある疲れと責任
「申し訳ないから自分でやる」…そんな優しさが、自分を追い詰めていることもある。けれど、怒ったり突き放したりできない性格だから、結局は静かに抱え込んで、静かに疲弊していく。
「自分ばっかり我慢してる気がする」と思ったとき
誰にも怒らず、責めず、言い返さずに我慢を積み重ねていくと、ある日ふっと「なんで自分だけ…」と思ってしまうことがある。そんなときにこそ、静けさが自分を客観的にしてくれる。
結局、誰かに救われるより、自分で救うしかない
人に頼ったり、癒されたりするのも大事だ。でもこの仕事に関しては、最終的には自分で立ち上がるしかない。静かな夜に、自分で自分の背中を押す。そんな時間が、司法書士にとっての回復時間なのかもしれない。
静かな夜にだけ、自分の声が聞こえてくる
誰かの声や雑音があると、かき消されてしまう「本音」がある。静けさの中でしか聞こえない声が、自分の中にちゃんとある。その声を無視しないことが、続けていく秘訣なのだろう。
孤独も味方にできたら、それは強さになる
一人でいる時間を「寂しい」と思うか、「自由」と思うかで、人生の充実度は変わる気がする。司法書士という職業は孤独が多い。だからこそ、その孤独を味方につける感覚を、大事にしたい。